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04.こころの整理の仕方④~「道」~


(どう・タオ・Tao・みち)とは、中国哲学上の用語の一つ。人や物が通るべきところであり、宇宙自然の普遍的法則や根元的実在、道徳的な規範、美や真実の根元などを広く意味する言葉である。道家儒家によって説かれた。

wikipediaより参照

◆道(どう)とは

毎日を出来るだけ穏やかに楽しく過ごすために、どうしたらよいのか。
そんなテーマで2023年のnoteは書きはじめました。

以前「哲学」を自分の中に持つことについて書きました。


記憶を辿ると、中学や高校の授業から普通に学んだ中国の古典の中で
老子・荘子を中心に唱えたといわれる「道」という思想に
なぜかすごく影響を受けました。

「道」=みち?
「道」=どう??

①「道」=家の前から続く道、高速道路・ひとが前に進むための場所

②「剣道」「柔道」「華道」「剣道」「茶道」「書道」など、
剣術や柔術という戦いの技術から、お花やお茶を淹れるところまで
高い精神性をもって、技に留まらない大きな方向を示すような
「道(どう)」という考え方。

なぜか違うようで同じものを見ているような気がします。

日本にはその「道」と呼ばれる精神性が色々な形で根付いていて
外国人からすると珍しい感覚ではないかと思います。

例えば、MLBで活躍した「イチロー」なんかは、思い切りその道の
求道者(見た目も)に見えたでしょうし

いまも「大谷サン」は野球以外のことはほとんどしないことを知られていますし、吉田選手などもアスリートでありながらその道をひたすら追求する求道者のイメージが強いと思いませんか?

◆自分らしさなんて

高校生や大学生くらいまでは、同じ地域の出身者とか同じ学部、同じ部活など「顔なじみの仲間」が少なからずいます。
就職とともに初めてひとりきりを体験することが多いと思うのですが、
「自分らしさ」ってなに?と1人になることで本格的に考え始めます。

僕の場合小さい頃は親が厳しくもあって「自己中心的になるな」と
時々注意されていたことを覚えています。

面白いことにそれを繰り返されるたびに、「案外気弱な人間だと思う自分」が、「他人(親)からするとそれなりに押しの強さを感じている」ものだなと気が付くことになります。
これはけっこう面白いことでした・・

自らイメージする自分と、他人から見える自分の姿はけっこうずれているものなんですよね。

◆ひとり多重人格者

ちょっと話題も「道」を外れてしまいましたがw

所詮自分なんて、「他人からのイメージ」で半分作られたパブリックイメージくらいのもんです。本当の自分は自分のこころの中にいるんです。
そんな風にイメージすると、ますます「道」は目の前に広がっていて
自分というクルマに乗って自ら運転するのが人生ってことか、と妙に納得できたりします。

ひとりでも、結局は多重人格ってことでよいとおもいます。

◆まとめ(まとまらず)

自分自身の姿(本音)と、船のようなクルマのような「器」に乗って
ゲームセンターのドライブゲームをやっているようなことが人生なのかなと
思っています。

「道」という感覚は、武道をやっている方はもちろん、スポーツや音楽、ダンス等、趣味や習い事をしている方も近い様なものを体験されているはず。

日本人、東洋の独特な感覚とも言われますが、改めて意識してみると、日々の良いことも悪いこともほんの1シーンに過ぎないことがわかります。

明日もまた自分の前だけに見える道が続いているはずです。

今回も読んでいただいて感謝です。









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サワダヨシキ
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