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湯沢プチ移住によるワーケーションと短期小学校転校(2)

【ワーケーションの観点】
  細かいことではありますが、例えば椅子の高さやいつも使っている必要な設備・機材の有無、もっというと日常生活に関わる、布団の硬さや枕の高さに至るまで、やはりいつも使っていて、極限まで自分に最適化されたものを違う場所で完全に再現することはほぼ不可能です(やろうとすればするほどコストが積み上がっていきます)。


 他にも細かいことを言えば、いつもの使い勝手で、すぐに目の前にプリンターがあってサッとプリントアウトできる、といったことができないことがことのほかネックになったりします。


 その一部不自由を甘受できるかは、ワーケーションの成否要件の一つかもしれません。いつもの最適化が崩れることで被るストレスが多すぎると本末転倒ということになるでしょう。


また、どこまでをワークとし、どこまでをバケーションとするかの見極めはなかなか難しいと感じるときもあります。


 私の場合、できるだけ「やらなくてはいけない仕事」を出発前に完了させ、極論現地で何も仕事をしなくても致命的な問題にならない状況を意図的に作ってきました(私の仕事がそれをコントロールできる種類であったことは好条件のひとつではありました)。


とはいえ、相手とのやり取りなどは自分で全てコントロールできるものではなく、質問や依頼のメールを数週間止めておくわけにはいきません。


となると例えば、午前中に知らない町をプラプラ歩くわけですが、ふと気づくと、返信していないメールのことを思い出したりします。完全に短期のバケーションであれば、「バケーション中です」という自動返信の設定をして放っておくかもしれませんが、ワークも兼ねた一定期間の中では真面目な私はそれなりに気になってしまうこともあります。

また、先述の「ワーク環境が最適化されていない問題」と逆説的になりますが、普段通り常にネットにつながり情報が間断なく入ってくる環境でないことが、普段との違いを否応なく実現してくれている気もします。

つまり、常にメールなどを確認できる最適な環境ではなく、一日の内で一定の時間とタイミングのみでしか情報にアクセスできない環境にいることが、普段との生活環境の違いを生み出しているわけです。

ここで実際に仕事に追われていたら死ぬほど焦ってしまうかもしれませんが、それら緊急の用件を完了してから来たため、結果的にそうはならなかったといえます。ここは心安らかなワーケーション実現に決定的に重要な要素と言えるかもしれません。

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ただし、純粋に仕事の効率だけを考えると、絶対にワーケーションに軍配が上がることはないことは、冷静に考えれば当たり前なのです。(この非効率な状況がサラリーマンとしてだったらどうなのだろう?と思いますが、もう自分には関係ない問題なので考えないことにします)

たまに山の中や川べりなどで、ハンモックや岩に座ってモバイルパソコンで仕事している”ワーケーション”の写真を目にすることがありますが、確かに瞬間的な写真映えはすると思うものの、実際にそんなことをしたら、

・周りの環境や景色で気が散る

・一定時間そういう体勢でいると、どこかが疲れる(痛む)こととなり、結果的にその状況を長く維持できないもしくは集中できない状況になる

ため、「働く環境としては問題あり」であるわけで、”写真”と”現実世界”の切り分けは重要です。

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また、あくまで私の場合は、という前提ですが、「コワーキングスペース」や「シェアオフィス」といった、複数人が同じ部屋で仕事をする環境も絶対的にNGなのです。

集中できないし、コロナ感染リスクもあるし、私のような講演や講義をする仕事では、そもそも一人で遮断されていないと成立しないのです。その点では、今回滞在場所そのものが仕事場であることは必須条件でした。実はこの状況を見つけるのは大変難しいことが今回よくわかりました。

「シェアオフィスがあるのでワーケーションどうぞ!」と謳っている場所は多いものの、「一人でクローズで働くことは可能ですか?」と聞くとほぼ毎回困った顔をされ、「そんな環境はない」という回答が返ってきます。

今回の私のケースに関して言えば、この「一人環境」を自分自身で全て構築しなくてはならなかったことも事実です。

ワーケーション=みんなで同じ場所で働く”が前提になっていることが未だに不思議ではあり、未だに私にとってのワーケーション実現の大きなハードルとなっています。


まとめると、ワーケーション先の仕事環境はあくまで”出先“であるという認識が必要で、”出先“は当然”いつもの本拠地“とは違う、という前提が必要なのだと思います。

つまり、どう考えても「働く環境」としてはベストにはなり得ないのです。


それでも“一時的なら”もしくは”2拠点生活のサブ拠点としてなら“、それもありだろうと考えると成立すると思いますし、常に同じ場所だけで仕事していることに比べれば良くも悪くも幅が広がる可能性があります。

今回私が思ったのは、上記の制約や前提をしっかり認識した上で、適切な期間において実施するのであれば、大変刺激的な経験になるということです。もちろん同様の機会があれば、またやってみたいと思います。


(続く)

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