「悩み」や「ストレス」の大元~禅的思考から学んだこと
「こうあるべき」
「こうしたい」
「こうした方が良い」
多くの(全ての?)悩みやストレスは、こういった”思い”と(その思いと違う)”現実”とのギャップがあるところから生まれると思っています。
禅的思考でも、その認識の上に「あるがままを受け入れる」ことを解いていますね。
これを100%達成するのは現実的には難しいものの、このギャップを意識することで多くの悩みが軽減されたり解決したりすることは何度も体験済みです。
例えば、私はデータ分析活用スキルを多くの方にお伝えしていますが、
「ほら、みんなもデータ分析どんどんやったほうがいいよ」や
「え~、そんなことしかできていないの?」
といったことは絶対に言いません。
「そうした方が良い」と「実際できていない(やっていない)」のギャップに悩むことになるからです。
しかもその「やった方が良い」という見方はあくまで”こちら視点”であって”相手視点”は違うかもしれないにも関わらず、勝手に自分でギャップを作って悩んだりストレスを溜めるのはどうなんだろう、と思っています。
相手に変わってもらう(データ分析の良さに気づいて開始してもらう)ことをゴールとせずに、例えば、
・こんな問題を解決したい
・こんなことができるスキルを身に付けたい
・データ分析を自分でやったけど、うまく行かないのでどうしたら突破できるのか知りたい
といった人に対して、それを実現するための諸々詳細をお伝えし、サポートすることをゴールとしています。
「こんなに重要だから、みんなもやればいいのに、どうしてわかってくれないんだろう/やらないんだろう」
という思考は悩みとストレスを増大させます。
それだけでなく相手の視点から見れば”大きなお世話”かもしれません。
他人に強く勧められて観た映画が(自分にとっては)イマイチだった経験はありませんか?
自分の視点では「やったほうが遥かに良いと思うこと」でも、それをしていない人をあるがままに受け入れることで、その悩みやストレスはほぼゼロになります。
誤解なきように再度言えば、「困っていて何とかしたい」という人には積極的に「こうしたらどう?」と積極的にサポートの手を差し伸べ、更には元々の期待以上の成果をご提供しますが、それ以外について自らケチを付けたり揶揄したりすることはしません。
(逆にそういう「ケチを付けたり揶揄する」ケースを世の中ではよく目にしますが、そういったケースすら自分の思考と違うからといって直すべきだなどとは思わず、ストレスを溜めずに見守るだけにしています)
違う考えを排除するのでも無視するのでもありません。積極的には介入しないのです。
それでも私が提供できる内容を意識的に必要とされている方は(大変ありがたいことに)多く、それだけでも十分お役に立てているので一つのゴールは果たせていると思って日々頑張っております。
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