「三方よし」で考える。
中世から近代にかけて活躍した近江商人の間に「三方よし」の思想があったことはよく知られている。
「売り手よし、買い手よし」は当たり前。これに「世間よし」を加えて三方。ここでの世間とは、世間体だとか、「世間様の目が…」的な小ぢんまりした捉え方ではなく、社会の全体を意味している。つまり、いかに世の中へ貢献できるかという態度である。現代においても、経営理念として掲げる企業は近江国(現在の滋賀県)に限らず少なくないと聞く。
三方をイメージすると、自分の為すべき何かが見えてくるのは、商い側に限ったことではない。買い手からの立場でも、ある商品を購入することで自分と家族が心身の健康を得て、売り手はその仕事を継続発展させる力を得て、社会にも健康的な循環の波が起こる、というところまで視野を広げてみる。買い物は投票とも言われるように、自分の意思をどこに置くかによって、大小の差はあれど必ずその影響は社会に表れる。もちろん自分の暮らしにも関わってくる。
さらに、経済以前の対人関係においても、「自分だけ」から少し抽象度を上げて三方を眺めてみるのはおもしろい。
自分と相手との間は当たり前。とはいっても、個人間では収まりがつきにくいこともある。そんな時に、お互いと、プラスもう一方向。近江商人のいう世間や、直接的につながる友人、家族、同僚、恩師でも、共に幸せな状態を思い浮かべてみれば、少し落ち着いて、自分が何を求めているのかに気づきやすくなれると思う。いっときの感情や、過去のパターンに支配された行為言動も減るのではなかろうか。
そういえば若い頃、パートナーとの揉めごとは家ではなく喫茶店で話せ、と教えてくれた年長者がいたっけ。今だったらカフェですか。やはり自分と、自分たちと、社会とがそこに見えるからというアドバイスだったはずだ。
パートナーに限らず、自分から湧き上がる感情を正直に投げかけてみるのはいい。けれど、そこに相手への思いやりや、寄り添おうとする気持ちを欠いているとしたら、お互いに傷つく可能性は低くないだろう。
教科書でもおなじみフランスの思想家ルソー(1712 - 1778)は、自分の欲求を知り、満たそうとする経験が、子供にとって必要な発達プロセスだと述べている。プロセスなので、ある程度の人生経験、年齢を重ねれば、それは当然越えて行くべきもので、その先にある他者、社会、自然とのつながりまでを示す代表作「エミール」は今読んでも学ぶことが多い。
逆に、相手や、もう一方に偏り過ぎていても、当然ながら美しいバランスのかたちにはなりにくい。尽くしたあげくに自身が倒れてしまっては元も子もなく、そんなの、きっと尽くされた側だって嬉しくはないに違いない。自己犠牲でも、何ごとでも、過ぎたるは及ばざるが如し。このような場合は、外側にばかり向けていたエネルギーを、自分にもやさしく注いであげたほうがいいと思う。
お互いの、全体の幸福を想像するには、自分への客観的視点が不可欠で、それが「考える」という作業になる。自分の頭で考えられる人を大人と呼ぶ。少なくとも、考えようと努めることで変わる景色がある。考える。飾りじゃないのよ脳みそは。
海を越えて、インドでは学びの前の美しいマントラ(真言)が伝統的に唱えられている。その起源は数千年前といわれる。
ॐ सह नाववतु ।
सह नौ भुनक्तु ।
सह वीर्यं करवावहै ।
तेजस्वि नावधीतमस्तु मा विद्विषावहै ।
ॐशान्तिःशान्तिःशान्तिः॥
Oṃ saha nāv avatu
saha nau bhunaktu
saha vīryaṃ karavāvahai
tejasvi nāv adhītam astu
mā vidviṣāvahai
Om śāntiḥ śāntiḥ śāntiḥ
私たち(師と学ぶ者/先生と生徒)が守られますように
私たちが共に育まれますように
私たちが力を合わせ働けますように
私たちの学びが光となりますように
私たちの間にいさかいがありませんように
平和 平和 平和
このマントラは、お互いと、神への祈りであり、宣言ともいえる。学びとは、己の欲を満たすためのものではなく、先生に気に入られるためでもなく、お互いと世界とを輝かせるもの。そう信じることができれば、「自分だけ」を考えていた時とは別の力が、どこからともなく湧いてくる。ここでも三方が表されている。
目先の利益だけ追う企業が遠からず信頼を失うように、お互いの、そして全体の光を想像できないなら、その考えは本当の喜びにはつながらないのではないか。
「自分」は決して世界から切り離された存在ではない。目に見えるものと見えざるもの、それらすべてとの関係性の中で生きていて、これからも生きていくのだ。迷ったり、ぶつかったり、どうしようもない時もあるだろう(人間だもの)。そんな日には静かな時間を自分に与えて、三方よし、と指差し確認してみてはどうか。その矢印の方向、対象がなんであれ、自分という枠を両側へ開いてみれば、楽になれることも結構ある。
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