『アンダードッグ』鑑賞レビュー ~足立紳作品を観て思うこと~
11月の中旬から、毎日毎日、真っ白い世界の中にいて、1日が終わると、あっという間に次の日の朝を迎えてしまうような生活が続き、文章をまとめる気力が湧いてこなかった。
また以前のような生活に出戻ったので、リハビリがてら地元にある映画館、別府ブルーバード劇場で1月に観た、『アンダードッグ』の感想と、自分の身の回りについて考えたことをまとめてみた。
足立紳について
『アンダードッグ』の感想前に、この作品の脚本を担当した足立紳さんについて触れてみたい。
足立紳さんを知ったのは、脚本家の野木亜紀子さんと、足立紳さん、奥様の晃子さんとの3人が鼎談したネットの記事から。
野木亜紀子さんは、『重版出来』『アンナチュラル』を観てから俄然気になる脚本家で、
「彼女の作品がこうも自分を捉えて離さないのは、なぜだ?」
と、その核になる部分をどうしても知りたくなる不思議な存在。
特撮やアニメを中心に活躍されている小林靖子さんと通じるものがあり、このおふたりは、自分の中で外せないクリエイターなのだ。
そして、野木さん本人のnoteでも、足立紳さんについて触れている。
それがすこぶる面白く、いつまでも胸に残った。
野木亜紀子という作家に、これ程までに強い印象を残す足立紳という人は、どういう人なんだろうと興味が湧く。
そんな、足立紳さんが、地元の『別府ブルーバード劇場』に舞台挨拶で登壇されたのが、2020年12月5日。
毎年開催されていた『Beppuブルーバード映画祭』、2020年はコロナの影響で開催は無いだろうと思っていたが、規模を縮小して12月5日、6日の2日間開催された。その初日に上映されたのが、足立紳監督作品、『喜劇 愛妻物語』
とにかく、エロモード全開の濱田岳が、最初から最後まで、突き抜けてキモち悪く役を演じている作品(褒めてます!)で、『セックスレスの妻とセックスする』という悲願を、旦那がどうにか叶えたいたいと奮闘する内容。
「いや、そういう風に近づいたり、話しかけて、ヤレるわけねぇだろ!」
と、スクリーンに突っ込みを入れたくなるような、濱田岳演じる豪太の表情、仕草、行動内容のすべてが、妻チカの神経を逆撫でする。
そして、脚本家としてがんばらなければいけない時に、がんばれない豪太に、なぜか水川あさみ演じるチカと同じように、自分も無性にイライラさせられていた。
別府ブルーバード劇場は、時間が昭和のまま止まってしまったような劇場で、映画鑑賞中のお客の反応は、何でもありのフルコンタクトスタイル。
上映中はコロナ禍とはいえ、様々なシーンでみんなから笑い声が漏れていた。まさに、鑑賞にはマスクが必須の作品。
上映後には、足立紳監督、奥様の晃子さんが登壇。司会は、別府ブルーバード劇場を補佐する映画ライターの森田真帆さんと、バチェラーに出演されていた倉田茉美さん。
別府ブルーバード劇場では珍しい、司会がふたり体制でのトークになった。
この時、驚いたのが、足立紳監督、奥様の晃子さんどちらも、本編の濱田岳、水川あさみ演じる豪太とチカと全く同じ声のトーンと、同じリズムの会話だったこと。
本当にスクリーンから飛び出してきたんじゃないかと思う程、映画の続きをこの舞台で観ているのでは?と感じる程、良く似ていた。
この映画の9割が事実で、足立紳監督は、性格も、行動も、どうにも煮え切らない、本当にグダグダな人なのだということを確認したトークでもあった。
その日、『喜劇 愛妻物語』の上映後、少し時間が空いて、18:30から
阪本順治監督の『一度も撃ってません』の上映と、阪本監督、出演の渋川清彦さんが登壇してのトークがあり、こちらも参加。
かなり濃い1日を過ごすことができた。
トーク終了後、劇場から観客が出ていく後方付近に、足立紳監督と奥様の晃子さんがいらっしゃるのが目に飛び込む。小走りで、作品の感想と映画祭に登壇してくださったお礼を伝えるため近づいた。
野木亜紀子さんとの鼎談のネット記事が面白く、印象に残っていること。舞台挨拶とトークを見て、濱田岳さんと水川あさみさんの話す口調からリズムから全て、足立監督と奥様と全く同じで驚いたこと等を監督に伝える。
濱田岳さんと、水川あさみさんには、特別演出はつけてないそうで、脚本のリズムを読み取り演じた結果が、実際のおふたりにかなり寄った形になったとのこと。これには本当に驚かされた。
ちなみに、足立紳監督は、別府ブルーバード劇場での、作品に対する観客の反応の良さに、痛く感動されていた。
「ここの劇場、禁じ手が無いんで観てる方も楽なんですよ」
と返す。
また、その雑談時に、ブルバード劇場で1月にかかる『アンダードッグ』の脚本を足立紳監督が務めていることを知った。
『アンダードッグ』は、2021年1月に、別府ブルーバード劇場で上映が決まっていて、楽しみにしている作品だった。
数々の役者が出演しているが、その中でもロバート山本の出演に注目していた。14年前、テレビ朝日の番組『Qさま』で放送された、ロバート山本博がボクシングのプロテストに挑戦する企画を当時食い入るように観ていた。
テレビの企画とはいえ、本気でプロテストに挑む山本の姿に胸を打たれ、その時にバックで流れていたMr.Childerenの『優しい歌』は、今聴いても、あの時の気持ちを思い返す特別な曲として記憶に残っている。
自分は、格闘技がかなり好きなのだが、ボクシングはそれ程のめり込んで観る競技ではない。
でも、そこに賭ける人間のドラマが垣間見えると、これ程までに視聴者の胸を打つのかと、改めて思い知らされた企画だった。
『アンダードッグ』の脚本を足立紳さんが書いていたとは……
上映が俄然楽しみになった。
『アンダードッグ』前編、後編鑑賞
(2021年1月10日)
11月の中旬から、平日に劇場に行くことが叶わなくなっていたので、『アンダードッグ』は、あらかじめ前編、後編とも前売りを購入。
土曜日に鑑賞予定だったが、平日の疲れがかなり残っていたため、日曜日に予定をずらしての鑑賞。通しで観るのは初めから決めていた。
前編鑑賞中、勝地涼演じる、お笑い芸人でありながら、ボクシングのプロテストを受ける宮木に、13年前、『Qさま』でプロテストに挑んだロバート山本の姿が否応なく重なる。
当時、山本が練習するジムに、おちゃらけて現れるロバートの秋山と馬場に、心底嫌悪感を抱いていた。
「人が命を懸けて挑む場所で、ふざけてんじゃねぇぞ」
あの頃に感じた自分の気持ちをなぞるかのように、本編では、その裏側まで丁寧に描いている。
お笑いも仕事。
面白いと思われなくても、自分を求めてくれる場所があれば、全身全霊で臨まなければならない姿と、何か確かなものを掴もうと、ボクシングに打ち込む姿のコントラストが、さらに宮木の哀愁を濃く映す。
『Qさま』を観ていなかったら、宮木寄りでこの作品を観ることは無かっただろう、あの頃に受けた衝撃が強烈に蘇る。前編は、大満足で観終わった。
上映後、後編までしばしの休憩。
後編が始まると、とてつもなくジリジリした。
前編で、宮木に感情移入して、大きな山場を迎えた後の展開のため、森山未來が演じる晃の不甲斐なさに、イライラがつのっていく。
足立紳さんをそのまんま投影したようなキャラクターなのだが、足立さんの性格を知らなければ耐えられなかっただろう。(長男でなくても、耐えられると思います)
そして、なかなか晃の気持ちが上向かない。
『ジョジョの奇妙な冒険』の著者、荒木飛呂彦さんが書いている、『荒木飛呂彦の漫画術』という本の中で、
「キャラクターは必ず成長するように描くのが大事だ」
と言っているが、まさにそれを思い出した。
晃が主人公なのだが、宮木が上を向いて山場を作ってしまったために、物語の焦点が晃に向かうと、急にブレーキがかかったように感じてしまうのだ。そして悶々とした、うだつの上がらない時間が異常に長く感じてしまう。
晃に対してのイライラは、
「やらなきゃいけない事は分かってるんだから、歯食いしばってやれよ!」
という所。
最終的には、後編の最後の最後に、指数関数的に気持ちが上がっていき、満足して観終わるのだが、帰宅して改めて思い返すと、構成や展開に、不満に思う部分がふつふつと浮き上がって来た。
後編の展開が全て唐突に感じるし、自分で前へ踏み出せない晃に、もう少し早い展開で何とかならないものかと、フラストレーションが溜まる。
前編に比べて、後編が無駄にダレているように感じていたのだ。
『アンダードッグ』後編、再度鑑賞
(1月21日)
1月も中旬を過ぎると、前編、後編を通しで観た時に比べ、自分の身辺も整い始めていた。
年末には、自分の日常にも
「やらなきゃいけない事は分かってるんだから、歯食いしばってやれよ!」
と周りに対して苛立ちを感じて心を蝕まれていたが、何とか終わりが見えてきた感じ。
余裕もできたので、引っかかったままだった、『アンダードッグ』の後編の構成、展開について、もう1度考えようと、別府ブルーバード劇場に再度鑑賞へ。木曜日はメンズデーで、仕事終わりと、後編からの鑑賞がタイミングよく調整できる日が21日。
『アンダードッグ』の上映最終日でもあった。
今回は、後編からの鑑賞だったため、宮木への思い入れを引きずることなく、フラットな気持ちで観始める。2回目ということで、晃のなかなか前へ進めない展開も前回よりも短く感じた。
ただ、やはり晃の気持ちが、異常に上向かないのが本当に引っかかる。前編の宮木の時のように心理描写が、分かりやすくないのだ。
ボクシングにも見切りをつけられない、上を目指す気構えもない、晃自身どうやっていいのか分からないまま物語が進むことに、無性に苛立ちを覚える。なぜだろう?
かといって、後編に心揺さぶられないかというと、そうではなく、2回観たが2回ともボロ泣きした。
2回目の鑑賞になると、具体的に心揺さぶられるシーンが詳細に分かる。
ネタバレになるのであまり書けないが、晃がやる気になって過ごす毎日の中で、父親との朝の時間がどんどん真っ当になっていくくだりは、脚本家としての足立紳の実力を痛感したシーンだった。
劇的に強くなったり、人生が面白いように上手く好転する訳じゃないんだ。ごく当たり前の毎日を過ごし、その中でのひとつひとつを自分の血肉にしていく繰り返しなんだ。と、改めて心に刻むシーンでもあった。
上映後、最終日に鑑賞していた数少ない観客の中では、非常に作品に感動されていた方もいらっしゃった。
劇場を出るとカウンターに、劇場に入る前にはいなかったマネージャーの実紀さんがいて
「あれ? 今日も観たの?」
と聞かれる。
近くのソファに腰かけた館主の照さんは
「後編の方が盛り上がって面白いけんな」
と言ってくれたが、
「実は、前編に思い入れが強くて、納得いかない後編をもう1回観に来たんですよ」
と答える。
かなり天邪鬼だ。
次の日も仕事があったので、話しもそこそこ、足早と劇場を後にした。
鑑賞後、足立作品についての考察
これを書いている今、あの時の状況と変わって、ふと感じたことがあった。
足立紳作品の『喜劇 愛妻物語』にしろ、『アンダードッグ』にしろ、もっと言えば、自分の日常にしろ、イライラする場面は同じなのだ。
「やらなきゃいけない事は分かってるんだから、歯食いしばってやれよ!」
その1点。
乱暴にいえば、『喜劇 愛妻物語』の豪太には、家族をないがしろに、もっと言うと捨ててでも脚本家として踏ん張って欲しいし、『アンダードッグ』の晃にも、「壊れた家族を元に戻すよりも先に、お前にはやることがあるだろう!」と思ってしまう。
ただ、それは
「今の自分自身に対して、本当は思っていることなんじゃないか?」
と、この作品を観たのと、ちょっとした自分の身辺変化も重なって気付いたこと。
豪太にとっての脚本、晃にとってのボクシングと同じようなものが、自分にもあり、そこから目をそらしていることを、まざまざと見せつけられているんじゃないか?
足立作品を観ることで、作品に触発され、自分の日常の中にも
「やらなきゃいけない事は分かってるんだから、歯食いしばってやれよ!」
ということが、形として現れているんじゃないか?
その自分の大事なものから目をそらしている事実に気づかされて、それが知らないうちに無意識に自分を責めているんじゃないか?
だからイライラしてしまうんじゃないか?
と思ってしまった。
後編の晃のうだつの上がらない期間に比べたら、自分が大切なものに目を背けている時間は、比べものにならないくらい長い。
他人のことはハッキリ見えるが、自分のことは全然見えてない。
『アンダードッグ』
この作品は、これから自分が岐路に立った時に、
何度も何度も観返す作品になるような気がする。