見出し画像

出演 YouTube 動画セルフ解説 1: 吉川の研究と『新しい認知言語学』談

少し前ですが,本が出ました

『新しい認知言語学』という言語学の論文集で,私は編者を務めるとともに,論文を1本寄稿しています.編者は3人なので共編著ということになります (ちなみに私にとっては初の共編著です).言語学を専門とする大学院生と研究者を想定読者としていますので,かなり専門性は高いと思いますが,ご興味があれば是非読んでみてください.

ごくごく簡単に内容を紹介すると,タイトルの通り「認知言語学」という言語学の一分野における,ある種の「刷新」の必要性を訴えるものになっています.

ただ,実はこの書籍の内容については既に某所でいろいろと語っていまして,ここで文章でいろいろと書くよりもそちらをご覧いただいた方が早いのではないかと思っています.

ということで,この記事では私が出演している YouTube 動画をセルフ解説することで拙著の紹介・宣伝を行いつつ,関連する内容を掘り下げていきたいと思います.動画の配信元は大学院時代の恩師である慶應義塾大学文学部の井上逸兵先生が同僚の堀田隆一先生と共に運営している「いのほた言語学チャンネル」という YouTube チャンネルです.

なお,動画は4本撮りしてますので,何事もなければこれから4週にわたって動画が公開されることになります.今のところ,4本とも今回のような形式でセルフ解説する予定です.

吉川について

現在の所属について

動画はまず私の紹介的な内容から始まっています.note 上では簡単にご紹介していますが,ここでは所属している群馬大学の情報学部について少し補足しておきたいと思います.

以下の記事でご説明したように,また動画内でもお話していますが,所属する群馬大学情報学部は「文理融合」の学部で,構成される 4 プログラムのうち 2 つが文系,2 つが理系という構成になっています.特に「理系」に位置づけられるプログラムの一つが「データサイエンス」のプログラムであり,動画内で私が「『情報学部』的なものが増えている」といった趣旨の発言をしていますが,そこではまさにこのデータサイエンスを扱う学部・学科のことを念頭においていました.

ただ,一つ補足しておかなければならないのは,群馬大学情報学部は確かに「情報学部」となってから4年目でありまだまだ「新しい」学部なのですが,その前身としてもっと長い伝統を持つ「社会情報学部」という学部が存在しているということです.「前身」とは書きましたが,社会情報学部として入学された学生さんがまだ在籍していますので,組織としても残っていて,多くの場面で「情報学部・社会情報学部」のように併記される形となっています.

社会情報学部の設立は1993年とかなり古く,30年以上の伝統があります.もちろん現在のような形になるまでに (学部名の変更も含めて) 何度か大きな組織の改編があったようですし,今のような形の「文理融合」「データサイエンス」を前面に出すような学部ではなかったかもしれませんが,それでも「社会」を見つめる人文社会科学的な立場と,「情報」を対象とする理工学的な方法論双方を重要なものとして扱ってきた伝統があるように思います.

吉川の「企画」と辻幸夫先生について

動画では「吉川が学会で企画する催しはいつも大盛況」的な話になっており,随分持ち上げていただいていて非常に恐縮ですが,その流れで言及している「企画」は2023年3月に社会言語科学会 (JASS) の研究大会 (JASS47, 東京国際大学) で主催した「認知と社会のダイナミズム — 創発・伝播・規範から読み解く言語現象の諸相—」というワークショップです (発表論文の書誌情報は以下の通りです).

ワークショップの内容については後述する書籍の内容と重なりますのでここでは割愛しますが,動画で慶應の名誉教授である辻幸夫先生のお話になっていますので,その点について少し補足しておきたいと思います.

辻先生は法学部のご所属でしたが,私の所属する文学部でも授業を担当されていて,学部4年時と大学院の修士課程の際に授業等で大変お世話になりました.辻先生が法学部で担当されているゼミにも聴講と言う形でお邪魔していましたので,「辻チルドレン」の一人と言っても差し支えないと勝手ながら思っています.なお辻先生との思い出については恐らく今後公開される別の動画でも語っていると思いますので公開された折にはそちらもご覧いただければと思います.

動画の流れとしては,言語を考えるには「社会」と「認知」双方の視点が必要である,という立場が辻先生と共通する,というお話になっています.辻先生は基本的には認知言語学か認知科学の観点からことばを扱う諸研究を授業の題材にされていましたが,その際によく黒板 (ホワイトボードだったかもしれません) 書かれていた図があります.それは授業で扱っているテキストに登場するものではなく,また例えばソシュールの記号 (シーニュ) の図のようにどこかで目にしたことがあるような「よくある図」でもなく,辻先生のお考えを象徴する独自のものだったように思います.

記憶の限りでは,その図は以下のようなものでした.言語は「認知」「社会」「記号」の三角形で考えなければならない.そんなことをよくお話されていたように思います.「認知」には推論のような高次のものはもちろん,神経系の活動という低次の「物理的」なものも含みます.実際辻先生は神経心理学にもかなり精通されていて,授業内でもよく脳のお話が登場していました.

図1. 言語を考える上で必要となる「認知」「社会」「記号」の三角形 [辻幸夫先生がよく書かれていた (ような気がする) 図をおぼろげな記憶を元に再現]

なんということのない図かもしれませんが,当時「認知」ばかりに目が行っていた私に「社会」的な視点の必要性を常に考えねばならないという意識を植え付けたのはこの図に象徴される辻先生のお話であったのは間違いないように思います.

吉川の研究テーマ「規範」と影浦峡さんについて

思い返すと,note 上ではあまり私の研究テーマについては記してこなかったかもしれません.自身の研究を紹介する際にはいくつかのキーワードが挙げられますが,動画内では「規範」という視点からの研究についてお話しています.

上述のワークショップでもこの「規範」を題材としたお話をしました (「自分勝手に規範的: 規範の推定と追従からせまる言語の姿」).また堀田先生へのご質問への回答で言及している「慣習と規範の差異」について論じた学会発表は以下です.

ここで補足したいのは,私が「規範」という概念について考え,また中心的な研究テーマとして扱うに至った経緯についてです.動画でご説明している通り,直接的なきっかけとしては大修館が以前発行していた月刊誌『月刊言語』影浦峡さんという方が寄稿していた論考の存在が挙げられます .なお動画にコメントしている通り,影浦さんのご所属を「当時東工大だった」と言ってしまっていますが正しくは「東大」です (影浦さんは今も昔も東京大学のご所属のようです: https://www.iii.u-tokyo.ac.jp/faculty/kageura_kyo).大変失礼しました.

さて,影浦さんは,以下のように述べています.

現代の言語学は、[…] 例えば現在の高校生の言葉を、「標準」からの逸脱ではなく、それ自体、一つの自然な存在であるとみなす健全さを備えている。しかしながらその一方で、[…] 記述言語学においてさえ、今でも、「“kick the bucket” は “the bucket is kicked” とは言わない」[…] と言われる。ところが、言語実務専門家の観点からは、いずれも言えるし、いずれも、現に存在する (まさに今、少し[上]にある)その意味では、残念ながら言語学は依然として規範的である。(影浦 2008: 84,太字による強調は吉川による)

影浦峡. 2008. 言語の工学――言語実務専門家の実践と言語の科学の間で. 月刊言語, 37(8), 82-89.

これには「うーん」と唸らされました.動画内で堀田先生も仰っていますが,現代の言語学は「記述的」な態度を貫いていて,あくまでも「人々がことばをどう使っているか」「人々がもつことばの知識はどのようなものか」といった「事実」をあるがままに記述し分析することを目指し,「言語とはこうあるべきだ」という規範的な態度は徹底して排除してきたはずです.「ら抜きことば」のように世間では「間違った日本語」と言われる表現であっても,それが一定の意味・機能を持ち特定の条件下で体系的・規則的に用いられるのであればそれは十分に研究に値するし,ましてや多くの人が用いているのであればもはや実質的に「正しい」言い回しだとすら言える.そう考えてきたはずです.

しかし,一歩言語学の外に出ると,言語学者が「事実」のレベルで指摘している (と思っている) ことでさえ「事実」ではなく,むしろ言語学者の規範的態度が反映された,多分にバイアスに満ちた「主張」なのではないか? 影浦さんの論考は鋭いナイフを突きつけるかのように私の言語観,言語学観を揺るがすものでした.

ただ一方で,どこか納得がいかない,という気持ちもありました.それは言語学を学びその中で研究をしてきた身にとっては「保身」だったのかもしれません.ですが考えないわけにはいかない.考えに考え抜き,出した答えが,動画でも述べている「言語学が規範的なんじゃない,言語が規範的なんだ」というものでした.

この答えにいつ辿り着いたのか記憶が定かではありませんが,少なくともこの時までに答えが出ていただろう,という時期は推定できます.2010年3月に東京大学本郷キャンパスで行われた言語処理学会という学会の年次大会 (NLP2010) にて,私は 2 つの口頭発表を行っているんですが,実はそのうちの一つが件の影浦さんが企画した「「言語表現」と「言語」のあいだ」というテーマセッションで,私としては影浦さんへのリプライを用意して臨んだ気持ちでいました.従って,発表や発表論文で直接は言及していませんが,この時点では上の答えは既に出てたと思います.

とすると,2008年8月の記事を発売後すぐに読んだとして,論文の投稿が大会の数か月前だったと思いますので,2010年1月頃と考えると,約1年半考えて続けていたということになります.

書籍について

社会的転回と渋谷良方さんについて

後半から,動画は本書『新しい認知言語学』の紹介に入っています.

タイトルなどを紹介した後,サブタイトルにある「理想化からの脱却」の意味を説明しています.その中で,「これまでよりもっと理想化の程度を減らす」べきであり,さらにその「減らし方」は単に程度を少し下げるというだけではない,ある種の「ジャンプ」が可能ではないか,という趣旨のことを述べています.この「ジャンプ」の内実が,その後語っている「社会的転回」です.

動画内で紹介している通り,私は2021年に刊行された『実験認知言語学の深化』という書籍に寄稿した論考で「社会的転回」という用語を用いています.そして奇しくも同年,同出版社 (ひつじ書房) から発行された別の論文集 (『認知言語学の最前線―山梨正明教授古希記念論文集』) に,同じ「社会的転回」を冠する論考が存在することが発覚します.それが,『新しい認知言語学』で共に編者を務めた渋谷良方さん (金沢大学) の論考でした.それぞれの書誌情報は以下の通りです.

  • 吉川正人. 2021. 認知言語学の社会的転回に向けて:「拡張された認知」が切り開く認知言語学の新たな可能性. 篠原和子・宇野良子 (編). 実験認知言語学の深化 (pp. 213-238). 東京: ひつじ書房.

  • 渋谷良方. 2021. 認知言語学の社会的転回―言語変異と言語変化の問題を中心に. 児玉一宏・小山哲春 (編) 認知言語学の最前線−山梨正明教授古希記念論文集 (pp. 335-360). 東京: ひつじ書房.

どちらも出版時期は2021年5月,当時は互いに交流もなく,打ち合わせなど一切なし,情報交換もなし.本当の偶然です.これには何か運命めいたものを感じざるを得ませんでした.どうにかコンタクトを取り,何か一緒にできないかと考えていたところ,ちょうどオンラインのシンポジウムで渋谷さんがお話をされるということが判明しました.それが,動画でも言及している HiSoPra*研究会(歴史社会言語学・歴史語用論研究会)の第5回研究会 (2022年3月11日) でした.

そこでコメントを通して交流し,その後メールでやりとりした上で,本書のパート1 を構成しているワークショップでご一緒する,という展開となりました.ということで,本書『新しい認知言語学』は「2021年の社会的転回」事件 (?) がなければ存在しなかったもの,かもしれません.この辺りの顛末は動画では18:30あたりからお話しています:

3つのパートと母体となったワークショップについて

動画的にはその続きですが,本書『新しい認知言語学』は 3 部構成となっており,そのうちのパート 1 が上述の渋谷さん主催のワークショップメンバーで構成されています.そのワークショップというのが,2022年の日本認知言語学会全国大会 (JCLA23) (2022年9月,オンライン) にて行われた "Variation research and its implications for Cognitive Linguistics" というものです.

タイトルにある variation というのが動画でも何度か言及している「変異」にあたる用語で,「日本語」や「英語」のような「同じ言語」とされているものの中に見られる様々な「ばらつき」を意味します.一般によく知られるものとしては「方言」におおよそ該当しますが,それだけにとどまらず,例えば男性・女性といった性別によることば遣いの差異や,want to とその縮約形 wanna の選択といった「同じ意味 (とみなせる) 表現」の使い分けなども「変異」研究の範疇です.パート 1 では,こういったばらつきの実態を,コーパスデータの (主として) 統計的な分析に基づいて明らかにしようとする研究が集められています.詳しい内容は今後の動画で紹介されると思いますので,またそちらで触れたいと思います.

パート 2 は上述の通り私が主催したワークショップのうち,私以外のメンバーで構成されています.パートタイトルは「新規表現・逸脱表現からのアプローチ」となっていて,主にインターネット上で生まれ,拡散され,定着した言い回しやパターンなどを対象にしています.

ワークショップのタイトルに「創発・伝播・規範から読み解く」という文言が入っていますが,集団の中で自然発生的にポッと出てくる,というのが「創発」,集団の中に広まっていくというのが「伝播」,定着しあたかも「正しい」ものかのように振る舞い始めるのが「規範」,といった意味合いです.いずれも「集団の中」で起こる,ということが前提とされている点で「社会」的であり,それでいて個々人が思いついたり,記憶したり,誰かと話したり文字でやり取りをする際に何らかのコミュニケーション上の効果を狙っていたり,といった点で「認知」的である,ということになります.

パート 3 は3人目の編者である横森大輔さん (京都大学) が主催された「使用基盤の言語学への相互行為的アプローチ」というワークショップのメンバーで構成されています (ちなみに「ディスカッサント」,つまり「指定討論者」として渋谷さんもメンバー入りしています).当該ワークショップは2023年の日本認知言語学会全国大会 (JCLA24) (2023年9月,桜美林大学) にて行われました.

ここで言う「相互行為」とは典型的には「会話」であり,リアルタイムに展開される複数人の (社会的な) やりとりを指す用語です.パート 3 の論考ではいずれも実際の相互行為の場において特定の言い回しや文法的な形式がどのような機能や行為を担っているか,という観点からの研究が収められています.

おわりに

以上となります.思いのほか長くなってしまい残りの3本の動画が少し心配ですが,思いつくままに書いていこうと思います.関係者の皆さんで何かお気づきの点,修正が必要な部分などあれば遠慮なくご指摘ください.この記事を読むことで YouTube 動画を一層楽しんでいただけたとしたら嬉しく思います.そしてできることなら『新しい認知言語学』をお手に取って読んでいただけると,なお一層幸いです!

いいなと思ったら応援しよう!