看取り稽古と先輩後輩
見る、看る、観る・・・「みる」にもいろいろある。
「看破する」と、「看護する」って、根っこは同じかもしれないが、受けるニュアンスはだいぶ違うので、漢字をわりあてて分類するのは、整理するうえでは有用かもしれないが、それで分かった気になるのもちょっと危ないように思う。
LOOK、SEE、WATCH、OBSERVEなど、英語でもいろいろあって、それぞれの文化の中で「見る」という行為をさまざまな切り口で語り伝えることで、洗練された「見方」というものを培ってきたようだ。「みる」というのはやはり一つの技術なのだろう。
ところが、「みる」ことについての、体系的な訓練方法はあまり始動されない。
合気道の稽古において、指導演武をみるときに、話していることを頭に入れて、技の手順を頭に入れるのは「みる」技術のボトムライン。さらに、
・足の動き
・相手に触れるときの手の角度
・腰の使い方とそのタイミング
を、何も言われなくてもチェックせよ、という話をしたことがある。そうはいっても、みるポイントはこの3つ、という整理ができたのは私にとってはごく最近の話で、ほかの人には合わないノウハウかもしれないし、そもそも間違っているかもしれない。
指導演武をしていて、「何をやってるか見切ってやろう」、迫力を周りから感じると、ちょっと頑張っていろいろやってみよう、という氣が怒ってくる。お世話になってる先生があるとき、
「先生の技は、目を皿のようにして、ドキドキしながらみるものだ」
と仰ってたが、なるほど、そういう見方をされると、演武している方も乗ってくる。
「みる」技術の体系的な鍛え方はない、という話をしたけれど、だから往々にして、先輩の方がポイントを見落とすことがある。一緒に稽古している後輩にとって、思いのほかストレスになったりする。「先輩、先生はこうやってましたよ」って、なかなか言えないのが人情。
それをさりげなく角が立たないように伝える工夫をする後輩と、それを察して「なるほどこういうことか、気づかせてくれてありがとう。」と言える心の広い先輩でいられるか。
そんな、「心くばりの稽古」って、ひょっとしたら小手返しがうまくできることよりも、人生にとって大事なことかもしれない。