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死恐怖症は治るのか。「死が怖い人」が明日を生きるために(取材後記)
先日、医師で作家の久坂部羊さんに取材した。
2月7日に『死が怖い人へ』(SB新書)という新刊を出版するから取材もぜひ、というような担当編集者・北さんのツイートを読み、これは、と思った。
死が怖い人はたくさんいるだろうが、死が怖い人ランキングのなかで自分はかなり上位にいる気がするから読者として適任だし、何よりご本人から話が聞いてみたい。そうして取材を申し込んだ。
そのときの記事はこちら。
久坂部さんの作品との出会いはいつだったか、初めて読んだ本はおそらく2013年の小説『悪医』(朝日新聞出版)ではなかったかと思う。小説も新書も書かれていらっしゃるが、久坂部さんの本に共通しているのは、いつも「死」がテーマになっているということ。
実は、わたしは死をテーマにした本を読むのが好きで、死に関する情報は中学生くらいの頃からずっと集めている。自殺、他殺、解剖、虐殺、殺人犯や死刑囚や遺族の手記、犯罪心理、死刑執行の仕方、死因、未解決事件、カニバリズム、サイコパス、異常殺人。行旅死亡人の記録も毎日のようにアクセスして読んでいる。
ただ読むだけで、別に何の役にも立たない。読んだ本を記録したり紐解いたりもしないし勉強もしない。死にたいとか誰かを殺したい気持ちも毛頭ない。強いていえば、人がどのように死ぬのか、人はなぜ人を殺すのか、死ぬとはどういうことなのか(死後の世界という意味ではなく、細胞に何が起こるのかなど)を勝手に追究し続けているといえる。
一方でわたしは死が怖い。
実は今回、『死が怖い人へ』を読んで初めて「タナトフォビア」という言葉があることを知り、自分はこれなのでは……? と感じた。タナトフォビアとはフロイトの造語らしく、タナトは死、フォビアは恐怖症。つまり「死恐怖症」である。そもそも不安神経症気味ではあるが、考えてみればいずれも原因は死への恐怖につながっている気がする。
わたしの場合、自分の存在が消えることや、痛みや苦しみが来るであろうことにはまったく恐怖を感じていない。そもそも若いころから死が怖かったわけではなく、はじまりは子どもを産んだことだった。
産みたての赤んぼうを抱えて自宅に戻り、2週間くらいたったころだったろうか。睡眠不足と疲労で、ベッドの上で赤んぼうを抱いて座ったまま眠ってしまった。おそらく時間は1分か、ほんの僅か。たったその一瞬で、わたしは赤んぼうをベッドの下に落とし、彼女の頭が割れて血が出る夢を見た。
そこから、自分のささやかな過ちで子どもを殺してしまうかもしれない、子どもの命は自分の手に委ねられてしまっているのだと強く感じるようになり、死への恐怖がはじまった。
子どもが死ぬのが怖かった。
子どもを育てていると、死があまりにも身近にあることに絶望させられる。子どもはいつ、どこででも死ぬ可能性があった。
自分のそばに置いておける3歳まではまだよかった。幼稚園に上がったら離れるのが心配で、しばらくは幼稚園から徒歩10秒のところにあるドトールに毎日いた。その年は東日本大震災が起きたことも大きい。大地震や、幼稚園で何かあったときすぐ駆けつけられるようにと思ったら、自転車で10分の距離の自宅にさえ帰れなかった。
子どもが大きくなると、さらに心配は増える。自転車に乗って友だちの家に行くと言う。友だちのお母さんの運転する車で横浜に行くと言う。観覧車に乗りたいと言う。小学校に上がるとプールや校外授業があり、今でもプールがある日は一日中電話に出られるようにしている。プールの授業が終わってしばらくしても電話が鳴らないと、きっと子どもは無事なのだとホッとする。眠るときも不安だ。子どもたちがそれぞれ息をしているか、夜が明けるまでのあいだに何度か確かめ、寝ている顔を見ると安心する。
何か特別なことがあるときは不安が強くなるが、何もない日でもデフォルトで恐怖はある。毎日毎日子どもとする「じゃあね」や「行ってきます」のときには吐き気が伴うほどの不安が押し寄せる。朝子どもを送り出すとき、この姿を見るのはもう最後かもしれないと毎日思う。バイバイしてからはなるべく子どものことを思い出さないようにしているけれど、仕事と仕事の合間にふと思い出してしまうと気持ちがぶれる。給食を喉に詰まらせていないだろうか、ハサミを持ったまま転んだ子がいて子どもが刺されたりしていないか、電動糸のこぎりで切って出血多量になっていないか、ジャングルジムから落ちて気を失っていないか。
子どもの日常に死ぬチャンスはいくらでもあり、毎日毎時間こんな不安と暮らしていて頭がおかしくなりそうだと思うときもあるが、「きのうもちゃんと元気に家に帰ってきたから大丈夫」という安心を言い聞かせて積み重ねていくしかないことは、さすがに親になって17年でわかってはきた(頭ではわかっていても、というところもあるが)。
子どもたちに、どうやったら死なないかを教えるのも欠かさない。誰かが亡くなったニュースを伝えてどう亡くなったのか知らせること、どんな事故が起きたか、どうして起きたか一緒に考えること。噛み切れないお肉は喉に詰まって死ぬ可能性があること、信号を無理して渡ると死ぬ可能性があること、動いている車に近づくと死ぬ可能性があること、世の中に死ぬ可能性が溢れていること……と、文章で書くとこの親は大丈夫なのかと思う人もいるだろうけど、もちろん子どもが受け入れられるタイミングで言葉を考えながら伝えて、死なないようにするにはどうしたらいいかを話し合っている(けど、子どもたちも不安を口にすることがあり慎重派なのでわたしのせいもある)。
去年、高校生の娘が韓国に短期留学することになったのだが、そのときはもう振り込みをした瞬間からずっと具合が悪かった。悪い夢ばかり見て動悸が止まらず、飛行機に乗せる前日はほとんど眠れず、彼女が韓国にいるあいだは電波のつながらない場所に行けなかった。夜は何度も目が覚め、そのたびLINEが来ていないか確かめて、韓国で事件が起きていないかニュースを調べ、目を閉じた。韓国で起こった事件や事故を検索しまくり、今子どもがいるところとどのくらいの距離でそれが起きているのか調べた。調べたからってどうなるわけでもない。子どもを不安にさせたくないから本人には言えないし、ただただ怖い情報ばかりが増えていくだけなのに、せずにはいられない。
でも、子どもを送り出せない自分ではいたくなかった。
子どもはいつか親元を離れていかなければならないのだ。こちらがどんなに吐こうが、行かせなくてはならないことはわかっている。学校へも、習いごとへも、韓国へも。起こりうる悪い事態の情報はさりげなく伝えつつも、笑って、心配するようなことなんて何も起きないから大丈夫よと言って、送り出す。
転じて、自分の死も心配だ。
子どもたちはすでに高校生と小学3年生なので、実際そうなったらなんとでもなるとは頭ではわかっているが、わたしが死んだら子どもたちはどう生きていくのだろう、子どもたちの安全はだれが守ってくれるのだろう、という不安が頭から離れなくなる。
子どもを産んでからというもの、飛行機や新幹線や電車の先頭車両に乗ること、知らない道やいつもと違う道を通ること、観覧車やジェットコースターに乗ることや、高層ビルなどの高い場所に行くことが怖くなった。長い間ドアの開かない特急電車に乗ることも、調子が悪いと避けてしまう。
また、我が家はわたしと子どもたちだけで暮らしているので、もし自分が倒れたら第一発見者は子どもということになる。ある日突然わたしが死んでしまったら、子どもたちを驚かせてしまったり、救えなかったと後悔させたりするのではないか、ということが怖くなる。眠りにつくときは特に心配で、このまま目が覚めなかったら子どもたちを悲しませてしまう、と考えはじめるとなかなか眠れない。
子どもたちには、もしもわたしが倒れたり目覚めなかったりしたらどうするか、ということを定期的に話している。それは自分が助かりたい思いより、子どもたちに後悔させたくない思いのほうが断然強い。自分が気づいてさえいればと思ったことがわたしも過去にあり、救えなかったことを悔やんでいるので、そのことも大きいように思う。
そんなわたしだが、実は死への恐怖がほんの少しだけ薄らいだできごとがあった。父親の死だ。父は糖尿病から来る壊疽が原因で敗血症になり、植物状態になった。多臓器不全を併発し、いろいろなところに穴を開けて管を通せば生き永らえることはできると言われたものの、ICUに会いに行った父はもうそういう状態ではなかった。
何もできずにただ命がそこにあるだけの父を見舞って、時間の許す限りICUにいた。何もしていないのだからいつか死んでしまうことはわかっていたけれど、人がいつどうやってどんなふうに死ぬのか、あんなにいろいろ本を読んだくせにわたしはちっともわかっていなかった。
ある晩、何日も同じ状態でいたのに突然血圧が下がりはじめた。妹に「もしかしたら今日かもしれない」と電話して戻ったら、そこから急に意志を持ったように血圧がすとんすとんと下がり、亡くなった。
血圧が下がりはじめても、誰もこなかった。
亡くなっても、誰もこなかった。
ひとりで呆然と涙を流し、しばらくしたころに看護師がピーという音を止めにきた。その後かなり時間が経ってから、初めて死亡確認するのかなというくらいに緊張している医師が諸々を調べてくれてご臨終ですと頭を下げ、体を拭かれて着替えさせられて顔に白い布をかぶせられて、あっという間に霊安室へと運ばれた。
さっきまで点滴をして生きていた体は途端に死体として扱われ、ああ、こうやって人は死ぬのだ、と初めて知った。
人が死んでも、次の日はやってきて太陽はまたのぼる。極めて当たり前のことだがそれが実体験となったとき、死が生きた人たちの暮らしのなかに溶け込んでいることを感じた。
だからといって死への恐怖がなくなったわけではない。子どもたちを失う怖さは変わらないのだが、ただ、自分が死んでもきっと子どもたちはそれなりにどうにかしていくのだろうという気持ちには一応なれているんだな、と『死が怖い人へ』を読んで感じた。
今回久坂部さんに取材するにあたって、事前に提出する質問事項に本を読んだ感想を書いた。ここに書いたことも、本を読んだからこそ考えて、はっきりしたこともある。取材内容は記事にまとめたのでそちらを読んでいただきたいが、そのなかには書けなかったことがひとつ。
取材をそろそろ締めようとしたとき、久坂部さんが「吉川さんからいただいた文章にこうありましたね」と切り出した。わたしが事前に出した書面にあった、「自分はできるだけ我が子を驚かせないように死にたい、という気持ちが(死への)恐怖につながっているのだとわかりました」という言葉について、「そういう恐怖は初めて聞きました」とおっしゃったのだった。
そのことに少し説明を加えると、久坂部さんは「世の中にどのような死があるのか、子どもに話すといいですよ」と教えてくれた。せっかくだからこの会話を書いておく(了承済み)。
― うちはひとり親で、自分が倒れたときに子どもたちが救急車を呼ばなきゃいけない、ということになるので、驚かせてしまうのが心配で。
「普段からママはいつ死ぬかわからないよ、ということを言っておいたらどうでしょうか。いろんなパターンの死に方がありますから、できるだけ悪い死に方を伝えてイメージさせておくと、実際の死はそれに比べればマシ、ってなるものです。安らかな死とかいい死に方、死がないというようなことを言っていると、実際の死にショックを受けてしまいます。
そういう話をすると、子どもははじめ怖がったりしますけど、そのうちに慣れていきます。もちろん子どもがトラウマになったりしないよう、じょうずに伝えなくてはいけません。ママが死ぬ話として伝えたらショックが強いですから、世の中にはこんな死があるんだよと、子どもの反応を見ながらバランスをとりながら。『戦争だってあるし、死はいつだって起こりうるんだよ、でも今は大丈夫だからね』って安心させながら伝えることも大切です」
― 確かに子どもは、死=老衰をイメージしているかもしれません。おばあちゃんになると死ぬんだ、というような。
「危機管理というのは、できるだけ悪いことを考えて備えるということです。悲惨なものからはどうしても目を背けたがるでしょう? でも嫌がらず、嫌なことにも目を向けて慣れていくことが大切なんです。そうすると、今っていう時間の大事さが際立っていくんですね。明日も今日と同じ日が来るはずって思うから、今日を無駄にしちゃうんですよ」
わたしはこれを聞いて、ああ、つまりわたしは大丈夫なんだ、これでよかったんだ、と初めて死が怖い自分を肯定できた。なにせ死ぬことばかり毎日考えているので、子どもたちとの時間に後悔はない。もちろん連れて行きたい場所やしてあげたいことは山ほどあるけれど、今日、今、できる範囲ではやれていると思う。
親や家族、友だちに対しても同じだ、と言いたいけれど、実はそこはイコールではない。また会おうと思ったままになっていた人の訃報が届いたことも、この数年で二度あった。
死を考えることは生を考えること。
取材記事の最後にもこう書いたとおり、生き方について考えるために死に目を向けるのだ。『死が怖い人へ』もそうだし、久坂部さんの本は他の作品も「死」をテーマにしているのに、読み終わるとなぜか「生」について考えたくなる。
こんなふうに取材の裏側を書こうと思ったのは25年もインタビュー仕事をしてきて初めてだが、心が動いたこととして残しておく。今日思ったことを大切にしながら生きてくために。
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