入院生活について
以前書いた入院中の記事には足りないことが多すぎたので再稿。
ひとことで言うならほんとにしんどかった。
最初の5か月は総合病院で入院してて、手術やその傷の回復だったり、左半身麻痺の体で生活するための基礎中の基礎のリハビリしてたんだけど、ここのリハビリ設備じゃ限界があるってことで、リハビリ専門病院に転院することになった
・2023/3~2023/8 総合病院
・2023/8~2023/11 リハビリ専門病院
こんな感じで、2023年3月に入院、8月に転院して3か月でリハビリ専門病院は退院できた。
ちょうどコロナ禍だったこともあり、両病院では面会は制限された。
にもかかわらず、総合病院で入院中、本当はダメだけど、当時の彼女が会いに来てくれて、自分の病室で久しぶりの再会を喜んでいたころ、ナースステーションでは「〇〇(自分)の病室にいる人誰?」ってめっちゃ問題になっていたらしい(退院後にお世話になった看護師の人たちと飲みに行ったとき、チクッと言われる程度で済んだけどね。)
本当は病院のベッドの上で弱ってる姿なんて見られたくなかったけど、それ以上に会いたい欲求が勝って、恥を忍んで会いたいって言った。
彼女とは遠距離だったせいで、俺が病気して緊急搬送された時連絡できずにとんでもなくつらい思いをさせてしまった。(飛んだと思ってたと後から言われた。)
謝ってどうにかなることではないけど、俺も手術後に意識がない中で必死に連絡しようとしてたらしいことを、家族から聞いた。
意識ないのにスマホ触ろうとするから、手に持つことすらできず、電源付ける→消すを繰り返してたらしい。
意識がない間はめっちゃリアルで不思議な夢を見ていて、確かに夢の中でも家族に「スマホまだだめ!」って怒られてたんだよね。
夢と現実がちょこちょこリンクしてるところがあって不思議。
ただひとつ、彼女に会いたいって思いで頭がいっぱいだったことは夢と現実で共通してた。
以降も彼女には毎日、しんどい入院生活の中を励ましてもらったり、たまに電話して、退院したらしたいことを話したり、日々生きる希望をもらって、つらく苦しい入院生活を乗り越えられたのは間違いなく彼女のおかげだったと言えます。
さて、以下はタイトルになってる入院生活について書いていきます。
合計8か月だからね、8か月!
まずはじめに最初の5か月の総合病院での日々について。
人生で初めての入院。
1回目の手術を終えてからの数か月間が最もしんどい時期だった。
右脳側の頭蓋骨の一部を切り抜いた手術で、術後も、やむを得ず頭蓋骨がない状態で過ごすことになった。(深夜の緊急手術だったせいで切除した頭蓋骨を適切に保管できる準備できなかったらしい。)
同年7月とかに二回目の手術で切除した頭蓋骨に合わせて作った人工骨を嵌め直すまでは、やむを得ず頭蓋骨がない状態で過ごすしかなかった。
病室を出るときは万が一転倒しても保護できるようにラグビーのヘッドギアみたいなヘルメット被ることを義務付けられた。
術後にまず地獄なのは傷跡の痒みだった。
先生方からは掻かないようにしてねって言われてたけど、理性で抑え込めるレベルの痒みじゃないから、たまにぽりぽり掻いてしまった。
これは同じ体験した人にしかわかんないと思うけど、頭蓋骨がない頭ってぶよぶよしてるんだよね。皮袋に水入れてつんつんしたときの感触が似てる。
触ると、頭皮の下にすぐ脳があるのがわかってキモかった。
ある程度治ってくると、抜糸しますよーってことで、ベッドの上で寝ながら「ちょっと痛いけど我慢してねー」って、麻酔なしで傷跡の抜糸をした。
点滴とか採血とかで体中に針刺されてたし、痛いには痛いけど、まだ我慢できる痛みだった。(血管細い体質だから針がうまく血管に刺さんなくて何度か針刺し直されたりもあった。)
傷跡の痛みは結構早い段階でなくなった。
寝るときは頭蓋骨がない右側を下にすることを禁止されていた。
でも基本的にはベッドで1日中横になって過ごすから、おのずと頭の左側を下にする時間が増えた。
その影響で、左耳が折れる時間が長すぎて、耳が餃子みたいになってめっちゃ痛くなった。
ドーナツみたいに真ん中に穴が空いてる枕を母親が買ってきてくれたので、うまい具合に穴にフィットさせて寝れば耳餃子問題は案外すぐに解決した。
続いて入院中の代表的な問題の一つ、食事について。
術後すぐとかは全身麻酔の影響とかで体が弱り切ってて固形物を飲み込むこともできないから、術後の数か月間は点滴のみで体の栄養を補ってた。
時間が経って多少回復すると、ST(言語聴覚士)のリハビリで嚥下能力(飲み込む力)のチェックとして、赤ちゃんが食べるようなサイズの青りんごゼリーを食べさせてもらった。
昆虫ゼリーみたいなサイズ感のやつで、それを小さいスプーンで少しずつ口に入れてもらった。
人生で感じたことのないほどの味覚の喜びだった。
ずっと点滴だったから、舌で味を感じるのがこんなに嬉しいと思ったことはなかった。
嚥下能力が回復してきてることがわかると、先生や看護師に一生「腹減った」って言い続けてたおかげか、その日の夕食から口で食事を食べる許可が降りた。
食事とは言ってもいきなり白ご飯におかずとかではなくて、シンエヴァのシンジくんがヴィレに軟禁状態だったときに与えられた食事のような感じの、どろっとしたおかゆとか重湯的な流動食や煮凝り、ミキサー食が中心で、それにデザートとして学校の給食で出るようなゼリーがある程度だった。
仕方ないことなんだけど、そんな食事とも言えない食事を、自分より年下の女の子の看護師に食べさせてもらっていた。
他にも着替えや体を拭かれたりとかも看護師にやってもらっていた。
ちなみにトイレに関しては、ずっと点滴のみだったせいで大きい方は一切出なくて、小は股間にカテーテルが繋がれていたので流しっぱって感じだった。楽だけど常に繋がってるわけだから違和感が凄いんだこれ
そんな感じで介助されるのが当たり前だったから、もはや恥ずかしいとか屈辱とか思わなくなるし、昔はスキンシップとか無理だったタイプの自分でも看護師が色々気を使ってくれて少しずつ入院生活に慣れていった。
食事に関してはSTの先生の理解があったおかげで結構早い段階で普通の入院食に切り替えられた。
嚥下の問題なんてなかったように普通にババクご飯を食べる自分を見て、STの先生は自分だけ特別サイズの白ご飯にしてもらえるよう、主治医と栄養科に掛け合ってくれた。
入院食は学校の給食をさらに味気なくした感じで普通に美味しかったんだけど、ドレッシングかけたサラダにみかん入れたりするのはまじやめてくれとおもった。
あと、ご飯に関してこれだけは物申したい。
普通の食事が取れるようになってから数か月後、いい加減入院食にも飽きがきていたので、残す量が多くなってきた。
そんな自分に看護師が「主食をご飯からパンに変えられるけどどうする?」
ということで、まずは朝食だけ主食を白ご飯→食パンに変えてもらった。
6枚切りくらいの厚さの食パン2枚を焼き立てみたいな温かい状態で付属の適当なジャム付けて食べることができて、これはまじで美味しかった。
ただ、ここだけは物申したい。
パンが美味しいのは大変結構なんだけど、おかずがさぁ、主食ご飯の時と同じおかずのままなのおかしいでしょ
食パン×サバの味噌煮×煮物×味噌汁とか、どう食えと?って感じだった。
病院の都合的に仕方ないのと人によっては気にしないのかもしれないけど、俺はダメだった。
ただ、入院前は週3くらいでマックとかケンタッキー食べてた自分には物足りなくて、先生にお菓子とかおやつ解禁してもらえないか頼んだ。
先生の懸念はやはり嚥下問題だったようで、豪快なご飯の食べっぷりに問題ないことがわかると、意外とすぐにおやつが解禁になった。
毎日のように見舞いに来てくれる家族や親せきに持ってきてもらう形で、おやつとジュースも好きなように飲食できるようになった。
最初はとにかくさっぱりしたものが食べたくて、ウイダーを持ってきてもらった気がする。
そんな感じで食に関しては改善の兆しが見えてきて、入院生活にも慣れていったわけだけど、
基本的にはご飯食べたりリハビリ、先生の回診や採血、お見舞い対応以外は寝てるだけなので、朝は8時前に起こされて5分後に朝食食べて、寝て、21時には消灯みたいな規則正しい毎日を送っていたのに、単純に摂取カロリーが消費カロリーを上回る日々なので、あまりよくない太り方をした。
小学校に一人はいるお米大好きおにぎりくんみたいなぽちゃっとした太り方だった。
さらに寝てるだけなので筋肉はどんどん減った。
そんな誰もが思う「毎日ただ寝てたい」を叶えた日々を過ごして、ある日彼女が会いに来るということになった。当時は遠距離だったので、簡単なことではなかったけど、お互いの会いたい気持ちは目の前の多くの障害を乗り越えるには充分だった。
駅→病院の送迎等家族にも協力してもらえるよう頼んで、なんとか実現する運びとなった。
いよいよ当日、病室のベッドを区切るカーテンがさらりと開いて、何か月ぶりかの生彼女を見たときは、その瞬間まで言いたいこと、伝えたい言葉で頭がいっぱいだったはずなのに、彼女を見た瞬間、何を言葉にしたら良いかわからなかった。
絞り出すように呻いた言葉は「ごめんね」だった気がする。
彼女から見た俺の姿はきっと変わり果てたものだったろうに、心配そうに「大丈夫?」と声をかけてくれた。
そして俺の手を取って腕細くなったねと泣きそうな声で言った。
せっかく触れられる距離に彼女がいるのに立って抱き締めてあげることもできない。
そんな自分の情けなさ、惨めさにやるせなくなった。
ただ、せっかく会えた短い時間、暗い雰囲気にしたくはなかったので、あくまで病気前の自分でいようと努めた。
彼女が帰った後も、彼女が持ってきてくれたアポロを泣きそうになりながら食べた。
確か、桜が咲く季節のことだったと思う。
こんな病気してなければ一緒にお花見行ったり、お散歩デートしたり、色んなとこに行って多くの楽しい思い出を作ることになったはずだろうに、後悔という言葉すらおこがましく思うほど彼女にはひどくつらい思いをさせてしまった。
どうしたら良かったのかな、俺なりにそれこそ死ぬ程頑張ったけど、望む結果には足りないものが多すぎた。
でもほんと、健康って一番大事!
当たり前のことだけど、自分の体を作るのは日々の食事で、
朝8時前には起きて夜は22時前には寝るみたいな生活が健康の源なんだなと入院生活から教訓を得ました。