退院して丸一年

2024年11月現在、去年2023年の11月にリハビリ専門病院を退院して丸一年が経過しました。(合計8カ月の入院生活でしたが、ずっと同じ病院じゃなくて最初の5カ月は総合病院で入院→リハビリ専門病院に転院して3ヶ月入院って感じ)
入院当初は、スマホすら持たせてもらえなかったり、日々何かを失っていく喪失感に抗おうにも入院という制約が多すぎる環境では何もできないままただ時間が過ぎ去るのを待つ日々でした。

さて、今回の記事はこの1年間で思い出深い出来事について書いていこうと思います。


時系列とか関係なしに思い出した順に適当に書いていきます。

まずは素敵な女性に出会えたことについて。

この病気を機に煙草をやめたこともそうだし、日常の中でなんとなく手持ち無沙汰な時間を感じることが増えてきたので、そんなちょっとした日常の隙間を埋めようと、インスタかなんかの広告で見かけたとあるSNSをインストールしてみました。

なんとなく心を病んでたり何かしら傷を抱えたユーザーが多そうなSNSで、ランダムに選ばれたユーザー同士チャットで交流するような機能もあったりして、面白い人多いなぁって思いつつ暇潰し程度に色々な人と映画やアニメ、本の話をしたり、SNSを続けていました。

そんな中、アプリ内サービスのひとつで、ランダムなユーザーに質問を送る的な機能でこんな質問が来ました。

「リフレッシュしたいときどうしてますか?」

自分は「友達と飲み行くとか外に出て他人と関わります」

と返事をして、そんな感じで会話が始まりました。

この人と出会うまでは他の人と会話が続いても数ラリーしてどっちか返事しなくなるみたいな、すぐに話が途切れるみたいな人ばかりでしたが、この人(以降は便宜上Aさんと呼びます)との会話は何日経っても途切れることはなく、日常の些細なことを言い合ったり、お互い読書が好きという共通点があったりしたので、Aさんとの会話は、いつのまにか自分の中で日常の一部となっていました。
自分の病気のことも話すと嫌悪感なくすんなり受け入れてくれました。

そうして日々を積み重ねる中で、自分は友達と焼肉を食べに行って、その報告をしました。

その会話の流れから、いいなー焼肉ってなって、食べに行きましょうよ焼肉!ってなんとなく言った一言で、じゃあ会って一緒に焼肉食べに行きますかってことになりました。

自分は秋田県に住んでて、障害もあって自由に動けないし色々な不安はありましたが、こんなに楽しく会話できる人は本当久し振りだと思って、ぜひ会ってみたいと思ったんですよね。

Aさんは関東圏に住んでるらしかったので、簡単に行き来できる距離じゃないですから、それから約2ヶ月、Aさんに秋田に来てもらう形で、秋田旅行の計画を一緒に練りました。

まさか日帰りってわけにもいかないので、二泊三日ってことにして、ホテルで2泊することになり、自分もAさんもできるだけ一緒に過ごしたいということで、ホテルのバリアフリールームで一緒に泊まろうってことになりました。


それから2ヶ月後、綿密に綿密を重ねて計画を作って、いよいよ秋田旅行当日になりました。

2人で合計十数万の決して安くない費用がかかることになりましたが、

Aさんは初めての秋田だったので、タクシーを貸切にして、男鹿のなまはげ館など、秋田の有名な観光スポットを一緒にデートしました。

当初の目的の焼肉ももちろん一緒に食べに行って、2人で軽く飲んで、めちゃくちゃ良い感じで一緒にホテルに帰って、病気して本当に久し振りに、幸福だと思える夜を過ごすことができました。

彼女は介助のプロなどではないですが、自分も一人でできること増えていましたし、左半身麻痺を抱えつつも、大人の女性一人でも大して困らない程度の介助で、秋田旅行を一緒に過ごすことができました。


でも、まじで凄くないですか?

自分が左半身麻痺とわかっていながら関東圏からわざわざ秋田まで会いに来てくれて、慣れない介助もしてくれながら慣れない土地で一緒にデートしてくれて、


しかも自分は装具着けて歩いてるから20分も歩くと足が痛くなってしまうので、そういう事情も理解してくれて、「足大丈夫?そろそろ休憩する?」って彼女から気遣って言ってくれるんです。

そして、彼女は自分に本の栞とマグカップとお手紙とお土産を、自分は彼女にペアルックのネックレスをプレゼントしたりして、


旅行中、喧嘩もしましたが、お互い大変満足できたいい思い出になったと思います。

彼女には大変な心労をかけてしまったと思いますが、それでも旅行は本当に楽しかった、秋田来て良かったって言ってくれて、退院してから間違いなく一番楽しい思い出になりました。


秋田旅行の計画を練る2ヶ月間、お互いに会いたくて仕方なくなっていたので、旅行当日、秋田駅の新幹線の改札を抜けてきた彼女の姿を見たときの感情はどう言葉にしたら良いものかわかりません。

彼女とは今でも毎日おはようからおやすみまでラインをして、とても良い関係を築くことができています。


病気をしてなかったらきっと出会うきっかけになったSNSはやってなかったと思うので、以上の彼女との出会いは、病気して唯一良かったことになります。



さて、話は変わりますが、ここ1年で思い出深い出来事のひとつで、亡くなった友達の実家にお線香をあげに行ったことという話を書こうと思います。


自分が入院中、スマホを触れるようになってすぐの頃、皆同じ時間の中で歩みを進めているのに自分だけ病院のベッドの上で、世界に置き去りにされているかのような孤独感に苛まれていた頃、数年会っていなかった後輩に連絡を取ってみました。

実は病気して今病院のベッドの上から連絡してるんだよね……。みたいな感じで、近況報告をしてから、仲良かったグループのやつら何してる?って話になって、自分が高校の頃一番仲良かった奴(便宜上S君とします)

S君とか何してるかわかる?って話をしたところ、Sさんは亡くなりましたよって後輩に告げられて、頭の中が真っ白になりました。

何故亡くなったのかとか、疑問は絶えませんでしたが、その後輩が何でも知ってるわけないので、わかる範囲で事情を教えてもらって、そんじゃあ退院したら一緒にお線香あげに行こっかということで話は終わりました。

Sくんと自分はどこか似たところがあって、S君は毎日のように自分の家に遊びに来てくれたりして、一緒にゲームしたりボカロ聴いたり高校時代の日常を一緒に過ごした大切な友達のひとりでした。
S君が亡くなった原因等、彼のパーソナルなことは敢えて詳細に書きません。


さて、2023年の11月に退院して、次の月の12月、後輩と一緒にご飯を食べに行きました。

そこでは当然S君のお線香あげにいく話もしましたが、いきなりお邪魔するわけにもいかないので、後輩がS君のお父さんと連絡を取っていつお邪魔していいか聞いてくれるとのことでした。

後輩もお父さんも忙しい人なので、すぐにこの日ってことには決まらず、それから数ヶ月空いて、Sさんの実家行く予定がついたので行きましょうって後輩から連絡がきました。

S君の死を知ってから約10ヶ月近く経って、ようやくお線香をあげることができました。

お供え物として相応しいかわからないけど、一緒にいたら飲んでただろうなってことでアサヒスーパードライと、Sくんが吸ってた煙草を買って、仏壇に供えました。

仏壇の写真には幾分大人びたSくんの懐かしい顔が見えて、泣きそうになりました。

傍にいたSくんのお母さんがよく来てくれたって涙を流していて、自分の左半身麻痺を心配してくれて、生きてるだけでいいんだよ、こうして会話できることがどれだけ貴重なことか、ヨシくんのお母さんは幸せ者だね〜ってことを何度も繰り返していました。

自分もギリギリのところとはいえ、なんとか命は繋がれているので、この瞬間は母親や多くの人に対して、あー生きてて良かったなぁと思えました。

お母さんは幾度となく「生きてるだけでいいの」って涙を流しながら言うので、自分のように体の半分が動かない不完全な形でも命があるってことは尊いことなんだと再認識できました。


さて、以上でS君のお線香をあげに行った話は終わります。


思い出深い出来事というか、退院した日に母親が車で迎えに来てくれてその足でマック行ってサムライマックのセットとコーラ、チキンナゲットを買って帰って食べたあのマックの味は生涯忘れられないと思います。
健康を最優先した味気ない入院食とは真逆の体に良くないであろう旨味成分100%のカロリー爆弾。

なんで体によくないものほど美味しいんでしょうね、残酷ですよね。


あーマック食べたい




さて、今回の記事は退院してからの1年間で思い出深い出来事ということで書きましたが、いかがでしたでしょうか。

少しは暇潰しになったでしょうか


また不定期に更新しますので、気が向いたら見てやってください。


いいなと思ったら応援しよう!