自分は身体が半分動きません
今回の記事は、いつものエッセイ的な記事とは違って、暇なときに頭に浮かんだ言葉を手慰み程度に綴った文章になるので、(単純に文章を書くのが好き)
連続性とまとまりがありません。
自分は体が半分動きません。
あらゆる事象における半分とは、50%、1/2、5割、割る2など表現の仕方は色々あるけれど、半分とは果たして、大きい割合になるのでしょうか。
半分「も」なのか半分「しか」なのか、それは身も蓋もない答え方をするなら「人による」というひとことに尽きるのでしょうし、なにを半分にするかによって、感じ方は変わってきますよね。
例えば、お金で考えるとわかりやすいです。
10円の半分をあげると言われても、5円もらったところで、買えるものはかなり少ないですよね。この場合多くの人にとっては半分「しか」になりますが、
仮にこの母数が10億円という数だったら、5億円「も」に代わります。
そしてこれがあなたの体の半分を奪われると考えると、殆どの人は半分「も」になりますよね。これはもちろん自分も同じで、
身体の半分が動かなくなると、失うものって「体が半分動かなくなる」という事象だけではなくて、本来なら得られていたはずの人生における全てを失ったことと同義なんですよね。例えば、恋人とデートしたときに繋げたはずの左手、両腕で抱き締めて与えてあげられたはずの温もり、重そうな荷物を持ってあげるとか、ちょっとした優しさ
等々、挙げればキリがありませんが、いわゆる「普通」に共有できた多くのこと
これを失ったことも意味します。
以上を含めると少なくとも半分「しか」には当たりません。
体を奪われるということで考えるのならば、半分どころか一割、10%でも冗談じゃないと思うのが普通だと思います。
今からあなたの右足の親指の爪はもうあなたのものではありませんと言われても、普通に気持ち悪いだけで意味がわからないですし、嫌ですよね。
そんな感じで、左半身麻痺になるということは、体の50%がまるで自分のものじゃないみたいで、突然訪れたこの悲劇に、困惑すら感じる心の隙間もなく、未だに受け入れがたい現実に打ちのめされる日々です。
リハビリ次第とはいえ、これから命が尽きるまでの何十年かをこの体で生きなければならないというのは、自分は一体前世でどんな悪事をしたのでしょうか。
さて、今回の記事は今までで最もよくわからない内容になってしまいました。
同じような病気、境遇にある人は多少は共感できる部分がありましたら幸いです。