27歳で左半身麻痺になるということ

お久しぶりです。
2025年初めての記事になります。

この病気になって毎日を過ごしていると、ふとした瞬間に思うことはたくさんあるのですが、もしも病気になっていなかったらっていうのはどうしても毎日考えちゃいますよね。
ただ、病気になる前まではそれなりに好きな人生を歩むことができていたので、
この病気になったからって過去の自分の選択を否定したくないんですよね。
過去を恨むには嫌いたくない思い出が多すぎる。

さて、今に視点を戻してちょっと書いていこうと思います。
現在29歳の自分は、2年前の3月、27歳にして脳梗塞を患い、後遺症として左半身麻痺が残りました。
まさか自分がこんな病気になるなんて文字通り夢にも思わなかったですし、初めての手術を終えて病院で目が覚めて、意識がはっきりして自分は左半身麻痺になったんだとしっかり認識はできても、その時点ではまだ病気の実感というものはありませんでした。

意識がはっきりしてから数日経って、理学療法士や作業療法士、言語聴覚士といったリハビリの先生なる人々が病室にきて、確か最初はOT(作業療法)の簡単な訓練をしたんだったかな。
優しい女性の先生で、
「はい、左手どこまで上がりますか?」と言われていつも通り動かそうとしたら、左腕が肩から先に付いてる棒としか思えないほど言うことを聞いてくれない。
いやほんと、この瞬間は絶望どころじゃない、「え、なにこれ」って感じでよくわかっていなかったんですよね。
ようやくはっきりと「あ、この病気は尋常じゃないやつだ」と実感しました。

それから少しずつ回復していって、やっと車椅子に乗ってリハビリルームまで行けるようになると、左足に仮装具を装着して、杖を突いて80,90近いじいちゃんばあちゃんに混ざって平行棒を伝って足を引きずるように歩いたり、
プラスチックのコップを左手で持てないなりに持って所定の位置に置くみたいなリハビリを重ねました。
俺はこんなこともできなくなったのかと、今まで感じたことのない惨めさを痛烈に感じる日々でした。
ついこの間までは一人で新幹線に乗って出張してバリバリ仕事したり、恋人と幸せな時間を過ごしたり、バスケしたりしていた自分とのあまりにも激しい乖離に、現実を受け止めるには悟りを開けそうなほどの自問自答と物理的な傷の癒える充分な時間を必要としました。
そういう意味では、合計8か月という長すぎる入院期間は必要なものだったのかもしれません。

病気してから出会う人は口々にこう言います。
「まだ若いのにそんな病気になるなんて大変だね」

これはある種自然な反応なので、自分も「ほんとそうですよねー、あと3,40年遅くたっていいのにね~」って返しますが、
現実として病気になってしまったものはどうしようもありません。
同年代の友人は当たり前のように結婚したり子供と家庭を育む中、まるで世界に置き去りにされたかのような喪失感に襲われる日々。
それでもこんな自分を必要としてくれる人と職場には恵まれたので、
恩返しという意味も込めて腐らずに一生懸命生きていきたいです。

誠実に、善良に生きていればいつか今より幸福と思える未来がくることを信じています。
多くの人が20代後半から30代前半くらいで結婚をしたり、仕事でバリバリお金稼いだり、ちょうど人生の一大イベントが起こりやすい年齢なのに、なにやってるんだろうなってことを嫌でも考えてしまいますし、
俺はただ、静かな土地に戸建て建てて、天気の良い暖かい日に、愛する奥さんと子供を横目に見ながら太陽の光が当たる縁側でコーヒー飲みながら読書をするみたいな、キラキラ派手じゃないけどささやかで柔らかい幸福に包まれた日々を送りたかった。

さて、今回の記事は普段人に言えない胸中を文字に起こしてみました。
それではまた更新したら暇つぶしにでも見てやってください。



いいなと思ったら応援しよう!