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岩内町西小学校の校歌。

岩内町生まれの岩内育ちでも、まだまだ知らないことが沢山ある。
小学1〜2年生は、岩内町西小学校に通い。小学3年生から引越しをきっかけで岩内町中央小学校に転校したけど、「はじめての校歌」を入学してから練習するから、思い入れがある校歌です。

不定期で、かなっぺの歴史散歩をnoteに綴っていますが…
SNS経由で、こんな質問を頂くことも!!

岩内西小学校の校歌は、作詞:荻原 井泉水(おぎわら せいせんすい)
作曲:團 伊玖磨(だん いくま)

1.岩内山は 雪の日も
  若葉したたる 夏の日も
  朝はかがやく 太陽の
  高い心 もちましょう もちましょう

校歌って奥が深いですね。
そして、團 伊玖磨と聞いてピンとこない方もいるかと思うのですが…
こどもも知っている童謡では「ぞうさん」や「おつかいありさん」の作曲をした方です。

その様な方が、何故?北海道の岩内町の校歌を?!
私も、気になったので…やや暫くの間、調べてみました。

岩内町立岩内西小学校は、明治34年 尋常科3年生以上の女子が通う学校でした。当時は、現:岩内町役場(その後、東小学校になります)の場所で、明治37年「女の子を整備もされていない坂道を歩かせて登校させるのは可哀想だ!!」ということで、尋常学校(男子が通う学校=東小学校)と校舎を交換。現:岩内町民プールの場所が、岩内西小学校の跡地になります。

岩内町郷土館資料より

昭和51年 島野小学校の統合学校として、現在の西小学校が完成しました。
現在でも、小学生に歌われている校歌は、昭和26年に「岩内町西小学校の開校50周年」に記念としたもので、北海道唯一の團 伊玖磨作曲の校歌です。

ところが、團 伊玖磨と岩内町の直接的な関係性は分からず…
作詞家の荻原 井泉水(日本の俳人)が團伊玖磨と共に日本芸術院会員で鎌倉在住いうことで、間接的に岩内町西小学校の校歌の作曲を手掛けることになったのではないか?と思われます。

では、荻原 井泉水との関係って?という疑問もあるわけですが…
岩内町は、夏目漱石の本籍があったり、有島武郎との繋がりもあったり、歴史を遡ると俳人や小説家との関わりがありました。

岩内町生まれの七戸黙徒(しちのへ もくとく)という層雲同人として活躍した俳人について、荻原 井泉水が「北の北海道には七戸黙徒のごとき大きな星もあった…」と述べるほどの繋がりも。

結局、断言出来るほどの情報ではないのですが…
巡り巡って、岩内町西小学校の校歌とご縁があったという物語です。凄ッ

歌手の中島みゆきさんか通っていた小学校でもあることにもビックリ!!!

かなっぺの歴史散歩はつづく。






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