自然はそれだけで……
秋の裏岩手を縦走した。
松川温泉から三ツ石山荘へ、大松倉山、犬倉山を経て大地獄谷からお花畑、そして岩手山山頂へ、独りぼっちの二泊三日の山旅。
今年の紅葉は例年より早く、見頃のシーズンは過ぎてしまったが、まだ少しだけ残っていた紅葉を楽しめた。
自然はただそこにあるだけで美しくて、完璧で、ありがたかった。
と、文字にするとありきたりで、そりゃそうでしょって言われそう。だけど、そんな気持ちばかりが湧き出てくるのだから仕方ない。
山小屋で偶然会って、スマホで山の写真を見せてくれた人が言っていた。
「どの山も本当にいいんだよ、なのに全然伝わらなくて悔しいよね。」
わかる。あのスケール、あの空気感、あのときの湧き上がる気持ち、自分が写真や言葉で伝えられることはなんて少ないのだろうと思う。
どんなにiPhoneのカメラが進化しても、3Dプリンターがホンモノみたいな立体を作り出せるようになっても、ゴーグルを付けて仮想空間を見られたとしても、共有できないものがある。
だから、お金がかかるし、準備が面倒だし、荷物は重いし、足が疲れて汗でベトベトになっても、登山好きはまた山に行っちゃうらしい。
もしかしたら、山の景色がどうとかではなく、自分の五感がフルに研ぎ澄まされる場所を求めているのかも。
言い換えると心のチューニングのようなものだろう。
人によってはそれがスポーツだったり、サウナだったり、創作活動だったりするのかもしれない。
このページのトップにあるシジミチョウの写真も見る人によって感じ方はいろいろだが、つい先日に自然を浴びまくって五感バッキバキの私にはちょっと違う見え方をしている。
「蝶の羽の模様って自然にできたものなんだ、こんな繊細なデザインをどうやって……?自然の造形美すごい、美しい……。自然ヤバい。」
ダメだ、やっぱりなーーーーーんも伝わらない。
(撮影者:つっきーさん)