【新・資本主義をチートする04】 コロナ禍経済があらわにした資本主義の正体
世界中を襲っている新型コロナウイルスの脅威ですが、日本においては、ほんの少しだけ、最大の危機の状態からは復活の兆しが見え始めた、ちょうどそんな時期を迎えることになりました。
ウイルスによる世界で30万人以上の死亡というものすごい事態に直面している我々は、この歴史を後世にまで伝えてゆくことになると思います。
さて、「幸か不幸か」と言えばおそらく「不幸」のほうで、できることならめぐり合う必要もないし、めぐり合いたくなかった事態ですが、この状況をリアルに目の当たりにした僕たち私たちには、実は「資本主義を乗り切る上で、ものすごくわかりやすいお手本」に出くわすことになりました。
そうです。コロナ禍経済を見ることで、いつも僕たち私たちが「振り回されている」資本主義の正体を理解することができるのです。
最初に、マスクの話をしておきましょう。コロナウイルスの猛威が確認されるまでは、1枚10円程度だった安価な使い捨てマスクが、ウイルスの流行とともに暴騰します。そして2020年5月現在、ようやく中国製マスクが再び行き渡るようになって、約20円程度までには値下がるようになってきました。
これは、教科書どおりの典型的な「需要と供給」の話ですが、資本主義チート術の観点ではいくつかの「裏面」を理解する必要があります。
「需要が高くなれば、モノの取り合いが起きるので、値段が高くなり、需要が無くなればモノが溢れるので、値段が下がる」
まさにこれは経済学のイロハのイくらいに「ベタで当たり前の話」ですが、もう少し裏読みをしてみましょう。
値段が高くなるか安くなるかは、あくまでも「買い手」「消費者」側の話です。この連載では、私たちは「資本主義をチートする側」に回るわけですから、「売り手」の目線で見なければなりません。そうすると、単純に価格が高いか安いかの話ではないことに気付きます。
5月現在、東京では新大久保あたりで雑貨屋さんなどがアホみたいにマスクを仕入れたり、販売したりしていますが、一日ごとに50枚入り3000円が2500円になり、翌日には1500円になり、と恐ろしい値崩れが起きているそうです。
この理由はとてもシンプルです。答えは、中国では、コロナ禍以降、マスク製造に新規参入した会社が3000社以上もあり、それらが粗製濫造かどうかはともかく、どんどんマスクを作ったために、供給が溢れているのです。
ブルーオーシャンとレッドオーシャンということばがありますが、「誰もまだ参入していないニッチな市場」をブルーオーシャンと呼び、「多くの売り手が参入して、価格の下げ合いになっている市場」をレッドオーシャンと呼びます。
マスクの市場は、2020年3月には、転売ヤーが暗躍するほど「ブルーオーシャン」でしたが、たった1ヶ月か2ヶ月で「レッドオーシャン」に変わってしまうような、苛烈で「手を出すべきではない市場」だったということです。
実はこの話にはさらに「裏」があって、中国で3000社もの異業種の会社がマスク製造に乗り出したのには「マスク製造マシン」を売る会社の存在があったとのこと。いちばん儲けたのはこの「マスク製造マシン」の会社だというオチです。
さらにさらに、この話とまったくおなじ前例が、経済の教科書には転がっています。それは、アメリカのゴールドラッシュの際に、一番儲けたのは「金の採掘をした男たち」ではなく、「スコップを売っていた男」だと言われる笑い話です。
21世紀の現代でも、人類は進歩せずまったく同じことを繰り返すのです。
マスクがらみで、もうひとつ補足をしておきましょう。「資本主義をチートする」の本編のほうで、わたくしヨシイエは、
価格の正体は気分である
ということを説明しました。
たった1ヶ月やそこらで、ある品物の価格が数倍から十数倍まで変動するというのは、まさしく気分です。これは私たち買い手・消費者の気分にも左右されるし、3000社が無計画にこぞってマスク製造に参入したように、売り手の気分によっても左右されます。
資本主義チート術としては、こうした「不確実要素が強い市場」は、スルーすべきです。なぜなら、「不確実であること」を経済学では「リスク」と呼ぶからです。
一般的に「リスク」は損をすることのようなイメージがもたれていますが、実は損をすることより前の段階である「予定が立てられないこと」がリスクの正体なのです。
資本主義をチートするとは、「リスクを最小にする」ことに他なりません。
さて、本日2つめのお話に入りましょう。新型コロナウイルスは、ウイルスの中でもかなり特殊で、「強行突破型」と呼べるかもしれません。世界中にあっという間に広がって、次々に人を殺してしまう、人間から見れば凶悪なウイルスですが、あまり知能は高くない猪突猛進型です。
というのも、ウイルスの世界でもコンピュータウイルスの世界でも、「できるだけ長く、できるだけ広く自分の子孫を残したり、影響を与え続けたい」ということが前提にあります。
今回の新型コロナウイルスのように、強行突破で爆裂的に感染を引き起こして、仮に数ヶ月で人類全体が死滅してしまったとしましょう。そうすると今度は、どこかのコウモリにまた感染させたいのだけれど、人間とコウモリの接点はごくごく少ないので、結局新型コロナウイルスは「一気に増えて、一気に殺して、一気に自分たちも減少する」しかありません。
そうすると結局、ウイルスはそれ以上遺伝子を残すことができず、自分たちも滅亡してしまうということになります。
コンピュータウイルスは人工物ですが、これとおなじことが研究されて、次第に「増えることよりも、バレないこと」が優先で製作されるようになってきました。
つまり、「一気に感染が広がったり、コンピュータを派手に壊すウイルスは、存在がバレてしまうので、すぐに対策が打たれてしまう」ために、その逆で、「長ーく、ひっそりと居続けて、ちょろりちょろりと被害を進めてゆくタイプ」のほうが良いことがわかってきたのです。
資本主義ハックでも同じことが言えます。何か新しいサービスを立ち上げる時に、考え方は2つあります。一つは新型コロナのように、爆裂的にサービスが市場を制覇して、利益を得ようとするもの。もう一つは、「どこにもバレないように、ひっそりと長々と仕事を続けられる」ものです。どちらも正解です。
たとえば携帯電話会社のように、広大な網羅によって利益を生み出す市場もありますが、ライバルが多く戦いは激しくなります。ボーダフォンとか、ウィルコムとか、消えていったブランド、PHSなども多数で、屍もたくさんです。
逆に、誰にもバレないサービスで、売上規模はせいぜい数千万程度でも、創業家一族は死ぬまで食えるという仕事も山ほどあります。
ウイルスの生き様は、資本主義ハックの上で、大きなヒントをたくさん与えてくれます。新型コロナウイルスはすでに何度も変異を繰り返していて、アジア型とヨーロッパ型が異なるそうです。
インフルエンザウイルスも、毎年いろいろなバリエーションで襲い掛かってきますが、「ちょっとずつサービスや商品形態が違う、変わる」ことで生き延びている商品もたくさんあります。いちばんわかりやすい例は、自動車のマイナーチェンジでしょう。あんなもん、ほとんど何も変わらないのに、毎回「新型!」と言って気分を盛り上げて購買意欲を引き出すわけですから。
しかし、あなどってはいけません。
新型コロナウイルスは、コウモリを相手に商売している間は、ニッチな市場でしたが、ちょっとマイナーチェンジをしただけで、人類に多大な影響を与えるようになったわけですから、そのちょっとの差がどこで爆裂するかは、わからないのです。
今日のまとめです。今私たちが目の前で見ていることは、後世の教科書に残るような大事件でもあり、資本主義のしくみと、そしてその限界まであらわにしたものすごい事例です。
津波に流された人しかその恐ろしさがわからず、子孫の伝承ではどんどん忘れられてゆくように、今回のコロナ禍も「ああ、スペイン風邪って教科書に載ってたね」レベルで気にもされない時代がいつかやってきますが、私たちはしっかり目を見開いて、この荒波を生き延びていこう!と気持ちを引き締めたいものです。