【新・資本主義をチートする・スペシャル】学歴はなぜ機能しなくなったのか (後編)
前回の「前編」では、
「2000年ぐらいまではギリギリ学歴や学力に価値があったが、どんどん飽和状態になって価値が下がっている」
というお話をしました。国内もそうだし、世界規模で見ても「単なる高学歴頭脳は余っている」ということでしたね。
最近では国内の大企業が45歳以上をどんどんリストラしていますが、実はこの世代は団塊Jrに相当し「一番受験戦争が激しかった時代」です。
この時代に一定の大学を卒業して名だたる大企業に入社できたということは、それなりの頭脳を持っている人材なわけですが、
「そういう人でも、いらない」
と言っているわけです。つまり、受験戦争に勝った優秀な頭脳でも、もはや45歳になると不要なのですおそろしい。
ということは、つまり「学歴に価値はない」と言えるのではないか?
つい、そう思いがちですが、ほんのちょっとだけ、立ち止まってください。もう少し、学歴と学力の歴史について振り返ってみたいと思います。
実は、失われた20年に入る直前まで、別の意味で
「学歴がなくても生きてゆける」
という幸せな時代がありました。
それが高度成長以来続いてきた、
「体力があれば稼げるぜ」
という方面のお話で、トラック乗りが月収100万円とか、とび職が半年働いて半年遊ぶ、みたいな言説がどこでも聞こえた時代です。
こうした建設、建築、肉体派の仕事が、「学歴のない男たちのもうひとつの主戦場」となっていたのも事実で、そこでは実際に「高卒、専門学校卒」などの若者が、
「寝ずに小金持ち」
の路線を突き進んでいました。私ヨシイエは、いま建築系業界のすみっこぐらしですから、今では大先輩となった当時の人たちの「バブル英雄伝説」もよく耳にします。
「しんどいけれど頑張ったら、大型のトラックを買えたり、店を持てたりした時代」
が実際にあったので、この頃に大人になった人たちを親に持つと
「学歴なんていらないぜ!」
とマジメに言うので、子供たちもかわいそうですね。
さてさて、前半部分の「学歴の価値が落ちている」話と「学歴がなくても食えた時代」の夢物語が合体すると、もはやこれは
「学歴は不要なのではないか」
という方向へ、おのずと傾いてしまいます。
実際に、京大を出てもフリーターをしている人や、うちの親戚には同志社を出てひきこもりが2人もいるので、ほんとうに学歴はムダなのではないか?とも感じてしまいそうになります。
しかし、実はこれは、物事の捉え方が間違っているのです。私達はたったひとつ、大きな勘違いをしているから、そうした誤った結論を出してしまうのです。
一体全体、何を勘違いしているのか。その謎を解き明かしましょう。
それを知るには、あの「寝ないで頑張ったガテン系の人たち」がどうなったかを考えるのが重要です。
実は、肉体系、ガテン系労働は、その後の失われた20年で、すっかり斜陽産業になってしまいました。宅配便の配送問題などでもクローズアップされたように、トラック乗りは
「きつくて、かつ稼げない」
業種へと変貌しています。すべてのガテン系労働は、若者にとっては
「割が合わない」
仕事の代名詞となり、けしてお金の面で儲かる仕事にはなっていません。
これらの仕事は人手不足だと言われますが、それなら賃金は重要と供給のバランスにより上昇すべきなところ、まだそこに至っていないという現実があるのです。
<中間まとめ>
◆ 学歴がなくても稼げたガテン系などは、もはや稼げない代名詞
→じゃあ、それなりの稼ぎを得るには学歴が必要ってこと?
だからといって、高学歴があれば大企業に入って安泰な時代はもはやありません。もちろん学歴フィルターなどで振るい落とされる実態がありますが、学歴に価値がないのになぜ企業は振るい落とす必要があるのでしょうか。
それは
あたりを読めば、真実の理由が明らかになってきます。
↑の記事は、ネットでそれなりに活動しているブロガーや、インフルエンサー、などをざっくり集めたリストですが、ここからわかるのは
「ある程度の記事を書けるのは、全員高学歴な人材ばかりだ」
ということです。
このブログや記事を書けるというのは、ほんのわずかの領域の小さな指標に過ぎませんが、実は企業の選抜でも同じことが起きています。
高学歴な人材は、論理思考ができ、遂行力がある
といったことを、指標として求めているわけです。
(面白いことに、高学歴ブロガーさんたちは、会社組織を辞めたり、逸脱した人材がほとんどなので、「会社には向かなかった」というオチもありますが、彼や彼女達がいた会社に残っている人材は、この論理的能力+コミュ力+耐える力をもっている最強の企業戦士であるとも言えます)
そろそろ真実に到達しましょう。昔の高学歴とは
「高学歴であれば、安泰だ」
ということでした。それは約束手形であり、ゴールでした。ですから、みな必死こいて受験勉強に励み、高学歴というお宝を目指したのです。
それに対して、今の高学歴、そしてこれからの高学歴は、
「高学歴・高学力は最低条件だ」
ということです。
これらの高学歴者の中から、さらに尖ったヤツが出てくる
ということなのです。彼らこそがホンモノの高収入を得る者たちとなるでしょう。
学歴はゴールではなく、スタートになった
といえば、わかりやすいでしょうか。
もちろん、実際には高学歴そのものよりも「高学力」な人材が尖ってゆきますから、旧来の「大学卒」の価値ではなく、高卒でも「実際に高い頭脳」を持っている者は頭角を現すことがあると思います。
しかし、そうした人材が高卒者からたまに現れたとしても、それは確率論で、ほとんどの逸材は、
「高学歴者の中に潜んでいる」
ことは確実です。だから企業は高学歴な者から順に選別してゆくわけですね。
ですから、これからは、「京大卒でもフリーターになるなら意味がない」とうそぶくのではなく、
「東大卒でも実力で選別され、京大卒でも実力で選別され、関関同立の中でも、しのぎを削る武将たちのキングダムの時代がはじまった!」
と理解すべきです。(キングダムは「秦の始皇帝になる男たち」のジャンプ漫画です)
もし、その中で、一般庶民から大将軍を目指す主人公の「信」のようなヤツが現れてもいいのですが、その前には
六将軍ならぬ六大学のつわものども
が立ちはだかっていることも忘れてはいけません。