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男性優位社会が解消されない理由が、ぶっとびだった件


 男女は平等である、男女同権、なんて言葉は、すでに何十年も前からあって、できることなら男女が平等に暮らせる社会が来てほしいものだが、実態としてはぜんぜん全くちっともそうなっていないのはご存知のとおりである。

 その理由を社会のしくみに求めたり、あるいはその解消を政府に求めたりするのは簡単であり、もうすでに誰もがやっていることだが、これまたぜんぜんちっともうまくいっていない。

 もちろん、人類社会がそうなってしまったのには、社会学的やら生物学的やらいろんな理由があるのだろうが、今回はちょっとビックリな、

「なんじゃそりゃああ!」

と叫んでしまうような、ぶっとんだ理由が見つかったので、そんなお話をしたいと思う。

 信じるも信じないも、あなた次第なのだが、実際に現実にマジでこんなことが起きているのは事実なのだから、ちょっとばかりその事実をとっかかりにしながら、「男女とはいったい何なのか」について考える機会にしてほしい。


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 わたくしヨシイエさんはもう45歳になるおっさんである。おっさんが45歳にもなると、仕事の上でもプライベートでも、もうある程度人生のおおよその大枠みたいなものが確定してしまい、よほどの覚悟とチャンスと努力がなければ、その大枠をひっくり返すような状況にはならない、というのが一般的であろう。

 ようするに、45にもなれば、会社の地位、出世ルート、地域や社会での立ち位置、自分の才能の限界やできることできないことなどなどが、おおよそはっきりしてしまうということだ。

 自分がこの先、社内においてはどうなるのか、家でも買ってりゃ、地域社会においてもどんな立ち位置か、こどもが参加している地域スポーツなどでの親としてのポジションとか、それはまあ、いろんなものの先が見えるようになる。

 そんな時に、たとえば学生時代の友人は今はどうしているだろうか、なんてことをふと思いついて、知り合いやともだちの数名の名前を検索してみたりすると、みんなそれぞれ会社員や仕事人として、

「ある意味似たようなおっさんとしての人生」

を歩んでいることに気づく。

 そりゃまあ、有名企業の末端にいるものもいれば、地方の市役所で中間管理職になっているものもいるし、飲食店のオーナーになっているものもいる。

 それらのどれが幸せで、どれが不幸せかはわからない。具体例を挙げて恐縮だが、たとえばSONYにいる同級生がいるとして、彼がAIWAから吸収された派閥だと知った時には、

「まあ、いろいろありそうだよな」

という感想になる。幸せかもしれないし、そうじゃないかもしれない。それらはみな、「個人の感想です」ということだ。

 わたくしヨシイエのように、誰も知らない知られちゃいけない無名企業の役員になったとて、結局はSONYの末端とどちらが幸せかは、誰にもわからないのだ。

 いや、どちらが高給取りかは、アホでもわかるかもしれないけれど。てへ。


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 ところで、これまた思いついて、大学生時代の同級生の女の子の名前を検索してみた。しかし、この行為は、ふつうに考えるとうまくいかない確率のほうが高いはずだ。なぜなら、女性は結婚して、姓が変わっていることが大半だから、下の名前だけで当時の本人かどうか確認するのは、フェイスブックなどで確定されている以外にはかなり難しいだろう。


 んがしかし。ヨシイエの場合は、ちょっと違った結果になる。というのも、ヨシイエは一番最初の仕事が高校の教員であり、大学卒業時の友達の多くは教職についている。SONYに行ってたり、市役所で勤めているのは高校時の友達で、大学時の友人はまあ、たいていどこかの教員になっているというわけだ。

 当時、教員採用試験は難関だったので、若いヨシイエさんたちは全国どこへでも試験を受けに行った。その時、当然日程が同じなので中部地方の採用試験に一緒に行ったSちゃんという美女がいた。Sちゃんはちょっとたとえが古風だが藤村志保の大映時代(古いわ)に似た和風美人で、でも英語の先生を目指していた。

 Sちゃんとは行き帰りの新幹線が一緒だったのだが、別にそれ以上のロマンスが生まれたわけでもなく、彼女はその採用試験に合格し、ヨシイエさんは落ちたので、別の県の教員になってしまった。

 また、ヨシイエさんは国文学が専門だったのだが、おなじ国文系の専攻を取っていて、かつ同じように教員向けの講座も取っていたMちゃんという美女もいた。Mちゃんは最後のアイドルと呼ばれた高橋由美子(やや古いわ)に似た美人で、結局九州地方で先生になった。

 Mちゃんはなんでか知らないけれど、ヨシイエさんをライバル視していて、卒論で私が学科2位を取ったものだから、最後の教職講座の時につかつかとこちらにやってきては

「ヨシイエさん、あなたにはかなわないわ」

と、捨て台詞を吐いて去っていった。もしかすると、あれは愛の告白だったのかもしれない。

 さて、教員になってから、同じ若手教員として同僚になったHちゃんという堀北真希(もう芸能界にいないわ)似の美女もいた。Hちゃんは、東大・京大以外の関東の某最難関国立大の卒業で、ピアノもバイオリンも弾ける才女であった。私はもう彼女と離れて十数年にもなるが、元気だろうか。


 で、まあ話はここからだ。ふと思いついてその3人の美女の名前をネットで検索してみると、意外なことが判明したのである。

 それは、全員が全員、旧姓のままで、年度の違う資料をいろいろ当たってみても、どうも結婚した様子がなく、45歳のおばはんになるまで、そのまま教師をつづけているらしい、ということであった。

 彼女たちは揃いも揃って美女であることは間違いない。言いよってくる男性がなかったわけでもあるまい。いやいやもちろん、結婚がすべてではないし、彼女たちが教職の仕事に邁進していることは、そりゃあもう立派なことであり、それなりの給料ももらっていることではあるし、それを捨てて主婦の道へゆくことが幸せであったり、善であるというつもりは毛頭ない。

 しかし、ヨシイエさんにはなんとも言えないもやもやが浮かんできたのだ。

 そう、彼女たちは、その優秀で美しい遺伝子を残さず、全員絶滅してゆくということが、どうしてもしっくりこなかったのである。


 もう45歳だ。みなまで言うな。つまりは、もう、そういう年齢なのだ。


 「僕は君たちに武器を配りたい」という著作で有名な瀧本哲史さんが、パラダイムシフトについてこんなことを言っている。

「天動説から地動説へ、ヨーロッパの主流学説が変わった理由は、後者が正しかったからでも、後者が論理的に天動説を打ち負かしたからでもない。それは、旧来の学説を述べていた学者たちが、みなジジイになって死んだからだ」

ということを。

 つまり、パラダイムシフトとは、世代交代そのものなのだ、と。


 ということは、僕の元同級生の美女たちは、女性として社会進出をして、その才能をいかんなく発揮して、そして絶滅するのだ。

 社会には、才媛の美女がつぎつぎに登場するが、彼女たちはみな、社会的成功をおさめて、結婚も子育てもせず、絶滅してゆく。

 よく考えたら、女性の味方である田嶋先生も上野先生も、未婚である。彼女たちのような偉大なる女性の味方が現れても、実は次の世代において社会につぎつぎ生まれるのは、ヨシイエみたいに途中で脱落した

「アホな男子の遺伝子を持ったこどもたち」

ばかりだということになる。

 ワシなんか、前の奥さんとの間にもこどもがいるから、合計4人もアホな不肖ヨシイエさんの遺伝子をこの世に残しているのに、美女たちはいっさい子孫を残さず、死に絶えてゆくのである。

 あまつさえ、結婚を2回もしてしまう浮気者の遺伝子までこの4人に受け継がれているというのに!!

 これを繰り返してゆけば何が起きるか。

 そうである。

女性優位になれるような遺伝子を持った人材は、そもそも生まれてこない

ということだ。

 だから、現在は今でも男性優位社会であり、女性は抑圧されているのではないか?

 そして、これからもそれは、しばらく変わりそうにない、という驚愕の事実が、見つかってしまったのだ!


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  個人的には「女性の社会進出」も望ましいことだと思うし、「男女平等」もすばらしいことだと思う。しかし、しっかり勉強をしたり、しっかり社会で活躍した女性が、その人生をまっとうして、それ以降が絶滅だというのは、どうにもしっくりこない。

 女性達が社会で頑張った結果が絶滅だというのであれば、その社会はどこか間違っているのではないか?と思うわけだ。

 かといって、女性は家庭にいて、子供を生み育てるべきである、というのもちょっと違う。

 しかし、結果論として「家庭で女性がこども生み育てたほうが、遺伝子が生き延びる可能性が高い」というのであれば、その社会と、女性が外で働く社会との

”新しいしくみ・整合性のあるしくみ”

を抜本的に考えなくてはならないのではないか、とも思う。


 そして、それは今すぐはじめないと手遅れかもしれない。なぜなら、僕のかつての同級生美女たちは、すでに絶滅にさしかかっているからである。

 一介のアホな、下心満載のおっさんとしても、聡明な美女が絶滅することはたいへんに困るのだ。

 もちろん、もしかしたら美女たちからすれば、まったくもって余計なお世話であり、自分たちの人生は充実していたのだから、「あんたにとやかく言われる筋合いはない」ということかもしれないが、もしそうだとすれば、恐竜たちもそうやって、

 何も気付かないうちに幸せな滅亡

を迎えたのかもしれないと思う。

 そして、そこらへんをうろちょろと走り回っていたアホそうな哺乳類たちだけが子孫を増やしていったのだろうか。

 もしそうだとしたら、いっそう余計のこと男性優位社会は残りつづけるだろう。幸せになった女性たちは、どんどん死滅してしまうからである。

 考えれば考えるほど、恐ろしい話だと気付かされるのだ。

 

 ・・・はたして、真実はどうなのか。みなさんも一度考えてみて欲しい。




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