Mr.Children 「Worlds end」歌詞考察
ミスチルの桜井氏は作詞において「無意識に上がってくるワードを並べている」と,何時のインタビューかは忘れたが、そういった趣旨で語っていた。
なので、ここからの考察はあくまで無意識に対して個人的な意味付け、解釈となる。
ただ、「Worlds end」の歌詞を1文1文読み込んでいくと、どうもこの曲は「かなり積み上げて書き上げているなあ」と感じることがある。
それは1番A・Bメロ→1番サビ、1番サビ→2番サビといった感じに、それぞれの歌詞が色んなところと繋がっているように見えたからだ。
1番Aメロ
ゆっくり旋回してきた 大型の旅客機が 僕らの真上で得意げに
太陽に覆いかぶさった その分厚い雲を なんなく突き破って消える
まず状況説明として、大型の旅客機がフライト通り空へ旅立っていくのを見て、「僕ら」と語る人物(ここでは”彼”と呼称してみる)は劣等感というか遠く及ばない無力さみたいなものを感じている。
サビにおいて鉤括弧付きで「僕らはどこへでも行ける」とあるのだが、Aメロではその通行手段である飛行機には無力さを感じている。つまり、彼は今どこへも行けないということが分かる。
そんな彼の前に立ちふさがる分厚い雲。
旅客機は軽々と超えていく。
1番Bメロ
まるで流れ星にするように 僕らは見上げてた
思い思いの願いをその翼に uh… 重ねて
Bメロでは更に、その飛行機を流れ星と捉え、彼は願いを託そうとする。
ただ、これは単なる旅客機である。乗ろうと思えば乗ることだって出来る。
でも、そうしないのは、行くとこも行く理由も無いから、それに乗れば問題が解決する訳ではないのだ。
それは、この街に生まれてしまって、或いは仕事でここに居着いて、そうしていつの間にか身動きが取れずに、知らぬ間に作り上げた自分の檻の中で藻掻いていしまっている。
この状況を抜け出す”手段”ではなく、”イメージ”として、ただの大型旅客機に夢を託しているのかもしれない。
1番サビ
「何に縛られるでもなく 僕らはどこへでも行ける
そうどんな世界の果てへも 気ままに旅して廻って」
そうしてサビ。先程もすこし言った鉤括弧。このセリフは彼の言葉ではなく”引用”としての意味合いが強い。
それは、どこかで聞いたようなセリフを反芻するのに近い。それは次の文で、
行き止まりの壁の前で 何度も言い聞かせてみる
雲の合間一筋の 光が差し込んでくる 映像と 君を 浮かべて
となっていることと繋がっている。
つまり、先程のセリフ「何に縛られる〜(中略)〜して廻って」を行き止まりの壁の前にて、自分に言い聞かせているということは、彼にとっての現実は、
縛られることだらけで、どこへも行けず、どんな世界の果ても、もう気ままに旅して廻れない
という、どうしようもない絶望の中にあるのと近いことが分かる。
だが、そんな絶望の中で彼が思い浮かべたのは「雲の合間の一筋の光の”映像”」、そして君。
先程、飛行機は分厚い雲を突き抜けた。つまり、そのときに「光が見えたらな」とイメージしたのかもしれない。だが実際は見えなかったのだろう。だからこそ映像である。
そこにもう一つの救いとして”君”が現れる。これは2番サビとラスサビの重要な要素となる。
2番Aメロ
捨てんのに胸が傷んで とっておいたケーキを
結局腐らせて捨てる
そして1番とは打って変わって飛行機から急にケーキの話になる。
話のつながりは置いといて、ここでのミソは
「ケーキを頑なに食べようとしない」
ここにあると思う。
まず、胸が痛む理由は捨ててしまうことである。
だとしたら最初から食べてしまえば問題ないはずだ。
だが結局、食べないまま腐るまで放置して、最後に捨ててしまい結局胸も傷んでしまうのである。
ここだけ見ると非常に奇っ怪である。そこで次の文を見ると
分かってる 期限付きなんだろう 大抵は何でも
永遠 が聞いて呆れる
ケーキを一例に出して大抵のものが有限であることを嘆く。
これはケーキに何らかの意味合いを持たせているということだろう。
つまり、彼にとってケーキが腐ることは分かっているが、それでも大事にしたいものがあるということが伝わる。
それは、食べない・捨てたくないから考えるに、「残していたい」ということなのだろう。
それに対して永遠に残って欲しいと思う気持ちがある。だからこそ、そうではないこの世の永遠に苛立ちがあるのやもしれない。
では何故ケーキを残したいのか?
これは想像になるが、恐らくこのケーキというのは、愛情や恋愛、名声、褒美、褒賞といった、いつかは消えてしまうんだけど、しがみつきたくなるものを象徴しているのかもしれない。
その甘さに食らいつきたい、でも食らい付いてしまうとそれは無くなってしまう。だから残していたい。
そうこうしている内に、それは期限切れで結局なくなってしまう。
残したいのに残らない。そんな無念さに対してBメロでは。
2番Bメロ
僕らはきっと試されてる どれくらいの強さで 明日を信じていけるのかを
多分そうだよ
それに対して彼は「きっと試されてる」と思う。一体誰に何を試されてるのだろう?
おそらく、理想通りにはいかないこの現実に、自分たちが「どれくらいの強さで明日を信じられるか」ということだろう。
ただ、Aメロでは「残したいのに残らない」という無念さを語るが、Bメロでは打って変わって「明日を信じられるか」とある種、反対のことを語る。
とすると、この「僕らはきっと試されている」はケーキが腐ってしまうことを差して、それでも明日を信じられるかということを問うている。
ここでの明日とは何なのか。
ケーキでは、今や過去における執着がメインとなっていることから、ここでの明日とは執着を切り捨てて前へ進むということを示しているのではないだろうか。
そうして、サビにおいても試されているものが示されるのだが、ここまでの流れを整理してみると
ケーキへの執着→捨てて前へ進めるか→サビ:一番の問題、自分たちの日常
ということになっている。
つまり、サビの今直面している問題を提起するためにA・Bメロの歌詞が用意されているのだろう。
そして、ここまでの溜めからついに抱えていた憤りを叫ぶ。
2番サビ
飲み込んで吐き出すだけの単純作業を繰り返す
自動販売機みたいにこの街にボーッと突っ立って
缶を補充し、他人から金銭を入れられるとそれをまた吐き出す。
人生を大きい視点から見たとき、自分の人生はまるで自動販売機みたいに一つの街に立ち尽くしている。
1番サビの行き止まりの壁とは打って変わり、自分はいつのまにかどこへも行けずこの街に突っ立ってしまっている。
もしかしたら、この行き止まりを更に詳しく言うと、いつの間にかどこへも行けなくなった自分の心情を説明しているのかもしれない。
つまりAメロでのケーキからサビの自動販売機の流れは
ケーキへの執着を捨てられるか→自動販売機みたいな生活を生きられるか
ということを示しているということなのだろう。
恐らく、以前にも彼はそこから抜け出そうとしたのだろう。
だが、そうしても逃られないことが彼には段々と分かってきた。
だから、移動手段である飛行機にイメージだけを被せていたのかもしれない。
自分たちがこの世界でこんな無味無臭のような現実を耐えられるか。
その手段を探して出てきたのが、
そこにあることで誰かが特別喜ぶでもない
でも僕が放つ明かりで君の足元を照らしてみせるよ
きっと きっと (間奏)
ただただ、すれ違うだけの他人。社会に属しても関わりが希薄になっている自分にとっての生きる道は、
1番で浮かんだ君に光を照らしてみせる。それが夜中の自動販売機のように見過ごしてしまうような光であっても。
それは1番で絶望の中、それでも生きる希望を与えてくれる君にその希望を返したいということだろう。
ラスサビ
「誰が指図するでもなく 僕らはどこへでも行ける
そうどんな世界の果てへも 気ままに旅して廻って」
1番サビの
「何に縛られるでもなく 僕らはどこへでも行ける
そうどんな世界の果てへも 気ままに旅して廻って」
とは違い、縛られるから「誰が指図するでもなく」となっている。
2番サビの自動販売機という指図だらけの現実を反映させてのことだろう。
本当は誰にも指図されずに生きられるはずなのに、いつの間にかそういう世界に身を委ねてしまっていた。
暗闇に包まれたとき 何度も言い聞かせてみる
今僕が放つ明かりが 君の足元を照らすよ
そんな暗闇の中、今度は1番と2番のサビを組み合わせ、イメージを思い浮かべるのではなく、自分の自動販売機のような光で”君”の中の暗闇を照らすことを決める
何にも縛られちゃいない だけど僕ら繋がっている
どんな世界の果てへも この確かな思いを連れて
今度は自分の言葉で「何にも縛られちゃいない」という。
だが、実際はいつの間にか縛られてしまっている。
つまり、ここでは否定したい意味合いをもって言っているのかもしれない。
だからこそ、次の歌詞で「だけど僕らぁ…」と否定の接続詞が入り、歌い方も少しタメが入るのかなあとも思う。
そうして、「繋がっている」はハッキリと言い切る。
それは、この縛られている世界で生きられるのは「光を照らす」ことができるから。
1番2番のサビで見た双方向の関係、それは一人の中での思い込みにすぎないかもしれないが、照らし照らされの関係があり、それは君と僕が繋がっているとも言える(人だけではなく好きな音楽、映画、コンテンツもそうなのかもしれない)。
それはどんな世界の果てであっても途切れない。
そんな確かな思いを連れていけるからこそ僕らはこんな現実でも生きていける。
それがどんな距離の遠さでも、人生の終わりであっても。
「Worlds end」とは、そんな万人の人生を肯定する人生全肯定ソングだったんだと思います。