sonny boy 感想「能力主義に隠れた人たちの発見と尊重」 第4話から今後の展開予測
※視聴前提で話します。
冒頭のワープした世界、実は元の世界じゃない説
まず話を整理すると
前提1・ツーブロックのエースくん:元の世界では有能な野球部のエースくん、tだこの能力世界では無能に近い分類。
ただ、エースくんはその事実が認められず、自分が認められる世界への帰還を求める。
そんな中、長良が元の世界へ帰られる能力(エースにとって有能の証)を手にしてしまう。
4話冒頭の会話から、長良は野球部員として全国のかかった大会で戦犯級のミスをしていながら能力は一丁前に身に着けていることから、エースは長良を必要以上に憎んでいる。
そんなこんなで、一刻も元の世界へ返させるよう賭けを仕掛ける。
長良側も勝つために特訓をする中で、キャップがモンキーベースの歴史を語る。
そうして試合の中で長良は球場にワープしたりするが、結局エースが勝ったのですぐさま帰ろうとするが長良の不調と担任の登場という展開の読めないラストからの次週につづく
考察:ここで重要なのは球場へワープしたこと。本来モンキーや球場はライトがないと見えないが、長良はライトを使わず球場とモンキーを全員に知覚させることに成功する。
つまり、世界そのもののチューニングをして目的のチャンネルの世界に調整していると見ることが出来る。
世界を創造する或いは具現化するというタイプであれば最初から望んだ世界を出現させられることができる。ただ、ここではやはり望んだ通りではなくどうやら手探りで世界を探し歩んでいるような描写になっていることから、チューニングしているというのが近い見方になるのかもしれない。
このことから、序盤にエースから蹴られることで見た「ゴリラがマウンドに立っている元の世界」というのも、エースの願望である「自分が認められている元の世界」というものを偶然キャッチして見たと考えることができる。
そのために中盤でモンキーベースの球審の話が出てきたとも考えられる。
マウンドに立っていたのは屈強なゴリラ。それ対して細身の球審。
それはエースと長良の対比構造と当てはまる。つまり、逆説的に考えると冒頭の「ゴリラがマウンドに立っていた世界」はやはりエースが望んだ世界のイメージそのものだったとも捉えることができそうだ。
ラストで次週どうなるか全く検討がつかなくなった
後半で長良が元の世界に帰ろうとするもなかなか帰ることができない。
色んな人の感情・イメージが渦巻いて混線状態になっているのかな?と考えたりもしたが、やはりラストで出てきた先生からするに先生側によってチューニングが合わないように妨害(ジャミング)されているのだろうと推察する。
そもそもあの先生の正体は?
現れた第一声が
「静かにしろぉ!このウジ虫共がぁ!!!」
この強烈なセリフは当然元の世界では言われたことのないセリフであろう。
ここから先生、ひいてはその背後に存在するラスボス的な存在(1話で聞こえてくるおっさんボイス)の正体は
・異世界の住人(本当の先生たちは元の世界にちゃんといる。何らかの手段で元の世界に引きずり込んで生徒たちの前に現れた)
・元の世界の住人でありながら異世界について知っている(学校側で最初から仕組まれていた)
の2パターンが考えられる。ただどちらかであるかを判断するには材料が不足している。
また「遊びはもう終わり」というセリフから、その目的を考えられるだけ挙げてみると
・めっちゃこき使われる(独裁体制化)
・異世界の敵と能力で戦わされる
・バトルロワイヤル
・能力使って異世界を探検して目的のブツを手にいれろ
・本格的に帰還の準備をする
今までやってきたことを並べると
・資本によるやりとり(そのための労働)
・世界の探検(コンパスの座標へたどり着く)
・調査(発火、人物の黒化、モンキー)
大体この3つになるだろう。この3つを遊びレベルと仮定して、本業レベルに引き上げるという意味で捉えるなら
・資本やりとり(工業化でさらに高度化)
・探検(座標への到達よりも別世界調査の頻度UP)
・調査(能力や現象についてさらに深堀り、下手したら人体実験)
ということになるが、謎の声(おっさんボイス)の要素から考えるにそこまでないのかもしれない。
他に今までやっていることが脱出のための生存と仮定するなら、今後は生存のための争いということでバトルロワイヤル的なことになるのかもしれない。
いずれにせよ、今までの雰囲気とはガラッと変わってしまいそうで戸惑う
ゆったりとした日常っぽい展開の中で、誰にも心配されない失踪者、ルールに厳格に則った球審モンキーといった現代の一番どストレートな問題を重くしすぎない配分でポップに見せるスタイルがすごく心地よかっただけにこの180°話の流れが変わって、重苦しい感じになって辛くなりそうだなあと思っていたところだったのですが、
「<Sonny Boy>銀杏BOYZの影響 江口寿史から刺激 夏目真悟監督×峯田和伸7/21yahoonewsより」
上記より
--オリジナルアニメということもあり、展開が読めないところもありますが、今後の展開は?
夏目監督 もしかしたら戸惑うこともあるかもしれません。そこから何かを感じていただければうれしいですね。
やはり監督としてもこの流れは賭けに出ている部分があったんですね。
ただ、それはそこまでしてでもやりたい何かがあるという強い意志の裏返しだと思います。
監督が大博打に出てでも伝えたかったものとは?
4話まで見てきて監督が伝えたいことはズバリ「能力主義の裏に隠れた人たちの発見と尊重」に尽きると思う。
普通の異世界モノストーリーでは、能力が高いヤツは活躍して地位が上がっていくという展開になるのだけれど、「sonny boy」では能力が高くても特に地位に変動はなく、前の世界(クラス)での評価で固定されている。
トップレベルの能力をもった主人公ですら扱いは酷く、その扱いは無能力だったころとあまり変わらない。
つまり、ここでは能力はあったら便利程度に描かれて、実際に能力が有る無いの問題は、各人の自意識の問題程度に描かれている。
そして、それ以上に重要なモノとして本作で描かれているのはやはり「主人公長良の発見」だろう。
1話では典型的な無気力人間として描かれていた長良だが、徐々に世界を歩き渡ることで自分と似た境遇のモノたち
・人前で謝れず城に閉じこもる瑞穂
・自分の世界(ハコ)に閉じ入ってしまった人達(まとめ民・youtuber・自己鍛錬・趣味)
・社会性と厳格性の間で公正を取った球審モンキー
を発見、共感、または問題の解消をしていくことで世界をチューニングする能力を発現させていったのだと考えられる。
つまるところ、このチューニングというものは実世界の我々においても世界(社会、コミュニティ)を発見せずに能力主義に囚われてしまうと、必ずしもコントロールできることばかりではない実社会において自己責任論に囚われ、必要以上に自分を追い詰めてしまうことになるのかもしれない。
あるいは、自分の知っている世界(ハコ)だけに閉じ入り、そこにコンタクトを取ろうとする者を無関心・無表情での機械的受け答えで流して、内にフラストレーションだけが溜まることにもなる。
恐らく1話における長良の無気力と大人への不信感というのはそういった負のループの中にあったものと考えられる。
以上を踏まえて、今後のシナリオ予想
つまり、現代におけるあらゆる能力=パラメータ(年齢、年収、職業)による偏見を一旦リセットして無人島で暮らしてみるとそういった能力=パラメータはさして重要ではなく大事なことは世界を発見することだった。
ただ、それでも大人は向こうからやってくるとなると、それは偏見のない理想に対して現実問題あるいは反論が容赦なく降り掛かってくるということになるのだろう。
ただそれも結局は本当のことをぼやかせる霧みたいなもので、最後はまた1話ラストのよう真っ更な空の下、大海原に帰ってきて銀杏BOYZの「少年少女」が聞けたら最高だよね。