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昭和99年の柏餅 #シロクマ文芸部

 子供の日って、大人の日じゃないのかね。
 子供のいる大人が、自分の子供の成長を喜んだり、嬉しがったり、楽しんだり、これからも自分に都合のいいように育ちますように、って願ったりする日。

 私は子供がいないんだよ。
 だから子供の日なんて関係ないね。関係ないどころか、疎ましかったね。ああ、正直に言えばいまだってうざったいよ。なんだよ、ひなまつりをやったあとは鯉のぼりや五月人形。商売にのせられてるだけだろうに、大騒ぎしちゃってさ。こんな風習、古くからあるとかいうけど、ありゃ嘘だね。だってそうだろう。江戸の大昔に雛人形や五月人形や鯉のぼりを手に入れられたのは金持ちだけでしょうが。それを明治大正昭和と庶民が豊かになったから、金持ちの真似をしたくって「風習」なんて言ってるだけでね。まあ、餅ぐらいは、貧乏でも食べたかもしれないね。知らないね。

 昭和のことを話すと、馬鹿にしたり、面白がったり羨ましがったり、最近はいろんなことを言うね。でも昭和の時代を、私は生きていたんだよ。リアタイ、って言うんだろ。リアルタイムで生きてたの。
 来年2025年だろ。昭和100年に当たるんだろ?
 ええ?リアタイだとか昭和100年だとかおばあちゃん良く知ってますねだって?人のこと、馬鹿にするもんじゃないよ。だいたい、おばあちゃってなにさ。私あんたさんのおばあちゃんじゃないよ。山田さん、って言いなさいよ。ここの人はみんなそう呼ぶじゃないのよ。トモコさん、って言ってくれる人もいるね。今のところ自分の名前は忘れてないよ。いろいろ、すぐに忘れてしまうけどね。

 はいはい。今は令和6年。昭和で言えば99年。ちゃんとわかってるよ。最近の若い人はすぐそうやって年寄りを馬鹿にするね。私が子供のころは、年寄りは敬いなさいと習ったものだよ。小学校で教わらないのかね。

 私?数えで89歳だよ。まあ、だから私の人生はほとんど昭和だね。平成になったころは、六十代だったかしらん。あの頃だって、もう、明日あすあす死ぬと思ってたね。何の因果か令和の今まで生き延びちまった。

 私が若いころは、「女は三界さんがいに家無し」という感覚がまだ残っててね。女ってのは子供の時分は親に従い、嫁に行っては夫に従い、老いては子に従わなければならないもので、この世に安住の地はないって言われたものさ。三界っていうのは、世界中、この世ってことだよ。
 子のない女はね、離婚されても文句を言うこともできなかった。「石女うまずめ」と言われて、家をおん出されたよ。うまずめ、って知らないのかい。「産まない女」ってことだよ。酷い言われようさ。

 ああ、それでね。家を出されて私は、スナックを始めたんだよ。ああ、あそこのね。そう。知ってるのかい。へえ。私結構、有名人だったんだね。若いおたくさんまで知ってるとは思わなかった。
 そこそこ繁盛して、お金を貯めたよ。子供が産めないってだけで家を出された女にとって、お金だけが味方だったからね。今だって、同じように悩んで苦しんでいる女の人はいると思うけど、昔は本当にシビーアーだったの。生きていくことに直結していたからね。仕事もなかったんだよ。ほんとうにね。だから必死にお金を貯めて、だからここでこうして、おたくさんと話ができてるってわけだね。ここ、本当に入居料金高いねえ。でも全部自分で払ったんだよ。私の自慢。これくらいの自慢、いいだろ。

 ここに来るまで、古いマンションに住んでた。中古買って、中古売ったの。狭い家だけどまあ、自分の城さ。でもさ、子供の声って、きーんと響くだろ。裏の公園で奇声を発しているのなんか、本当に嫌だったよ。ばっかみたい、うるせえ、って唇噛んで泣いたこともある。私だって産みたかったよ。今みたいに治療でもできてたら、違っていたのかと思うこともあったけど、考えてみりゃ、相手があの男じゃ、子供がいたって苦労ばっかりだったかもしれないね。
 あの当時いいと言われたことはいろいろやったよ。オギノ式とか。毎日水銀体温計で体温はかってさ。忙しい朝に、あれ、時間がかかるんだ。ほんと手間でね。義母がトモコさんは朝ごゆっくりでって嫌味を言うの。毎朝。でもきっちりグラフをつけてね。子宝温泉にも行ったし、お寺にお参りもした。神さまにも必死に祈った。なのにあの男は母親の言いなりで、義母が私を「この石女!」と罵倒しても、かばってすらくれなかった。挙句の果ては、女作って子供こさえて。悔しかったよ。義母はやっと孫の顔が見れた、って。呆れるだろ。ほんとにね。そういう時代。今でも恨みの気持ちが消えないよ。

 妹に子供がいたんだよ。私にとっちゃ、甥っ子だよね。甥っ子は可愛いと思ったね。でもそうはいっても私がお腹を痛めたわけじゃない。甥っ子の母親は妹だけ。うううん、可愛いっちゃ可愛いけど、血が近いぶんだけ、寂しいこともあったね。こういう、子供産んだ人への引け目とか負い目ってのは、消えやしない。恨みがましい自分が嫌になることもあるよ。でもしょうがないだろ。無性に苛立たしいことがあるんだよ。今なんざあまり思わないけど、若いころは、妊婦さんが我が物顔に歩いているよう見えたり、街でわがまま言い放題の子供なんか見ると突き飛ばしたくなったことが何度もあるよ。大きな声じゃ言えないけどね。子は宝だ、うん。そうだね。でも私には、とても複雑なものなんだよ。わかってくれとは言わないけどね。

 スナックを始めてからはね、悪いけどモテたんだよ、これでも。女やもめに花が咲くというけれど、独り身になってから男が切れたことがないよ。ただ私はね、いろんなことに絶望してたよ。所帯を持とうって言ってくれた人もいたけれど、あんな気持ち、二度と味わいたくなかったからね。好きになった人もいたけどね。結婚はしなかった。実母が老いた後は、母と暮らした。私の母も嫁と孫に家をおんだされたの。私の弟は、それを黙ってみてただけ。男ってねえ。ほんとうにねえ。なんてね。つい男って、って言いたくなるけど、女だって私みたいな女にはむごいもんだったよ。可哀そう、子供いなくて可哀そうってさ。何様だって言うんだ。そんなことばっかりさ。

 母が亡くなってから、ついこの間まで一緒に暮らした人はいたんだよ。奥さんが亡くなったあと、寂しいってね。そりゃあ独り身はさびしいさ。寂しくないふりをしたって、寂しいのは寂しい。恋愛感情はなかったけど、助け合って暮らしたよ。連れ合いだと思ってたね。今はパートナーとかいうのかい、それね。年の割には独立心のあるひとで、料理も掃除もしてくれたから、今流行りの家事分担のようなことをしてね、上手くやってたんだけど、ああそうなんだよ、先立たれてしまってね。そしたらあんた、最後の連れ合いの家族が突然やってきて、私に財産目当てだったんだろう、後妻業だろうって。ひどいよね。こんなばあさんの後妻業がいるかっていうの。私にはびた一文渡さないってさ。

 この世は私には世知辛かったね。だからここにきて、若いのにおたくさんみたいな人がいて驚いたよ。いやいや、神さまの使いみたいな人っているんだね。うん。半分お金の力だよね。わかってる。なんだい、涙なんて。やめておくれよ。そういうふうに考える癖がついてるのさ。悪いね。けど、おたくさんみたいな人に会って、なんだかずいぶんほっとしてるよ。終の棲家にここを選んでよかったよ。いいところだよ。みんな親切で、明るくて、元気で。

 え?なんだって?甥っ子の子供?あんた、マサヒコの子供なのかい。えええ?そうなのかい?全然知らなかった。ごめんよ、すっかり忘れっぽくてね。頭がシャキッとするときと、ダメな時があるんだよ。年の割には、うんと若い方だと思ってるんだけどね。自分で言うのもおかしいけど、「マダラなんとか」なんだろうね。

 うん。ありがとうね。ありがとう、ありがとう。柏餅、いただいていいのかい。一緒に食べようかね。ほほほ、男の子なんだから泣かないの。あんた泣き虫ね。ええ、今は男の子なんだから、っていうのもだめなの。参ったね。それにしてもおたくさまは、いい子だねえ。すっかり施設の人かと思ったよ。30過ぎてる?私からみりゃ、小さい子供と同じだよ。あれれ、柏餅、そんなに細かくしたらなんだかわからないね。ああでも美味しい。美味しいよ。名前、なんだっけ。ショウゴ?いまどきの名前だねえ。カッコいいじゃないか。明日になったら忘れちまうかもしれないが、覚えておくよ。名前は忘れても、顔を忘れても、おたくさまの親切はずっと覚えておくからね。

#シロクマ文芸部

 「子どもの日」に相応しくないお話になってしまったかもしれません。
 このお話は、私が様々なところで聞いた、今は亡き先達のお話がいくつか合わさっています。「子どもの日」に複雑な思いを抱く人もいるだろうなと思って、書いてみました。

追記:投稿した日、Canvaの調子が悪くて画像を作成できなかったので、一時的に「みんなのフォトギャラリー」からイラストお借りしました。素敵なイラストでしたが、当初作成しようと思っていたトップ画像に戻します。