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ハマウイング #シロクマ文芸部
風車というものを初めて見たのはいつだったか、記憶の奥底を探るが思い出せない。
いかにも風車だなと言う建物は、長崎のハウステンボスで見たことがある。子供だったので、風車だな、と言う以上の感想がなかった。
横浜で今、ぐるぐる回っているあれも、風車と呼ぶのだろうか。
そんなことを考えながら横浜のランドマークタワーの展望台にいた。隣にいる男が、あれはハマウイングですよと説明してくれる。風力発電所なんですよね、ぼくはあれを見ると風都を思い出すんです。風都、知ってますか。『仮面ライダーW』の舞台の架空の街なんです、そこに風都タワーというのが街のシンボルとして立ってて、あれを思い出しちゃうんですよどうしても。
風都タワー。懐かしい。風都のキャラクターの「風都くん」すら懐かしい。『仮面ライダーW』。高校生の頃、甥っ子が好きだったので一緒に観た。桐山漣と菅田将暉とよくできたストーリーにハマってしまって、甥っ子にかこつけて毎週見ていた。甥っ子はあっという間に仮面ライダーを観なくなり、そのうちダブルの話など振っても、ああ懐かしいね観てたな、アノマロカリス!コックローチ!などと言うばかり。風都探偵と言うアニメになったころにはもう、叔母とはほぼ生きる世界が違ってしまい、話もしなくなってしまった。
隣の男は、桐山漣にも菅田将暉にも似ていない。しいて言えばKing Gnuの常田大樹に似ている。イケメンはイケメンだが、こだわりの強そうな顔だ。実はついさっきまで横浜のホテルにいて、昨晩から数えて通算3度目をかっ飛ばしてきたばかりなのだが、そんなことを少しも匂わせないクールな顔つきだ。しかも今はオタク全開で風都の話などしている。
ダブルの話に関心を向けず、相槌すら打たずにいたが、男は勝手に風都の話を続けた。ぼんやり聞き流しながら、この人はいったいいくつのときにダブルを観ていたのかと訝しむ。ダブルが2009年だから、今からもう15年も前になる。27歳だと言っていたから、小学生の頃か。7歳年下だからそうなるか。甥っ子と同い年だ。ドラマは残酷に年齢を炙り出す。
だからさ、聞いてます?ドラマの打ち上げで配られた「風都マップ」っていうのがあるんですよ。ぼくネットで知ったんですけど、石ノ森章太郎ふるさと記念館にあるらしいんです。古い情報なんでもうないかもしれないんですけど、それ、見に行きたいんですよね。仙台じゃないです、登米です。仙台からまた少し距離があるみたいなんですよね。
熱心に話す隣の男をやっと見る。昼間に見る男はやはり若い。若くて眩しい。
ねえ、風都くんのデザインしたの誰か知ってる?と聞くと、須藤霧彦ですと即答された。園崎になる前の旧姓まで知っている。そして嬉しそうに弾んだ声で言った。なんだ先輩、ダブルのこと良く知ってるじゃないですか、観てたんですかと聞くのでついにはっきりと男の目を見て言った。
「先輩はやめて」
男は虚を突かれた顔をして黙った。何か、何でもいいから何か、話していないと落ち着かなかったのだろう、と今になって理解した。男は最中ですら先輩と呼ぶのをやめなかった。こんなときくらい名前を読んで、そう何度も言ったのに、決して名前を呼ばない。男が名前を呼ばない理由を知っているだけに、名前を呼ばれることに執着しているのかもしれない。
男は呼ばない、私の名前を、決して。
結婚式には呼ばれていた。花嫁の職場の先輩として。職場結婚だったので花嫁の方が部署が変わり、代わりに婿の方が来た。仕事上関わることが多くなり、飲みに行ったり愚痴を言い合うことが増え、昨日ついに、越えてはならない川をふたりでじゃぶじゃぶ渡ってしまったのだった。だからついでに言えば、ランドマークタワーの展望台に来たのは成り行きで、そしてこんなずるずるの成り行きが、初デートなのだった。
ああ、とハマウィングの回転をみつめながら思う。面倒くさい関係に踏み込むつもりなどなかったのに。
確かにこの男のこだわり気質は尋常ではなさそうだ。なにかマニアックな嗜好があるのは薄々わかる。それにしたって伶香の何が不満なんだかわからない。
彼の妻で後輩の伶香はすらりとした体つきの美人で、気が利いて仕事もできて、時々職場にクッキーを焼いて来たりする。非の打ち所がない。
なぜだ。なぜだなぜだなぜだ。
お互い仕事人間だからか。伶香がダブルの話をきいてくれないからか。
わからない。わからない。自分の心が一番わからない。伶香に対して負い目がありながら、自分のほうが勝っているところをいくつも搔き集めている気がしている。わからない。そんなことをする自分だったのか。わからない。
嫉妬とはとんでもない敵だ。ラスボスだ。ダブルでの最大の敵は「恐怖」と「楽園」だったが、嫉妬はしつこくて手に負えない。これほどとは思わなかった。ねばりつき、絡みつき、締め付けてくる。それとも私は、「嫉妬」のガイアメモリを買ってしまったのだろうか。直刺しで、脳髄まで怪物になってしまったのだろうか。
男はきっと気楽に遊びで不倫を楽しむタイプなのだろう。こんなことはなんでもないことなんだろう。他のひとともこんな風に、簡単に川を渡る男なのだろう。わかっている、わかっている。本気にするなんて間違っている。間違っている。
さっきから男は黙っている。こちらの空気が重くなったことを察している。明日から気まずくならないようにしなければと、必死に言葉を探した。
ハマウイングのある埠頭って立ち入り禁止地区なんですよ。その先に米軍のノースドッグがあるから。もともと貿易埠頭として作られたらしいですが、戦後連合国に接収されてからずっと米軍が使ってるんです。
突然、男が説明口調で歴史を語った。またしてもやたら詳しい。
でも見学会の時は入れるらしいんですよ。今度、行ってみませんか、見学会。石ノ森章太郎記念館にも行きましょう。一緒に。
眼下のハマウイングは回る。ぐるぐる回っている。今日はロープウェイも観覧車も止まるほど風が強いのに、ハマウイングだけは勢いよく回り続ける。ぐるぐる、ぐるぐる。
男の言葉をどう受け止めていいかわからず、展望台のガラスに近づいた。ハマウイングが指で拡大したように微妙にちょっとだけ大きくなる。ハマウイングは回る。わからない。わからない。わかってる。わかってる。間違ってる。間違ってる。ぐるぐる。ぐるぐる。思考が回る。体中のチャクラが風車のようにカラフルに回転している。風が巻き起こる。クンダリニを突き上げていく。
ダブルで、風都を影で操る園崎家の婿に入った霧彦は、用済みとなって妻に殺された。霧彦に目の前の男を重ね、誰も知らない伶香の秘密が、男を私へと向かわせているのかもしれない―――などという都合の良いミステリをでっちあげてみる。都合がよすぎる妄想だ。しかしただ、彼の言動に説明もつかなかった。「今度、行ってみませんか。一緒に」。その真意はどこにあるのだろう。
立ち入り禁止地区に入り込んでしまった我々は、もはやあのハマウイングのようにひとりずつ立ち尽くすしかないのかもしれない。生み出すエネルギーをどこに向けていいのかもわからず、ただひたすら風を受けて同じ思考をエンドレスに続けるだけなのかもしれない。
わからない。わからない。
わかってる。わかってる。
間違ってる。間違ってる
かもしれない。かもしれない。
沈黙をどう受け止めたのか、男が熱い指を絡めてきた。
火照り始めた身体を持て余し―――どうしていいか皆目わからず、展望台からただひたすら、回るハマウイングをみつめていた。
了
※横浜はいつも風が強くて「風都」みたいだなと思います
※風車といえばハマウイング
※仮面ライダーWリスペクトの話を書こうと思ったら不倫の話になっていました。なぜ・・・
※好きなキャラクターは園崎若菜とアクセル
※最強だと思うメモリは「ウェザー」。ジョジョのウェザーリポートと勝負させてみたいです
【参考資料】
※仮面ライダーW
※風都くん
※園崎(須藤)霧彦