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ハチかむの踊る猫 #シロクマ文芸部
『ハチミツはにかむハニー』のメンバーはボーカルのミミ、ドラムのココ、キーボードのナナ、猫の被り物で踊るモモ。ドラムのココに誘われた時は、そこそこヴィジュアルも良く、小さなライブハウスを満員にするくらいには集客も出来るバンド、という認識しかなかった。
「トト、って名前でいいかにゃ」
猫の被り物をしたモモにそう言われて、はあ、と、曖昧に頷く。お面を被っているから、声がくぐもっている。こんな声なんだ、と少し意外に思うような声だった。
今いるのは、楽屋、というわけでもなく、スタジオ、というわけでもない。普通のファミレスなのだが、モモは猫の被り物を脱がない。このファミレスは彼女たちのテリトリーなのか、店員さんの反応も普通過ぎるほど普通で、「ハチかむ」の人、と認識されている感じだった。猫の被り物は、いわゆる中華街でよく見る「大頭頭」の被り物より、少し大きい。オリジナル製品のようだが、どこで売っているのだろう。自分で作っているのだろうか。首から下の服は、黒いワンピースだ。パンクロッカー風でもなく、ゴスロリでもなく、ヒップホップ系でもない。しいて言えば、魔女みたいな、何の変哲もない黒い長そでのワンピース。テーブルの上には、アイスカフェオレ。ストローがさしてある。まあ、そうだよね、と思う。飲み物はストロー、だよね。
「ギター、できるって聞いたんにゃけど?」
一応、と言って、前にいたバンドの名前を挙げると、モモは、うにゃ、いいバンドにゃ、と言った。ストローをつまむ指先は、玉虫色だった。
「にゃんで、やめたにゃん?」
ボーカルが声帯を痛めて引退することになって、自然解散だ、というと、なるほどにゃ、と頷く。頷くと、大きな猫頭が揺れる。結構、首に負担がかかっているのではないかと思う。
「それは残念にゃことでしたにゃ」
その言い方に、昔絵本で読んだ『注文の多い料理店』のようなニュアンスを感じて、思わず笑いたくなった。ツッコミどころがありすぎて、モモの「猫ことば」への違和感はひとまず脇に置いていたが、考えてみればファミレスで、猫の被り物をしている人物と猫ことばで喋っている、というのは、一種異様な光景なのだろうな、と思った。
「じゃあ、一回合わせてみようにゃん。どんな曲が得意にゃ?」
前のバンドはオリジナル曲と同じくらいコピー曲をやっていたから、いくつかコピーしたことのある曲を答えると、モモはまた、大きな頭で頷いた。
「いいにゃん。うちと同じようなカラーの曲が多いにゃん」
そう言って、実際に音合わせをしてみることになった。
「それじゃあにゃ、トト。明日の夕方五時にゃ」
スタジオの場所を教えてもらって、モモと別れた。
相手の素顔も、本名も、なにひとつわからないまま約束をする、ということに、まるでゲームの中にいるような気持ちになった。本当にあれは「モモ」だったのか。猫頭のまま平然と日常を暮らす娘なんてそうはいないだろうから、間違いはないはずだが。紹介してくれたココに連絡すると、ココからは、ああ、わかった、明日の五時ね、とあっさり返信が来たので、まあ、あれはモモで間違いがないのだろう、と思った。信じるしかない。
翌日、教えてもらった通りの場所に向かうと、地下にあるライブハウスにはすでに「ハチかむ」のメンバーが集合していた。
「来たにゃ、トト。あわせるにゃよ」
挨拶もそこそこに、みんながそれぞれ楽器を演奏し始めた。以前、ライブで聴いた通り、メンバーそれぞれの技術が高く、クオリティが高かった。ボーカルの声もクリアで、速いスピードの曲にもよく舌がまわる。それなりには自信があるつもりだったが、実際に生演奏を聴くと緊張した。
それにしても、と思う。
モモは、楽器を演奏することもなく、とにかくひたすら、踊っている。
「うち、猫が踊るバンドなんだ」
ドラムのココが言ったことは正しく、まさしくその通りのことが、目の前で起こっていた。
「でも、猫が踊らないと、ダメなの。猫が踊れば踊るほど、演奏のクオリティが上がるし、ハイセンスになるんだ」
そんな馬鹿な、と、実は思っていた。
それでも、目の前で踊る猫——モモを見ていると、それが本当のことであることがよくわかる。モモは、そのうち八の字を描いて踊り出した。このバンドの最初の名前、「蜂蜜」の由来になった有名なダンスだ。それを見ているうちに、次第に各メンバーの演奏に熱が入り始める。
彼女は、猫は、このバンドのコンダクターなのだ。踊るだけの存在なんて、バンドにいるの?と思っていたが、猫が踊っていない「ハチかむ」は、「ハチかむ」ではないのだった。
すごい、と思った。
目の前で踊り狂うモモを見ながら、私も、気が付いたらこれまでできたためしのない難しいフレーズを弾きこなしていた。すごい。こいつは、すごい。
ミミの声がのびやかに響き渡り、ココのドラムは熱いリズムを刻んだ。キーボードのナナも、自在にアレンジを加えてくる。
それもこれも、モモが踊るから——
「今日からトトも『ハチかむ』のメンバーにゃ!」
蜂のダンスをしながらモモはそう言って手を振った。
よくわからないが、人生で何度もない多幸感に包まれ、私は、いつのまにか歓喜の涙を流していた。
了