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フランスは「フランク族の国」

 これまでゲルマン人のゴート族、ヴァンダル族、ブルグント族を取り上げてきました。今回はランゴバルド族とフランク族を取り上げます。


ランゴバルド族

 「ランゴバルドLangobardī」は、長い顎髭という意味です。伝説によれば、その部族名は、ヴァンダル族と戦ったときにオーディンから与えられたものです。
 彼らはスカンジナビア半島からエルベ川左岸に移り住み、その後ドナウ川中流域に移り住みました。
 ランゴバルド族は他の部族と共同して、568年に北イタリアに侵攻します。東ローマ帝国と東ゴート王国がイタリア半島の支配権をめぐって争ったゴート戦争は、554年に東ローマ帝国の勝利で終結したものの、イタリアの諸都市は荒廃し、東ローマ帝国にはランゴバルド族侵略に抵抗する力は残されていませんでした。ちなみに「ヴェネツィアVenezia」は、ランゴバルド族の侵攻時に海の干潟に避難して定住した、ウェネティ族に由来する都市名です。ランゴバルド王国は、最盛期にはイタリア半島のほぼ全土に近い領域を、2百年にわたり支配しました。最終的にフランク王国に滅ぼされます。
 ランゴバルドは、現在ではイタリア北西部のミラノがある「ロンバルディアLombardia」州にその名をとどめています。また、イタリア人の姓としても用いられており、元イタリア代表のサッカー選手だったアッティリオ・ロンバルドという人物がいます。

フランク族

 「フランクFrank」は、槍という意味です。
 彼らは、ライン川中流域を原住地とし、他の部族のような大移動はしていません。クローヴィス1世が建国し、カール大帝の時代には諸ゲルマン人国家を圧倒して、イベリア半島、イタリア半島の南部を除いた西ヨーロッパ全域にまたがるフランク王国を築き上げます。フランク王国が相続のためヴェルダン条約で西フランク王国、中フランク王国、東フランク王国の3つに分割され、それぞれ今日のフランス、イタリア、ドイツの原型となりました。
 「フランスFrance」とは、フランク族の国ということです。フランク族はフランク王国において、奴隷身分に対する自由身分であり、転じて自由人を意味する言葉になりました。フランク族に由来する地名は、他にもドイツにあるフランクフルトFrankfurt「フランク族の渡河場」フランケン地方Franken「フランク族の(土地)」などがあります。
 率直に話すことを「フランクに話す」と表現するのは、このフランク族から来ています。派生して独占販売権を意味するフランチャイズ、自由農民を意味するフランクリンなどの言葉が生まれました。フランクリンは名前にもなっていて、第32代アメリカ合衆国大統領のフランクリン・ルーズヴェルトが知られています。
 また、フランクはイタリア語名「フランチェスコFrancesco」、フランス語名「フランソワFrançois」、スペイン語名「フランシスコFrancisco」、ドイツ語名「フランツFranz」、英語名「フランシスFrancis」などの人名にもなっています。それぞれアッシジの聖フランチェスコ、元フランス大統領フランソワ・ミッテラン、イエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエル、オーストリア皇帝のフランツ・ヨーゼフ1世、アメリカの映画監督フランシス・フォード・コッポラが知られています。愛称には、「キコKiko」「パコPaco」「パンチョPancho」などがあります。
 イタリア語では他にチッコやチーノ、「ジョットGiotto」という名前もフランチェスコから派生したものです。中世後期のフィレンツェ共和国の宮廷画家であったジョットが知られています。フィレンツェにある「ジョットの鐘楼」が有名です。


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