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大人と子どもを行き来しながら本を読む話

「父親」になっていたから書けたんだろうな、と思う自作はいくつかある。『流星ワゴン』もその一つ、というよりこれは、「父親」になっていなければ書けなかった。そして、「父親」でありながら「息子」でもある、そんな時期にこそ書いておきたかった。(引用 流星ワゴン 重松清著 講談社文庫)

読み返すと、物語の印象が変わっている本がある。仕事に、人生に疲れて死のうと思っていた38歳の僕。「流星ワゴン」はそんな38歳の僕の物語だと思っていた。

「子どもの知らんことは、ようけあるんじゃ、親には」
「謝らんでええ。子どもは親に言うてもええし言わんでもええんよ、子どもの楽なほうにすれば、親はのう、それが一番なんよ」

久々に読み返すと、38歳の僕の父親、僕を陰に日向に支えてきたチュウさんが「流星ワゴン」の主人公に思えてくる。広島弁で言い放つ一言一言に「わかる、わかる」とうなずく私。

ちょっとだけキザに言わせてもらえば、「父親」になってから時間が重層的に流れはじめたのだ。5歳の次女を見ていると、長女が5歳だったころを思い出し、その頃の自分のことも思い出す。さらに僕自身の5歳のころの記憶がよみがえり、当時の僕の父親の姿も浮かんでくる。(同著より引用)

学生のころに、夏服でも冬服でもどちらを着てもいい期間があったことを思い出す。大人でも子どもでもいい期間を経て、少しづつ前に進んでいくのだと思った。

最後まで読んでいただきありがとうございます。本好きのエピソードを紹介していきます。

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