エジプト | 急降下するポンドと生活を直撃するインフレの波【気になる世界の国々#12】
エジプトの基本プロフィール
エジプトはアフリカ北東部に位置し、国土の多くが砂漠に覆われていますが、ナイル川流域に広がる肥沃な地域が特徴です。国土面積は約100万平方キロメートルで、人口は約1億1000万人(2024年推定)。首都カイロはアフリカでも最大規模の都市で、エジプト文明の遺産を色濃く残す都市です。ピラミッドやスフィンクスなどの遺跡、紅海のリゾート地として観光客に人気があり、歴史と現代が交差する国として注目されています。
なお、時差については、日本(東京)はエジプト(カイロ)より7時間進んでいます。例えば、日本が午後7時の時、エジプトでは同じ日の正午12時です。
スエズ運河を抱える戦略的要衝
エジプトは地中海と紅海を結ぶスエズ運河を有し、世界の貿易において極めて重要な位置を占めています。スエズ運河は年間約1万8000隻の船舶が通過し、世界貿易の約12%を占める物流の大動脈です。この地理的優位性により、エジプトは中東・アフリカ・ヨーロッパを結ぶ交差点として、国際的な注目を集めています。また、紅海沿岸は観光地としても知られ、特にダイビングスポットとして世界中の旅行者を魅了しています。
古代文明の遺産とイスラム文化の融合
エジプトは人類史における最も古い文明の一つであり、約5000年以上の歴史を持つ古代エジプト文明の発祥地です。この文明は、ピラミッド、スフィンクス、ルクソール神殿、アブ・シンベル神殿など、世界的に知られる建造物や遺跡を残しています。これらの遺産は、エジプトが誇るべき歴史的な象徴であり、世界中から観光客を引き付けています。特にピラミッドは、古代の高度な建築技術や天文学的知識の証拠として、現在も研究が進められています。
一方で、エジプトは7世紀以降、イスラム教の広がりによって大きな影響を受けました。イスラム教は現在のエジプト文化の根幹を成しており、イスラム教徒が人口の約90%を占めます。イスラム教の影響は、建築物、衣服、料理、そして社会の価値観に至るまで、多岐にわたります。エジプトの都市部では、モスクのミナレット(尖塔)が特徴的な風景を作り出しており、礼拝のためのアザーン(呼びかけ)が一日に数回流れます。
それと同時に、エジプトにはコプト教徒(エジプト正教会)のコミュニティも存在し、人口の約10%を占めています。コプト教徒は古代からエジプトに根付くキリスト教の一派であり、独自の宗教的伝統や文化を守り続けています。彼らは、古代エジプト文明とキリスト教の影響が融合した独特のアイデンティティを持ち、特にクリスマスやイースターなどの祝祭が特色です。
エジプトの文化的多様性は、このような宗教の共存によって形成されています。宗教は時に社会的な緊張を生む要因にもなりますが、長い歴史を通じてエジプト人はこの多様性を受け入れ、独自の国民性を築き上げてきました。エジプト人の国民性には以下の特徴があります。
歴史と伝統への誇り
エジプト人は、自国の歴史的遺産に強い誇りを持っています。ピラミッドやナイル川のような古代の象徴を、自分たちのアイデンティティと深く結びつけています。ホスピタリティ(おもてなしの心)
エジプト人は来訪者に対して非常に親切で、特に観光客には温かいおもてなしを提供することで知られています。文化的に他者を歓迎し、助け合う精神が根付いています。家族中心主義
家族はエジプト社会の基盤であり、家族の絆を非常に重視します。世代を超えて家族が共に過ごし、伝統を守ることが一般的です。ユーモアと楽観主義
エジプト人は困難な状況でもユーモアを忘れず、楽観的に物事に取り組む傾向があります。ジョークや笑いは日常生活の一部であり、人々を繋ぐ大切な要素です。信仰の深さ
宗教はエジプト人の生活に深く根付いており、イスラム教徒とコプト教徒の双方が日々の生活の中で宗教的な価値観を大切にしています。礼拝や宗教行事を通じて、コミュニティとの結びつきも強化されています。
エジプトの文化は、このような深い歴史と多様な宗教的背景を基盤として、現代に至るまで進化を遂げています。その結果、エジプト人は伝統を守りながらも、国際的な影響を受け入れる柔軟性を持つ独自の国民性を形成しています。この多様性と調和は、エジプトの魅力を一層引き立てています。
経済の現状と主要産業
為替
エジプトの通貨であるエジプト・ポンド(EGP)は、2024年12月時点で1ドル=約50エジプト・ポンドの為替レートとなっています。
GDP
エジプトのGDPは約4040億ドル(2024年推定)で、アフリカではナイジェリアや南アフリカに次ぐ規模を持っています。GDP成長率は2.7%。世界に占める名目GDPの割合は約0.38%、購買力平価GDPでは約0.87%です。
なお、2025年~2029年のGDP成長率は、4.1%, 5.1%, 5.2%, 5.6%, 5.7%となっています。画像はGDP成長率の推移です。
インフレ率と失業率
2024年11月のインフレ率は25.5%。
直近の失業率は7.2%。
人口動態
2024年時点のエジプトの人口ピラミッドを見ると、労働年齢層(15歳から64歳)が全人口の約62%を占めており、経済の中心的な基盤を成しています。この層は、エジプトの農業、製造業、サービス業、観光業などの主要産業を支える原動力となっており、若い労働力が豊富であることがエジプト経済の強みと言えます。
若年層(0~14歳)は全人口の約31%を占め、エジプトの人口増加率の高さを反映しています。
65歳以上の高齢者層は全体の約4%と比較的少なく、高齢化の進行は緩やかです。
全体像はこちら。
主な輸出産業・品目
図はエジプトの経済活動および輸出品目を示したものです。
エジプトの輸出は多様な産業分野にわたっていますが、特に以下の分野が重要な役割を果たしています。
旅行・観光(Travel & Tourism)
旅行・観光産業は、エジプトの輸出において最大の割合を占め、全体の約15.54%に達しています。ピラミッドやルクソール神殿などの世界的に有名な遺跡を有し、観光客を引きつける魅力的なリソースを持つエジプトにとって、観光業は主要な外貨獲得源となっています。紅海沿岸のリゾート地も特に人気が高く、国際観光客にとって重要な目的地です。輸送(Transport)
輸送産業は全体の15.02%を占めており、スエズ運河を経由する物流や国際的な運送業が中心的な役割を果たしています。スエズ運河の地理的な優位性により、エジプトは貿易の要所として機能しています。この分野は国際物流だけでなく、観光との連動でも成長しています。石油・ガス(Petroleum & Gases)
石油および天然ガスはエジプトの主要輸出品目の一つであり、特に「天然ガス(Petroleum gases)」が全輸出の10.39%を占めています。また、原油(4.15%)や精製石油製品(3.85%)も重要な輸出品目です。これらのエネルギー資源は、ヨーロッパやアジアを中心に高い需要があります。肥料(Fertilizers)
「窒素肥料(Nitrogenous fertilizers)」は輸出の3.21%を占め、エジプトの肥沃なナイル川流域で生産される農業関連製品として、主に近隣のアフリカ諸国や中東諸国へ輸出されています。これはエジプトの農業資源を活用した重要な輸出品目です。
エジプトの輸出は観光業、石油・ガス、農業関連産業が中心となっており、これらの分野が経済の柱となっています。
汚職と法の支配
・Corruption Perceptions Index(腐敗指数)
Rank 108/180
・Rule of Law Index(法の支配指数)
Rank 135/142
エジプトは、腐敗指数で180カ国中108位にランクインしており、汚職が依然として深刻な課題となっています。特に、公共事業や地方政府の運営における透明性の欠如が問題視されています。エジプトでは行政機関や官僚システムにおける不正や賄賂が長年指摘されており、これが市民の政府に対する信頼を損なう要因となっています。
一方、法の支配指数では、142カ国中135位と、極めて低い評価を受けています。この順位は、司法の独立性や法執行の公平性に深刻な問題があることを示しています。エジプトでは司法制度が強い政府の影響下にあり、公正な裁判が保証されていないとの指摘があります。また、政治的な対立や抗議活動に関連する逮捕や裁判において、法の公正性が疑問視されることも少なくありません。
イノベーションと平和度
・Global Innovation Index(グローバルイノベーション指数)
Rank 86/125
・Global Peace Index(世界平和度指数)
Rank 105/163
エジプトは、グローバルイノベーション指数で125カ国中86位にランクインしており、イノベーション分野では中程度の評価を受けています。特に、スタートアップ企業の育成や大学と産業界の連携が重要視されており、カイロを中心とした技術革新拠点の形成が進められています。政府は投資誘致を通じてハイテク産業を育成する政策を打ち出していますが、官僚主義や資金調達の壁が、さらなる発展を妨げる要因となっています。
一方、世界平和度指数では163カ国中105位と、社会的安定性や治安の面で課題が残っています。エジプトは、中東地域の他国と比べて一定の安定を保っていますが、政治的対立やテロ活動が治安面のリスク要因となっています。特に、北シナイ半島では武装勢力による攻撃が頻発しており、政府は治安維持のための大規模な軍事作戦を展開しています。
2024年のエジプトに起こったこと
エジプト通貨暴落の背景
2024年、エジプト・ポンド(EGP)は急激な下落を経験しました。この背景には、エジプト政府が国際通貨基金(IMF)の要請に応じて為替相場の自由化を進めたことが挙げられます。具体的には、2024年3月6日にエジプト中央銀行(CBE)は政策金利を600ベーシスポイント引き上げ、主要金利を27.25%とする一方、為替レートの決定を市場の力に委ねる方針を発表しました。これにより、エジプト・ポンドは対ドルで約35%下落し、1ドル=30ポンドから1ドル=50ポンド近くまで急落しました。
この為替自由化政策は、エジプトが慢性的な外貨不足と高インフレに対処するための措置でした。しかし、通貨の急落は輸入品価格の上昇を招き、国民生活に大きな影響を与えました。特に、食料品や燃料などの必需品の価格が高騰し、低所得者層への負担が増大しました。政府はこれに対応するため、1,800億エジプト・ポンド規模の低所得者向け緊急経済政策を実施し、賃金引き上げや年金増額などの措置を講じました。
また、エジプトは過去にも通貨切り下げを経験しており、2016年にも同様の措置が取られました。当時も急激な物価高騰が発生し、国民生活に影響を与えました。今回の通貨下落も、経済や市民生活に大きな影響を及ぼしており、政府は引き続き経済安定化と国民生活の支援に努めています。
市民生活への影響
エジプト・ポンドの急激な下落は、市民生活に深刻な影響を及ぼしました。インフレ率は30%を超え、特に食料品や燃料価格が大幅に上昇しました。例えば、政府は2024年6月に補助金付きパンの価格を5ピアストルから20ピアストルへと300%引き上げました。この価格上昇は、貧困層に大きな打撃を与えました。
また、燃料価格も同年7月に最大15%の値上げが行われ、生活必需品の価格高騰が続きました。これらの物価上昇により、購買力が低下し、中小企業は経営難に直面し、失業率の増加が懸念されています。
生活コストの上昇に対する市民の不満は高まり、都市部を中心に抗議活動が発生しています。特に、2024年10月にはカイロで大規模なデモが行われ、治安部隊との衝突が報じられました。これらの抗議活動は、政府の経済政策に対する市民の不満を反映しています。
政府の対策と湾岸諸国からの支援
エジプト政府は経済危機に対応するため、湾岸諸国からの支援を受けています。例えば、アラブ首長国連邦(UAE)は2024年2月に350億ドルの投資を発表し、エジプトの経済発展を支援しています。これらの投資は、港湾インフラや観光業などの分野に向けられ、中長期的な経済改善に寄与することが期待されています。
しかし、これらの支援が即効性を持つかどうかは不透明です。また、エジプト政府は国際通貨基金(IMF)の要求に応じて国有企業の民営化を進めていますが、このプロセスの透明性に関しては懸念が示されています。具体的には、外資系企業に対する参入規制や優遇政策の縮小などが指摘されており、これらが外国投資家の信頼を損なうリスクがあるとされています。
さらに、エジプト政府はIMFとの間で経済改革案に事務レベルで合意し、80億ドルの融資を受けることとなっています。この改革には、国営企業への優遇措置の撤廃や民営化が含まれており、これらの措置が経済の安定化に向けた重要なステップとされています。
アラブの春とエジプトの関係を振り返る
アラブの春がエジプトに波及
エジプトは、アラブの春において中心的な舞台となった国の一つです。2011年、チュニジアで始まった民主化運動がエジプトにも波及し、多くの国民がホスニ・ムバラク政権に対する抗議の声を上げました。この背景には、約30年間続いたムバラク政権の独裁政治や汚職、経済の停滞、高い失業率などへの不満がありました。エジプト国民は、より良い生活と政治的自由を求め、行動を起こしました。
タハリール広場に集まった声
2011年1月25日、首都カイロのタハリール広場(解放広場)に数万人が集まり、大規模なデモが始まりました。このデモは、若者を中心にソーシャルメディアを活用して拡大し、エジプト全土に広がりました。抗議者たちは、民主化、汚職の撲滅、社会的公正を求める声を上げ続け、18日間に及ぶ激しいデモの末、ついにホスニ・ムバラク大統領が辞任に追い込まれました。ムバラク辞任のニュースは国内外で大きな注目を集め、アラブの春における象徴的な出来事となりました。
新たな時代の混乱と希望
ムバラク退陣後、エジプトでは新たな時代が始まりましたが、それは必ずしも国民が望んだ「自由で民主的な社会」の到来を意味するものではありませんでした。暫定的に政権を握った軍事評議会のもとで、政治的混乱が続きました。そして、2012年にはイスラム主義組織「ムスリム同胞団」出身のモハメド・モルシが初の民主的選挙で大統領に選ばれましたが、彼の政権運営に対する批判も強まり、国民の不満は再び高まりました。
再び権威主義へ
2013年にはエジプト軍がモルシ政権を解任し、軍の指導者であったアブデルファタハ・シーシが新たなリーダーとして台頭しました。その後、シーシは大統領に就任し、現在も政権を維持しています。しかし、シーシ政権下では、政治的安定が図られる一方で、言論の自由や人権に対する制約が強まり、再び権威主義的な統治が復活したとの批判が続いています。
アラブの春の教訓とエジプトの未来
アラブの春は、エジプトに希望と変化の可能性をもたらしましたが、その後の過程で、民主化の期待は完全には実現しませんでした。それでもなお、この運動はエジプト国民が自らの声を上げ、変化を求めた重要な歴史的転換点として位置づけられています。エジプトの未来がどのように展開するか、アラブの春の経験がその道筋にどのような影響を与えるのか、引き続き注目されるところです。
終わりに
エジプトはその豊かな歴史と文化的多様性を誇る国であり、スエズ運河や観光業といった地理的・経済的な強みを持っています。しかし、その一方で、経済改革や政治的安定への挑戦が続いています。アラブの春を経て、エジプト国民は変化への希望を抱きましたが、その道は必ずしも平坦ではありませんでした。近年のインフレ危機や通貨下落は、政府の改革と国民生活のバランスを取る必要性を浮き彫りにしています。
エジプトは、その地理的優位性と若い人口構造という強みを活かし、現在の課題を克服する力を秘めています。アラブの春から続く長い道のりの中で、エジプトがどのように未来を切り開いていくのか、引き続き注目していきたいと思います。