
建築家というエゴ【1-2】
↑この脇道の続きです。
高いか低いか広いか狭いか
設計事務所にいた頃、主宰が知人の有名建築家の講演があるから行こうと、連れて行っていただいたことがある。谷尻誠さんという当時飛ぶ鳥を落とす勢いの有名建築家で、今では超有名建築家だ。
先述した通り私が設計事務所にいた頃は建築家になるにはある程度決まった道があったが、谷尻さんの経歴はザ・建築家のそれとは異なり、新しい建築家への道を開いた人の1人だと思う。
そんな谷尻さんの講演は1つのフレーズが頭に残っている。正しく覚えてないが
「設計は高いか低いか広いか狭いかだけ」
だった気がする。
その時にはあまり、理解できなかったが。
建築家のエゴについて考えていたら、この言葉を思い出した。何故この言葉を思い出したのか、少し考えて合点がいった。
谷尻さんはどう考えてその言葉を使っていたかは分からないが、私には、建築家なんてそれを愚直に考えることしかできない。とそう頭の中で聞こえたのだ。
建築家は「思想」「生き方」と先述したが、簡単にいうと自分達をかっこいいと思っている。
シンプルにナルシストなのだ。
しかし、これまでの業界になかった新しい道をつくる建築家は、そうではなく自分の見てくれを気にしない、探検家なのだろうと。
※本当は野武士と例えたいが、建築家っぽくなるので(笑)探検家にした。
そうなると建築家が鼻高々に設計したものと、まるで探検するように設計したものとでは、私的には面白さが全くちがう。
なるほど。と私は納得した。
世の中もそう変化してきていたのだ。
それはどちらもエゴだと思うが、今はうまく言語化できないので、後日結びをちゃんと考えるとして。
谷尻さんは職業「谷尻誠」と話している。
これには共感しかなく、そしてまた先述したような建築家と探検家の違いを内包している。
職業について。
建築家ではないならなんなのかの先にある話し。その話を書くまでにまだまだ話したいことがあるので、この脇道でそこまで書きたいとおもいます。