不安な観察

最初のパブリック・トイレから、これまでも何度か書いてもらった板坂留五さんによる新しいテキストが公開されています。

https://www.biz-lixil.com/column/urban_development/ps_proposal014/

内容は板坂さんが西澤徹夫さんの協力のもと昨年完成させた半麦ハットについて。ともかく、テキストとして面白いのですが、その中でも、窯業系サイディングという最もありふれた素材が観察とともに無視できない素材として浮かび上がり、そのうち設計のパレットの上に乗せられることになるというくだりは、もはや文学的で美しい。このテキストのクライマックスですね。

そう、観察は自分自身の価値観を補強するためではなく、自分自身の価値観が変わるからこそ意味がある。

窯業系サイディングは、工業製品としてのドライな雰囲気もなく、かといって高級なイメージもなければ、デザイン的にも正直パッとせず、その上で建築家が嫌う商品化住宅などでは大量に使用されている素材で、確かにぼく自身もきちんと見ることはなかったなあと反省しました。唯一覚えている例外は、ムトカの設計したペインターハウスぐらい。

さらにその後、母親の価値観も変わっていく様子が語られる。好奇心と不安の入り混ざった観察が、いつしか自分だけではなく徐々に周囲の人の価値観をも変えていく。いや、ほんと美しいテキストですね。

最後に。まとめの部分で板坂さんがいっているパブリック・スペースはあえて定義するなら、公なもの(official)でも、開かれているもの(open)でもなく共有する(common)という意味でのパブリックになるのではないかと思います。そして、それをできうる限り押し付けるのではなく、その場所に関わった人が主体的に気づいて共感できる状態をつくること。多様な価値観を認めなければならない現在において、とても誠実な態度でぼく自身とても共感しました。

というわけで、ぜひ!

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