未踏ジュニアにおけるよい提案資料の書き方、もしくはアイデアの伝え方と評価について
こんにちは、関です。
本エントリでは未踏ジュニアの応募書類を僕がどのように見ているかということについて書きます。本エントリの内容は未踏ジュニアという枠にとどまらず、なにかアイデアを整理したり、誰かに伝える方法論としても役立つないようなのかなと勝手に思っています。
このエントリ、本当は未踏ジュニア2019の応募開始に寄せて書き始めたんですけど、書ききれずに眠っていました。
はじめに
先日未踏ジュニアの2022年度の応募が開始されました。私は2017年度からメンターを務めております。
未踏ジュニアはU-18のジュニア世代のクリエイターに対して、開発資金50万円とメンタリングを提供し、クリエイターのものづくり支援を行うプロジェクトです。
ここ数年、応募総数は100件を超えています。近年採択者やOBOGがどんどん活躍の場を広げていることから未踏ジュニアの知名度があがっており、今年も厳しい選考になると予想しています。
時間は有限ですので応募者一人一人の応募書類に避ける時間はどうしても少なくなってきますので、提案資料の書き方というのが選考の中で重要性を増してくると思います。
未踏ジュニアの採択においてはメンター個人として採択したいかどうかということが重視されます。
つまり多くのメンターが興味を持たなくても一人のメンターが強く興味を持てば採択されるということです。
メンターは様々な分野から選ばれており、また個人としての趣向も異なっています。そのため統一的な基準はありません。
このあたりの話は以下のスライドにまとまっています。
本稿では僕個人の未踏ジュニアの採択基準について述べます。
また過去の審査を踏まえて、応募書類にはどのようなことを書くべきか、書かないべきかということに対する私見も述べます。
もちろん僕も人間なので、この基準に載っかってなくても「これめっちゃいい、やばい!」ってなったら取ると思うので、絶対のものではないです。
しかし、書き方で損してるな〜ってプロジェクトを結構見てきましたし、また良い提案書を作るプロセスで、アイデアはよりブラッシュアップされていくと思っていて、そういったメッセージを伝えることができればと思いこのエントリを書くことにしました。
この内容は未踏ジュニアの応募だけでなく、アイデアを伝えるという一般的な事象にもまぁまぁ役立つ内容になっているといいなと思っています。
良いアイデアとはなにか?
まずアイデアの伝え方を考える前に、良いアイデアについて考えてみましょう。
誰が言い出したことかわかりませんが、使い古された言葉に「アイデアには価値がない」という言葉があります。これはアイデアというもの特性の一部を良く表した言葉であると思います。
もう少し具体的な言葉としては「自分が思いついたものは100人が思いついたと思え」「思いつくのは10,000人, やって見るのは100人, 続けるのは1人」も数字にばらつきはあれど良く耳にします。
このような言葉をみるとアイデアの段階ではその良し悪しを判断できず、とりあえずやってみるのが良いといえます。
僕も基本的にはこの考えです。
しかし未踏ジュニアのような支援プログラムや、ベンチャーの資金調達などは、そのアイデアを実行するために必要な時間や資金を確保するためにやるので、鶏卵問題になります。
そこで重要であると考えているのは、アイデアの価値を検証する方法です。
アイデアの成否は基本的に運の要素が強いので、やってみて「よかったです」「ダメでした」では博打です。
しかしアイデアの実行の中に価値を検証しアイデアをブラッシュアップするプロセスが入っていれば、博打ではなく試行錯誤となります。
こうした試行錯誤のプロセスは、クリエイターや会社の成長に不可欠なものであり、そのアイデア自体が失敗しても次のチャレンジが期待できるものになります。
つまり良いアイデアである要素の1つには「そのアイデアについて、価値を検証することがうまくできる」があると思います。
ここでのうまくは効率的にといいかえてもいいでしょう。
では「そのアイデアを実行し、その価値を検証することがうまくできる」にはどうすればいいでしょうか。私は以下の項目が満たされていることが重要だと考えています。
・1.アイデアが誰の役に立つのかが具体的である
・2.アイデアの価値を検証することができる
またこれらの条件だけでは、アイデアはありきたりなものになってしまいます。そのアイデアの良さを表現するには以下の項目も重要になるでしょう。
・3.類似したアイデアが十分に列挙されており、調査されている
・4.価値が検証された先に大きなビジョンを描くことができる
以降ではこの4項目についてより詳しく議論していきます。
1.アイデアが誰の役に立つのかが具体的である
これは最も重要なポイントです。
役に立つとありますが、価値を提供すると言い換えてもいいと思います。
つまり面白いとか、かっこいいとかもそのひとつです。ゲームやアート系のアイデアだとそうなると思います。
具体的に言えば「そのアイデアでだれが嬉しいの?」という質問に答えられるかどうかです。
この点を明らかにする最も簡単な方法は、自分が情熱的に欲しいと思うものを作ることです。
自分の気持ちを理解することはもちろん簡単ではありませんが、他人の気持ちを理解するよりは遥かに簡単です。
自分が欲しいと思っているので、「誰が嬉しいの?」と聞かれれば「自分がうれしいです!」と答えられます。
情熱的にと書きましたが、あったら欲しい程度のものでは人々が共感する良い相手にはならないと思います。
大きな不満や強い欲求、もっと社会はこうあるべきといったような強いモチベーションが必要です。
僕は、現代の飽和した社会において、このような「情熱的な欲求」をもてることは一つの才能だと思います。
よくない書き方として世の中で重要だとされている課題に対するアピールを過剰にしてしまうことがあります。
例えば少子高齢化社会のような問題です。
世の中、特に学校教育の場ではこのような社会的に意義のあるアイデアが評価され、「欲しい」「これがしたい」というような個人の情熱に基づくアイデアは評価されない傾向にあると感じています。
僕はこれは逆だと思っていて、自分事にできていない課題を考えたところでありきたりで凡庸かつ、価値が低いアイデアしか生まれてこないと思っています。
アイデアで嬉しくなる人々や業界について詳しく調べているということは一つの要素です。
特にインターネットに書いてあることより踏み込んでいるといいでしょう。
実際にそのアイデアに関わる人に話を聞きに行ったり、古い文献などから情報を得ていることなどは評価をあげる一因になると思います。
調べてみるとアイデアが実は役に立ちそうになかったということのほうがほとんどです。
それで諦めるのではなく、その結果を踏まえてどうするかが大事です。
トライアンドエラーの経緯を説明することもまた、アイデアの価値を高めることになるでしょう。
最も評価するのは、もう実際に作り始めている、もうプロトタイプができた、一度チャレンジして失敗した、という実際の行動が伴っているケースです。
これは提案の評価を非常に高めます。
実際に作り始めて完成すると多くの場合、考えていたようなものはできず、自分の理想と現実のギャップにつらい気持ちになります。
役にたつと思って作ったのに、ぜんぜんうまくいかない。
それでもなお、前を向いて情熱を持ち続けられているかというのは高く評価できる点だと思います。
2.アイデアの価値を検証することができる
そのアイデアがいかに良く、面白くても、世の中に対して形にすることがなければ、それはただの妄想です。
例えば「世界を平和にするためのアイデア」を考えたとします。
そのアイデアに価値があったかを検証するには、世界が平和になったかどうかを検証しなくてはなりません。
これは可能でしょうか?難しいですね。
アイデアの価値検証するために、まずその価値を具体化する必要があります。
これは「誰の訳に立つのか」とも密接に関わってきますが、そのアイデアによって「その人がどうなると嬉しいのか」ということです。
これを具体的にかければかけるほど、アイデアの価値検証ができます。
これはある領域では「カスタマージャーニーマップ」と呼ばれることもあります。
このプロセスを具体的にしていく過程では、自分のアイデアにまったく価値がないのではないか?と思うことがあるでしょう。
そのときはまたアイデアに立ち戻って、どのようなアイデアであれば対象者の役に立ちそうかを考えるのです。
このプロセスを繰り返すことが、アイデアをよりよいものにしていくでしょう。
価値が定まっても、その価値はまだ机上の空論にすぎません。
そこでその価値を検証する必要があります。
それがアイデアを実行する上で一番重要で、難しく、面白いことです。
この過程で最もうれしいケースは、アイデアを実現したときに、それが価値あるものとして受け入れられることでしょう。
自分が価値があるのではないか、と考えたことがそうであったということを示せたということなのですから。
しかしそれは非常に難しい、というよりもとても強い運が必要になることです。
アイデアの価値を運にしないためにも価値の検証が必要なのです。
価値を「検証する」ということには能力、時間、資金などが制約条件として存在します。
お金と時間が無限にあればなんでもできますが、世の中そう甘くはありません。
例えば検証ばかりに時間をかけていたら、一生アイデアの実行はできませんよね。
つまり、「予算の中で、いつまでに、何ができれば、アイデアに価値があるかを検証できるか」を制約条件の中でどこまで具体的に出来ているかがアイデアの価値を検証することができるという状態です。
アイデアを検証する方法はそのアイデアによるので一概に示すことはできません。
特に良いアイデアの検証方法とは、それ自体が良いアイデアであるということになります。
まず悪い方法の一例を示します。それは「アンケートをとり、このアイデアがあったら欲しいかをユーザ候補者に聞く」ことです。
アイデアという机上のものについて、あったら欲しいかを聞けばよっぽどひどいものでない限り、「はい」と答えるのが普通の人間です。
聞いている人間が知人などであれば尚更です。
実際にそういう人たちのほとんどはアイデアが形になっても使ってはくれません。
いい方法はそのアイデアが実現されたら起こることを簡易に体験してみるということです。
例えばゲームであれば、紙などで同じようなことをやってみたり、情報サービスであればそうした情報をSNSで発信して反応を見てみたりすることができると思います。
この検証をするためのアイデアをどのように考えられるか、それを考えただけでなく実際に実行したか、その結果を踏まえて何を学びどのようにアイデアをアップデートしたか、というところがアイデアの評価において最も評価される点の一つだと考えています。
この検証の中でプロトタイプを作るのは最も優れた方法です。
プロトタイプができているか否かが未踏ジュニアの選考プロセスで重要なのはそのためです。
3.類似したアイデアが十分に列挙されており、調査されている
いわゆる競合調査です。
この評価において「類似したものがあってはいけない」という先入観を持っている人が多い気がしています。
前提として似ているものがないアイデアというのはあり得ません。
もしそんなものがあるとすれば、それはやる価値がないものだと言っていいと思います。
なぜそのような誤解があるのでしょうか?
「すでに似たものがある」という指摘は誰でもできる批判だからです。
アイデアに価値があるかないかは個人の感性による部分が多く、アイデアをプレゼンテーションする側は魅力的に話すよう努めるので、そこを批判することは難しいです。
しかし、すでに似たものがあるという批判は、簡単で、尤もらしいように聞こえます。
そのため社会の多くの場でそうした批判が短慮に行われており、アイデアの芽が摘みとられ、独自性という言い訳のもとで誰も価値を感じない機能やアイデアが社会に生み出されています。
避けなければならないことは、独自性を出そうするあまり、価値とは直結しないアイデアを加えてしまい、アイデアの価値が歪んでしまうことです。
これを「差別化の罠」と呼ぶ人もいます。
差別化のためにアイデアが歪んできてしまい、やりたいことと作りたいプロダクトの差が大きくなってきている提案書を数多くみてきました。
こうした提案書は検証方法などもブレブレになるため評価は下がります。
まず自分が何を作りたいと思っているのかを一番大事にしましょう。
またこれは未踏ジュニアに限った話ですが「安くできる」を差別化要因にすることはやめましょう。
高校生以下の皆さんが考えるより、世の中にある製品の価格というのは様々な理由で決まっています。
みなさんが安く作れることと、それがその値段で売られていることは、皆さんが会社を作ってビジネスをしない限り差別化要因になりません。
ちなみに「世の中の製品は大人向けて子供たちにとっては高いが、設計方法など含めて公開し、必要な子供たちが自作できるようにする」は十分な差別化要因になり得ます。言い方次第です。
似たアイデアがあることは悪いことではありません。
むしろ似たアイデアがあることは、自分が考えるアイデアの価値は独りよがりなものではなく、それを価値に感じる人間が一定いることが示されるポジティブな面の方が強いです。
しかし、では同じものを作る意味があるのかといえばありません。
なぜ今世の中にあるものではなく、自分は新しいものが作りたいのかを明確にする必要はあります。
世の中にあるアイデアを調査し、その上で自分がなぜそれを形にしたいのかを自問自答することで、自分が作りたいアイデアはより洗練されたものになっていくのです。
4.価値が検証された先に大きなビジョンを描くことができる
ここまでアイデアの価値を明確しに、そしてそれを検証する方法まで示すことが重要であると述べてきました。
そうしたプロセスを得ることでアイデアの具体性と確実性は上がります。
しかし、その結果としてアイデアが小さいものになりがちという弊害があります。
大きな価値を生み出すようなアイデアであればあるほど、具体性が乏しく検証も難しいからです。
それでは良いアイデアと言えません。どのように両立すべきでしょうか。
ここで大事なのは大きなビジョンです。
アイデアが検証され、実行された場合どのような良いことがあるかについて具体的に想像し、それが生み出す世界を示しましょう。
この話はここまで述べたようなプロセスを経ていなければ妄想でしかありませんが、そうでなければビジョンとして成立し、アイデアの価値をより高めてくれます。
大きな理想と現実的な目の前の実行プランの2つが揃ってこそ、良いアイデアと言えるのです。
おわりに
以上、未踏ジュニアの応募において、自分がどのような点を見ているかを中心にアイデアの良し悪しとは何か、どのようにアイデアを評価するかということを書きました。
これがアイデアの評価方法として正しいか正しくないかはよくわかりませんが、上記に示したようなことが示されているアイデアはそうでないものより良く評価されると思います。
個人的にはアイデアを実行前に評価することは不可能だと思っていて、もちろん成否に様々な要素はありますが、成功に最も重要なことは運だと思います。
成否が運なのなら、その実行が失敗したとしてもその失敗から何を得るかということが大事です。
今回記載したことは失敗からうまく学べるかどうかを評価する方法だとも言えます。
本稿では時々触れましたが、世の中、特に学校教育ではアイデアの評価は誤った方法で行われていることが多く、そのために良いアイデアが出てきづらいことが多いと感じています。
もっと情熱的に自分の欲や痛みを元にアイデアを生み出せる人が増えていくともっと世の中は楽しくなると思っていて、未踏ジュニアの活動を通してそういったことも伝えていけるといいなぁと思っています。
それでは、皆さんの応募をお待ちしています!
追記
本稿は、アイデアを伝える方法、ブラッシュアップする方法、評価する方法について書いたもので、アイデアを生み出す方法ではありません。
その辺りにはまた異なる技術が必要になるかな〜って思っています。
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