鷲舞創世記
今年も酉の市の季節がやって参りました。酉の市発祥の地とも言われる由緒正しき浅草 鷲神社で「鷲舞(おおとりまい)」を奉納させてもらえる様になってから七年になります。そろそろ始めた頃の記憶が薄らいで、初心を忘れそうになっている事に気づき、危機感を募らせる今日この頃。
応援して下さる方々も世代交代(?)が進み、もはや初期の我々の有り様をご存知ないお客様も増えて参りました。この辺りで鷲舞も振り返ってみる良い頃合いかと思い、筆を取る事に致しました。
吉原の狐舞を江戸時代から復活させた翌年のある日、百合之介は吉原神社の裏手にある鷲神社の社務所の前に立っていました。有名な酉の市で鷲舞を奉納させて頂けないか交渉する為です。そしてお会いした鷲神社の宮司さんはとてもおおらかで理解のある方でした。トントン拍子に話は進み、まずは正月の七草。次に二月の節分で舞を奉納してみて、神社関係者の評判が良ければ、11月の酉の市にデビューという事に。七草は近所の人が集まるアットホームな餅つき大会。節分祭はその何倍もの参拝客で境内を埋め尽くします。そして酉の市ともなると、その更に何百倍の人々が押しかけ、鷲神社の名を天下に轟かす最大の催しです。なるほど、一年かけてのオーディションというわけです。誠に良くできた話で。
伝統ある吉原の狐舞と違い、鷲舞は全くの新作舞踊。由緒ある神社で通用するものか不安もございましたが、宮司さんの「どんな伝統も始めは新作だった。新しい伝統を作っていこう」というお言葉に励まされ、夢にまで見た、天空神楽殿「瑞鷲殿」に立ったのでした。
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