世界一のSD"モンチ"とアストン・ヴィラ

ラモン・ロドリゲス・ベルデホ、通称 "モンチ"。アンダルシアの古豪を歴とした強豪クラブへと押し上げた男の名は、今や欧州中に轟いている。

この夏、モンチはイングランドで新たな挑戦をスタートさせる。愛するセビージャで17年、ローマで2年、その後またセビージャで4年。2度目の国外挑戦の舞台は、時代の最先端をひた走るイングランドの古豪、アストン・ヴィラ。プレミアリーグの勢力図は、敏腕SDによって新たに塗り替えられることになるのだろうか。

スポーツ・ディレクター

SD(スポーツ・ディレクター)は、選手の獲得・放出などチームの戦略部分を担う。監督を現場の総責任者とするならば、SDはチーム強化の総責任者だ。SDは監督を含めたチーム部門のすべてに関する人事権を掌握する。目先のシーズンだけでなく、中長期的な強化までを視野に入れてチームを作ることがその最大の役割だ。当然そのために必要な予算も掌握している。

チームビルディングを担うと言っても、必要なスキルは多岐にわたる。まずは組織を整備して、国内外からあらゆる選手・監督の情報を集めるスカウティング力。さらにその情報に基づいて、補強予算を勘案しつつ獲得・放出する選手を決めるための計画策定力。そして最後に、相手のクラブや代理人との交渉力。SDにはこれらすべてのスキルが欠かせない。

モンチのキャリア

セビージャ一筋10シーズン。現役時代のポジションはGKだった。肩の怪我によって30歳で引退し、その後フロント入り。2000年にスポーツディレクターに就任し、当時2部に降格していたセビージャは1年で1部復帰を果たす。そこから右肩上がりで躍進を遂げ、ELを3連覇するほどの強豪クラブへと変貌させた。

セビージャの成長 (2000~2017)

モンチがSDに就任する直前のセビージャは、プリメーラとセグンダを行ったり来たりするエレベータークラブだった。それ以前に獲得した主要タイトルは、1940年代のものが最後。1990年代後半に至っては、昇降格を繰り返す時期が続いた。近年の勇躍ぶりから見れば、モンチが現役時代を過ごした時期のセビージャは「暗黒時代」という形容が妥当だろう。

モンチのSD就任後、彼はサッカースクールやスカウティング組織などのインフラを整え、クラブの財政を建て直した。安値の選手ばかりで構成されたチームは2部リーグ最多得点・最多勝利で優勝、昇格を果たした。

その後のセビージャの成績は、8位、10位、6位、6位、5位、3位…。ラリーガでは押しも押されぬオトラ勢の筆頭に成長していく。05-06、06-07シーズンには、UEFAカップ(現UEFAヨーロッパリーグ)を連覇。07-08シーズンにはCLにも出場するなど、飛躍を遂げた。ウナイ・エメリ監督期のEL3連覇(13-14、14-15、15-16)につながる、ELの絶対王者としての歴史はここから始まっている。

目利き

モンチの手腕を評価する際に必ず言及されるのが、目利きの能力。「安く買って高く売る」というモデルを打ち立て、それを徹底的に研ぎ澄ましたモンチには、掘り出し物を発覚する鋭い嗅覚がある。経済力ではビッグクラブに敵うべくもない。誰よりも早く才能を発見し、それを見極める能力が肝要。事前の準備がすべてを決める。

近年のセビージャにおける主な移籍金収入

売り時

モンチの選手獲得・放出についてよく観察してみれば、一般のクラブではなかなか決断できないの豪快さで選手を放出しているシーズンが多々ある。モンチは、選手の売却やチームの柱の放出に際しても、怯えることはない。代役をリストアップする事前の作業を既に完了しており、チームの競争力を維持したままで次のシーズンを迎えることができると確信しているからだ。

かといって、必ずしもそれが成功するときばかりではない。しかしELを3連覇したときの決勝のスタメンを眺めてみても、結果を残している時期にも関わらずメンバーが大きく入れ替わっていることがわかるはずだ。CL3連覇時のレアル・マドリーのメンバーと比べてみると一目瞭然。黄金期のメンバーは不動になりがちだが、そのセオリーはモンチのセビージャには当てはまらない。

EL3連覇の決勝スタメン

13-14 EL決勝 vs ベンフィカ
14-15 EL決勝 vs ドニプロ
15-16 EL決勝 vs リヴァプール

参考:CL3連覇のレアル・マドリー決勝スタメン

15-16 CL決勝 vs アトレティコ・マドリー
16-17 CL決勝 vs ユヴェントス
17-18 CL決勝 vs リヴァプール

収入源としてのカンテラーノ

モンチはカンテラのビジネス化におけるパイオニアとしても知られる。伝統的にカンテラーノというものはタレントの養成所であり、投資の回収は不可能だと考えられていた。

2004年1月、国王杯準決勝のレアル・マドリー戦を目前にして、当時カンテラの至宝だったレージェスをアーセナルに売却。3000万ユーロの移籍金は、当時のクラブ最高記録だった。サンチェス・ピスファンには激震が走り、当然のことながらフロントには批判が集まった。最も価値のある選手を重要な一戦の直前に放出した直後、セビージャは準決勝で敗退。しかし誰もが売り物だと思っていなかったカンテラーノを売るという決断により、クラブは破産を回避し、その後の右肩上がりの成長の礎となったといえる。(ちなみにレージェスはその後2012年にセビージャに復帰し、エメリ監督のもとEL3連覇に貢献。終盤に投入されて芸術的なアシストを記録する、絶滅危惧種のような選手だった。2019年交通事故により死去)

そこからモンチはカンテラのビジネス化のための環境整備を行った。人的・物的な組織と育成プログラムを整え、できる限り最高の選手を育てることを決めた。

高額の移籍金収入をもたらした主なカンテラーノ

ローマでの挑戦

成功か失敗かと問われれば、失敗と言わざるを得ない。

2017年3月、モンチは17年もの長きにわたってSDとして腕を振るった心のクラブを退団し、ASローマのSDに就任した。同年夏、FFP規制の影響もあり、資金捻出のためにモハメド・サラーやリュディガー、パレデスなどの主力を放出。クラブは莫大な売却益を獲得しつつ、17-18シーズンはリーグ戦で3位、CLでは準決勝進出と、過去10年で最高の成績を挙げた。

2018年夏も、モンチの方針は変わらない。アリソンをGKとして当時史上最高額(6250万ユーロ)でリヴァプールへ売却。その他ナインゴランやストロートマンなどのビッグネームを売却した。しかし代役として獲得した選手が軒並み期待に応えられず、チームは不安定なシーズンを過ごすことになる。現地報道やファンの意見は惨憺たるものであった。

モンチは反論した。「勝利は合理性のもとで目指さなければならない。ローマを経営難に陥れることなく、長年にわたり強いチームを作り上げること、それが私の目標だ。昨年だって我々はサラーやリュディガーらの放出を批判されたが、過去10年で最高の成績を挙げたのだ」

2019年3月、アメリカ資本のもとで断行された経営改革により、モンチはローマを去ることとなった。長期路線、若手発掘路線をひた走ろうとしたモンチは、2年間で2億ユーロを超える選手補強をしながらも、結果として目先のシーズンを戦い抜くための戦力を揃えることができなかった。初年度の成績が良すぎたことも一因となって、その反動で批判が降り注いだ。

毎年のように選手を大幅に入れ替えるモンチのやり方は、クラブやサポーターとの信頼関係があって初めて成立するものだ。セビージャでも、毎年かならず成功を収めていたというわけではない。モンチの目指すクラブはあくまで長期的に成長するクラブであり、その信頼関係を築くことができぬままに短期的な成果を挙げることは難しい。

セビージャ復帰

ローマを去ったモンチは、すぐさま心のクラブに復帰した。

2019年夏、スペイン代表とレアル・マドリーで話題を呼んだロペテギを招聘。さらにその夏の移籍市場では、ヤシン・ボノ、ジエゴ・カルロス、ジュール・クンデ、セルヒオ・レギロン、フェルナンド、ジョアン・ジョルダン、スソ、ルーカス・オカンポス、ルーク・デ・ヨンクなどの面々を獲得。復帰1年目にしてセビージャは6度目のEL優勝。モンチとセビージャのEL神話は、ここで確信に変わった。

モンチがSDを務めている期間を合わせると、セビージャは11個のタイトルを獲得した。EL7冠、コパ・デル・レイ2冠、UEFAスーパーカップ、スーペルコパ。「安く買って高く売る」という、今となっては当たり前になっているビジネスモデルはセビージャに莫大な移籍金収入をもたらし、今や多くのクラブで研究され、模倣されている。

モンチの新たな挑戦

22-23シーズンのセビージャは、開幕から絶望的な滑り出しだった。開幕後3試合で勝ち点はたったの1ポイント、しかも3試合のうち2試合は昇格組のバジャドリードとアルメリアだった。21-22シーズンは首位のレアル・マドリーに肉薄し、最終的にCL出場権を獲得する成績を収めたものの、夏の移籍市場で躍進の立役者だったCBコンビ(クンデとジエゴ・カルロス)を揃って放出した。それでもなんとかしてきたのがモンチのプランニングだったのだが、その神力も今回ばかりは通用しなかった。

10月に成績不振でロペテギを解任し、後任には2度目の指揮となるサンパオリが就任。しかし3月には降格圏手前の14位まで沈み、シーズン2度目の監督解任を余儀なくされる。その後任にホセ・ルイス・メンディリバルを招聘し、クラブ史上7度目のEL優勝で締め括ったシーズンではあったが、モンチの判断に疑問符がつけられる結果となった。

一部報道によると、ロペテギ解任とサンパオリ招聘はモンチの意向ではなかったとされており、そのことが原因でクラブ上層部との不和が生まれていたとのことだ。クラブに不信感を募らせていたモンチは、愛するセビージャをまたしても退団することに決めた。

アストン・ヴィラ

アストン・ヴィラFC。イングランド・ウェスト・ミッドランズ州バーミンガムをホームタウンとする古豪。ホームスタジアムはヴィラ・パーク。

その古豪たるや、フットボールリーグ優勝7回、FAカップ優勝7回、フットボールリーグカップ優勝5回。1981-82シーズンにはUEFAチャンピオンズカップ(現CL)を制している。

アストン・ヴィラの資金源は、2人の共同オーナーだ。エジプトの実業家ナセフ・サウィリス(総資産69億ドル)とアメリカの実業家ウェズ・イーデンス(総資産34億ドル)のタッグは、プレミアリーグでニューカッスルとマンチェスター・シティに次ぐ資金力だと言われている。

2018年夏、当時2部で経営破綻寸前だったアストン・ヴィラのオーナーに就任すると、クラブの負債をすべて返済。イングランドを代表する強豪としてのヴィラの姿を取り戻すプロジェクトが始まった。5億ポンドを超える資金投下により、毎年着実にタレントを確保。昨シーズンはセビージャの柱石、ディエゴ・カルロスを獲得(3100万ユーロ)し、さらにフリーでブバカル・カマラを獲得するなど、代表クラスの即戦力が集結しつつある。

今季はレスターからフリーでティーレマンスを獲得。さらには動向が注目されていたビジャレアルのパウ・トーレスを獲得(3300万ユーロ)するなど、毎年のように大型補強が話題となっている。

モンチへの期待

アカデミー改革やインフラ整備など、クラブ内部の改革も断行しつつあるアストン・ヴィラは、世界一のSDと呼び声の高いモンチに目をつけた。

しかし脳裏を掠めるのはローマでの失敗だ。EL3連覇を共にした旧知のウナイ・エメリとのタッグは魅力的ではあるが、果たしてモンチはイングランドの地でも剛腕を発揮することができるだろうか。

アストン・ヴィラでの環境は、これまでと何もかもが異なっている。その資金力はプレミア随一であり、「安く買って高く売る」という得意のモデルは必要ない。さらにローマ時代と同じように、イングランドでも短期的な成果を求められるようであれば、モンチの大胆な施策はファンやメディアに受け入れられない可能性もある。

注目すべきは、予算が潤沢に与えられたモンチがどのような選手に目をつけるのか。そしてこれまで磨きに磨き続けた交渉力を、ビッグネームの獲得交渉でどのように発揮してくるのか。SDとしての23年間のキャリアのなかで、モンチがこれほどまでに劇的に環境を変えるのは初めてのことだ。世界一の SDの新たな挑戦に、心を躍らせているのは私だけではないはずだ。


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