南の島在住者が迷子になった、ほんとうの自由とは?
自由に生きる。自由でありたい。
きっと誰もが口にしたことがある言葉だと思います。
最近では、あなたって自由人だね。とか、それは自由すぎるね。など、受け取り方によっては、ちょっと辛口なコメントとしても使われているように感じます。
わたしは、カオハガン島に住みはじめてまもないころ、自由ってなんやねん…って迷子になったときがありました。
日本での生活を脱ぎ捨てるようにして、南の島へ移住し、自由に暮らしているようにみえるわたしが、自由の定義がわからなくなるなんて。笑
きっと漠然とした、キラキラした自由を求めていたからだと思います。
カオハガン島に住み始めたころは、宿泊施設に住み込みで働かせていただいてました。リゾートバイトみたいなイメージです。
収入はほとんどなく、その代わり支出もほとんどないような日々を送っていました。
島に住みはじめてしばらくしてから、セブの山岳地方に木材を買いに行ったときにデング熱に感染してしまったようで、診察に行った病院で倒れてしまい、強制的に一週間入院されられました。
デング熱には特効薬がないので、病院でただ休息することをする一週間。
入院費の支払いで約10万円を支払いました。フィリピンの私立の病院では、外国人は基本的に実費で支払うことになります。
実は、日本からカオハガン島へ移住する際にわたしの手持ちの所持金は約10万円で、それをいきなり全部失ってしまいました。
そもそも収入なし、でも支出もなしみたいな生活を送っていたので、所持金を失ってもあまり不安が襲ってくることはなかったのですが、唯一持っていた10万円を手放したことで、貯金を一切しないカオハガン島民と同じ状況を味わいました。
そのときに感じたのが、
わたしは自由だ!!
日本に住んでいるときは、お金を銀行に預け、現金やクレジットカードを使い、買い物をするという生活をしていました。
銀行のカードやクレジットカードは絶対失くしてはいけない大切なもので、現金ももちろん死守しなければならない。
守らなければいけないものが多すぎる…そう感じていました。
物理的に守らなければいけない、カードや現金などを守らなくてもいい自由を得たわたしは、すごく身軽になりました。
何も持ってない、なくなる不安をしなくっていいってこんなにも気が楽なのねーー!!!
自由とはこうゆうことなのかと味わった記憶があります。
ちなみに、さほど不安にならなかったのは、周りで誰も貯金している人がいなかった(カオハガン島民)からという理由もあると思います。
島民の中でも経済的に苦しい家族のお母さんは、いつもどこかの商店でツケをして、お米を買ったり、食費にしています。収入が入れば、そのツケを支払いにいく。そんな追われる生活でいいのかな?と思って、聞いてみると、
収入が入れば支払う、シンプルでいいでしょ!
ちょっと自慢気でした。そのお母さんには敵いませんが、その強靭な精神は見習いたい。
"大事なものを守らなければならないということから解放される自由"の他に、もうひとつの自由、それは"欲望からの自由"だとわたしは思っています。
欲望からの自由は、わたし自身、これからの人生でまだまだ練習が必要ですが、日本に住んでいるときと比べて、今のわたしのカオハガン島の暮らしを考察してみると、モノを所有したいという欲望から、かなり自由になれていると思います。
多くのモノを所有しなくても生きていけるということをカオハガン島の暮らしで学び、本来の人間のある姿に還っていっているという感覚。
すべてのモノが自分のモノだと思わずに、みんなでシェアすることを想像すると少しずつ欲望が削ぎ落とされていく感覚を手に入れることができるます。
シェアすることの大切さはまた別の機会にお話させていただきますね♡
"大事なものを守らなければならないということから解放される自由"、"欲望からの自由"は、いずれも所有欲を手放すことでおとずれる最高の境地だと思います。
自由への道はそう簡単ではないですが、日常のなかで少しずつ感覚を整えていくといつかは辿り着きます。
きっとシンプルな暮らしをしていた先人たちならそれが当たり前の感覚だったことと思います。
どんな自由を手に入れるかどうかは、わたしたち次第。
最後までご覧くださり、ありがとうございます。