大久野島との出会い
大久野島は忠海の対岸に位置し、一周約3kmの小ぶりな島である。この島を世間的に有名にしているのは「ウサギ」と「毒ガス戦争遺構」である。
<発電所跡_1940s>
<火薬庫跡_1920s>
戦争遺構は古くは1900年代の日清戦争の時代から要塞として用いられ、その後太平洋戦争の時には島内に毒ガス兵器工場が乱立していた。現在はそのうちいくつかがそのまま放置され、自然の中に廃墟として佇んでいる。
ウサギは島内に持ち込まれたものが天敵がいない環境下で増殖し、多い時は900羽にも達したと言われている。実際に島を巡っていると、いたるところで愛くるしいウサギと出会うことが出来る。
私と大久野島の出会いは横浜で建築を学んでいた学生時代に遡る。長期休みを利用しては日本各地の廃墟行脚へ繰り出し、その中でこの島に出会った。外から見ると瀬戸内に浮かぶ数多の島々のひとつであるが、島の中を巡ると戦争廃墟やウサギが突如として現れ、またその合間に瀬戸内の美しい風景を味わうことが出来る。その驚きに満ちたユニークな体験に魅了された。
<2008年当時>
その体験があまりにも強烈に印象に残り、結局大学の卒業設計(卒業研究)のテーマに大久野島を選んだ。その時の具体的な計画はまた別の機会に記そうと思う。
<毒ガス貯蔵庫跡_1940s>
その後も定期的に島を訪れ、その度に新たな発見があり、卒業後もコツコツと卒業設計のプロジェクトの修正を重ねてきた。そういうわけで大久野島は私の建築・風景・旅・歴史など様々な側面においての思考に影響を与えてきた特別な場所なのである。学生のころに出会ってもう12年になるが、南米での実務や暮らしを経ての新しい視点を備えて、再びこの大久野島の未来について考えていきたい。(原田)
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