Nico『Desertshore』

「私を構成する100枚」で挙げたアルバムについて諸々喋りたいってことで、第一弾。

Nicoの3rdアルバムで、ヴェルヴェッツのジョンケールと、ジョンボイドの共同プロデュースで70年末にリリース。

このアルバムは、後のゴスにも繋がるような、ジャケからも垣間見れる重く荒廃感のあるサウンドを基調とはしているけれど、しかしその中に雲間から一瞬陽の光が見えるような、視界が開ける瞬間が要所要所にパッケージされている。

音の重厚感・威圧感は主にストリングスで表現されており、背景としてヨーロッパのキリスト教音楽が所々強く垣間見える。「My Only Child」「Abschied」での声の使い方は教会音楽を彷彿とさせるし、そこで使われる無調音楽に影響を受けたであろうストリングスの使い方には何か畏怖さえ感じさせる。ニューエイジミュージックから宗教音楽に興味を抱いた自分に刺さるには納得の一枚。

このアルバムから学ぶべきは、音の大小とは異なる次元にあるダイナミクスだと感じる。当アルバムの中で感じられる開放感は、現代我々が音楽をする上で音量の変化によって得ようとしているものである。しかし、このアルバムは音量の変化ではなく、音へのイメージ(宗教性といった記号的象徴)の変化によって、それを齎している。そう考えていくと、現代日本で音楽をやっている者として、音へのイメージ、感受性の欠落・それを前提とした表現力の乏しさに、どうしても自覚的にならざるを得ない。(一方で、西洋の音楽という借り物を前提に音を鳴らしている我々に、音の背景や重厚な歴史が身についているはずも無いか、という諦めも生まれてきてしまう。それを超克するためには、この事実に自覚的になり、非西洋人としての自己アイデンティティの再発見が必須なのだ、として日々模索しているのであるが。)
まあとりあえず、このアルバムとの出会いから、より音の象徴性を私は自覚的に探るようになったし、まあシンプルに70年代女性SSW作品としてフェイバリットの一つに入る作品なのであります、ぜひ聴いてみて。

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