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コロナ禍の教え子がハタチになった

「『移動する人は、うまくいく』という本を最近、読んだんです。移動というのは、例えば、旅行に出かけることであったり、誰かに会いにいくことであったりしますけれども、私が皆さんと一緒に過ごした年の終わりに、私は学校を辞める選択をしました。これも『いどう』でした。当時、高校1年生の皆さんと、そのまま進級していくという道を自ら外れることには、後ろめたい気持ちもありましたから、もうこの子たちとは会えないだろうな、という覚悟で、それでも私は新しい道を行くことを決意しました。それから4年が経って、皆さんが成人を迎えた今年、成人の集まりに来ませんか?とご連絡をいただきました。驚きつつも、迷わず、行く!!とお答えして、心の底から有り難い気持ちで、今日ここに会いに来ました。本当にありがとうございます。私はあの時、移動して良かったと、今日この場で思うことができました。この先の人生で、数多くの選択をされる皆さん。どうか勇気を持って、自分の気持ちを持って、前向きな選択をしてください。そして、どんな選択をしようとも、その選択が正しかったと思えるよう、志を持って生きてください。成人おめでとうございます。」

これは、成人の集まりでの、僕のスピーチ。新型コロナウイルスが世界中を大混乱させたその年に、1年だけ担任した子たちが成人し、4年ぶりに会再開する機会があった。当時のことを一気に思い出したので、書き記しておこうと思う。


2020年、新型コロナにより学校の形態は異様なものになった

この年、僕は高校1年生の担任を任されていた。HRはzoomで行われ、授業は録画したものをオンデマンド配信。僕にとって生徒はスマホのカメラで、生徒たちにとって先生は画面の中の存在だ。もちろん、誰1人として実際には会ったことがない。お互いに実在はするのだろうけど、いくら話しても現実味がない。授業をどれだけ配信しても手応えがない。その1年は、出口の見えないトンネルを進むように静かに始まった。

6月、分散登校

ようやく登校が始まった。とはいっても、クラス人数を間引いての分散登校。クラス全員が揃うことはない。加えて、みんなマスクをしていて、顔は半分もわからない。口元が見えないので、声を覚えていないと誰が喋っているのかもわからない。授業中に飴を舐めていてもわからない。それでも、会えないよりはだいぶ充実した日々だったが、近くで話すことにもお互いに気を遣っていた。

9月、教育実習生との出会い

4月から続いた、異様な雰囲気を崩すきっかけがあった。教育実習生が僕のクラスに来たのだ。彼女は僕の教え子で、お互いにあまり実感はないが、僕の影響を多分に受けていたようだ。彼女の授業はほとんど僕の分身のようで、安心して任せることができたし、加えて、女性である点が生徒にとっては都合よく馴染んだ。この実習について、僕は相当なこだわりを持って対応したので、それは別で書きたい。

10月、マスクをしての体育祭と、教育実習終了

実習生がいる間に体育祭が行われた。学年を分けて、マスクをして、接触のある競技は避けて、時間も短くして・・・そんな制限下での行事でも、生徒たちはこの頃までには、与えられた状況でも全力で楽しめる力が身に付いていたのだろう、みんなすごくいい表情で集合写真に写っている。

教育実習最終日には、生徒たちからの提案で、寄せ書きと花束を用意した。寄せ書きには似顔絵も描いて、みんなで写真も撮って、帰りのHRが終わった後も実習生と生徒は名残惜しそうにしばらく喋っていた。泣いている生徒もいたと思う。たった3週間で、ここまでの関係を築ける彼女の魅力がそこに現れていた。

2021年、僕が生徒たちと離れるまで

11月、学校を離れる選択をする

このクラスの生徒たちとは、順調にいけば高2、高3と一緒に進級していく関係だったが、僕は他校に異動する選択をした。つまり、この生徒たちと別れる選択をした。次の学校に異動することが、僕にとってワクワクする人生を歩めると確信したからだ。一方で、「決して、学校のことが嫌になったわけじゃない。決して、君たちを見捨てるわけじゃない。」と言っても、理解してもらえるか不安だった。いや、理解してもらおうなんてすごく身勝手な考えなのだけれど。だから、この子たちとは一生会えない関係になるのだろうという気持ちで、残りの期間を過ごすことにした。もちろん、このことを生徒たちに伝えるのは3月の最終日だ。

1月、YouTubeにハマる

ヒカルがカリスマであると自称する思想、西野亮廣がプペルに込めたストーリーにハマっていて、クラスで動画を流した。YOASOBIの音楽に惹かれ、エピソードを語った。だいぶ自由にやっていたが、それはそれで伝わるものがあったようだった。

2月、僕自身の生き様を伝える

大学時代に可愛がっていた後輩が亡くなって、人生についてすごく考えたこと。情けない思いをしたとき、(今振り返れば、しょうもない)プライドが傷ついた感じがしてこの世からいなくなりたいという衝動に駆られたこと。結婚しようと思い立ってから、1年も経たないうちに結婚までいったこと。僕はそれまでの教員人生において、プライベートの話はあまりしてこなかったけど、終わりが見えていたことで僕自身の人生や感情をさらけ出せたのかもしれない。

衝動的な辛さに襲われても耐える。
一人で耐えられなかったら頼る。
頼る人がいなくても、悲しむ人がいないか想像する。
生きていれば人生が好転する時期が必ず訪れる。
チャンスを掴むには準備がいる。
本気でやろうと決めたら大体のことはできる。

3月、クラスと別れる

修了式の2日前、クラスに退職することを伝えた。実習生との最終日に泣いていた子たちは・・・、最終日まで泣いている様子は特になかった笑

でも、事実を告げてから、少しの期間でたくさん用意してくれた。寄せ書きやプリザーブドフラワー、わざわざ買いに行ってくれたプレゼントや、熱い思いのこもった手紙を用意してくれた。

先生という職業はたまらなく、いい。

お菓子メッセージ?

そんな、後にも先にもない異様な1年に担任した子たちと、4年ぶりに会えて最高に嬉しい時間を過ごした話。


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