四月ばかの場所6 トリモトさん
前回までのあらすじ:作家志望のキャバ嬢・早季は、皮肉屋の男友達「四月ばか」と一年間限定のルームシェアを始める。
※前話まではこちらから読めます。
◇
マイクコールで名前を呼ばれてリストへ行くと、店長が顔を出す。
「さつきちゃん、30番シートお願い」
「はーい。フリー?」
30番シートを横目で見る。顔は見えないけれど、スーツではないことがわかる。
「いや、出入りの業者」
「え?」
「デザイン会社の人。ポスターとメニュー表の打ち合わせに来たんだよ。あの人からは金取らないから。金券なし」
じゃああたしの売り上げにはならないってことか。
片倉マネージャーにおしぼりを渡され、30番シートへ行く。
座っていたのは、ねずみに似た小柄な男の人だった。いや、男の子といった感じ。女物と思われるベロアのジップアップのパーカーを着ている(五月にベロア?)。
「はじめまして、さつきです」
となりに腰かけ、おしぼりを渡す。男は俯いたまま受け取り、目を合わさない。
「打ち合わせに来たんですね」
男は目を伏せたまま何か言った。声が小さすぎて、BGMにまぎれてほとんど聞き取れない。
「え?」
男の顔に耳を寄せる。男は一瞬びくっと縮んだ。
「……ほんま、打ち合わせだけですぐ帰るつもりやったんです。でも店長さんがどうしても飲んでけゆうから……」
女の子みたいに甲高くて細い声だった。ビデオの巻き戻しの音みたい。
「いいんですよー、遠慮しないで飲んでいってください。どうせ今は暇だし」
「あ、そうなんですか?」
男は店内を見回し、自分の時計を見た。あたしもつられて腕時計を見る。八時半だ。
「水割りでいい? 濃いめ、薄め? 普通め?」
「え? あ、濃いめで」
絶対「薄め」と言うだろうとふんでいたので、少し拍子抜けする。
「名前、なんていうんですか?」
「え? あ、トリモトです」
「え?」聞こえたのに、思わず聞き返してしまった。
「あ、トリモトです」
男はさっきより若干ゆっくり発音した。視線は逸らしたままだ。キャバクラでこれほど緊張している人を初めて見た。
はい、と言いながらフェルトのコースターの上にグラスを置く。
「あたしも一杯もらっちゃいますね」
「はい。っいえ、あの、ごめんなさい」
「え?」
「あ、ごめんなさい。あの、オレ今日あんまり金持ってきてないんすわ」
「ああ、トリモトさんはいいんですよ。うちの店長が無理に誘ったんですから」
「え? あ、いいんすか?」
はい、と微笑んで、ウエイターを呼びとめる。
「緑茶ハイ濃いめで」
この店では「緑茶ハイ濃いめ」と言うと普通の(つまりは焼酎の入った)緑茶ハイが出てくる。
あたしはポーチから名刺を取り出し、「さつきです」と言いながら渡す。
トリモトさんはポケットから財布を出して、名刺を一枚取り出すとそそくさとテーブルに置いた。酉本和也と記されている。なるほど、トリモトってこういう字ね。
緑茶ハイが運ばれてきたので、グラスを両手で顔の前に掲げる。
「乾杯しましょ」
「え? あ、はい」
トリモトさんは左手でグラスを持ち、あたしが「かんぱーい」と言う前にがちゃりとグラスをぶつけた。
「デザイン会社の人なんですよね」
「え? あ、はい」
「この名刺のデザイン、かっこいいですね」
「そうすか」
まんざらでもなさそうだ。初めて「え? あ」をつけずに喋ったので、内心「おっ!」と思う。
「ポスター作ってくださるんですか?」
「え、いや、はい。あの、ポスターだけじゃなく色々お仕事もらってるんすわ。なんやったっけ、プレミアムカードとか、コンパニオンさんの名刺とか」
「名刺も?」
「はい。今までは名刺専門の業者さんに発注してはったんでしょ? ああいうとこだと、既製のデザインの中から選んで注文するやないすか。うちやったら、こういうの、ってイメージゆうてくれたらオリジナルのデザインで作りますんで」
それは素敵だ。
「じゃあ今度さつきの名刺お願いしますね」
「あ、はい」
トリモトさんはだいぶ緊張がほぐれてきたようだが、目が合うと露骨に逸らした。大人でこれほど露骨に目を逸らす人を初めて見たかもしれない。
「関西の方なんですね」
「え? わかりますか?」
「わかりますよ」
「ほんまに。こっち出てきて長いんすけどね」
「どのくらいですか?」
「大学からやから……十一年ですね」
「え? 今いくつなんですか?」
「二十九です。今年三十ですわ」
「えー!」
心底驚いた。同い年か、せいぜい一つか二つ年上だと思っていた。
「そんなビックリせんでも」
トリモトさんがヒヒッと笑う。CGのねずみみたいだ、と思う。
「ビックリしますよ。同じくらいかと思ってたもん」
「さつきさんはいくつなんすか?」
「先週、二十四になりました」
つい本当の誕生日を言ってしまい、男子スタッフに聞かれていないか、周りを見る。店用の誕生日は来週だ。
「ああ、五月生まれやからさつきさんてゆうんすね」
「はい」源氏名ですけど。
トリモトさんは何がおかしいのかまたヒヒッと笑った。
トリモトさんは、あたしが若いとわかると急にリラックスして、おしゃべりになった。その器の小ささがなんとも可愛い。
彼はいろいろなことを喋った。
大学時代は軽音楽部にいたこと、今いるデザイン会社は大学時代の先輩が起こした会社で自分と社長(先輩)しかいないこと、慢性的オーバーワークであること、そのせいで毎年サマソニのチケットを買っても一度も行けていないこと、自分がいかにハードロック・へヴィメタルが好きかということ。
普段グチを言う相手がいなくてストレス溜まっているのだろう。あたしのリアクションを無視してトリモトさんは喋りまくった。よくもまぁこんなに喋れるものだと感心する。
トリモトさんはきっちり一時間で、電池が切れたように「あ、そろそろ帰りますわ」と呟いて立ち上がった。表情からはついさっきまでの生気が消え失せていた。
店の前まで送ると、彼は聞いてもいないのに「これからまた事務所戻って作業っすわ」と言う。
夜だけど、店内よりも外のほうがネオンで明るい。しらじらしいネオンに照らされたトリモトさんはぎょっとするほど顔色が悪かった。
「お疲れさまでした」心底、そう思う。
「さっき渡した名刺にアドレス書いてありますから」
ん?
思わず顔をのぞきこむ。ヒールを履いたあたしよりも目の位置が低い。
トリモトさんは異性の教育実習生に話しかけられた中学生のように、恥ずかしそうに顔を伏せた。
「じゃあ、ありがとうございました。店長さんにもよろしくお伝えください」
そう早口で言って、早足で去っていく。
あたしは、早く四月ばかにこの面白い人の話をしたいと思った。
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