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大人の社会見学部
「思ったよりむき出しなんだね」
それが、生まれて初めてパンダを目の当たりにした私の第一声だった。パンダはガラスケースか檻の向こうにいるイメージだったので、背の低い柵で囲われただけの空間にいることが意外だったのだ。これじゃあ、その気になれば柵を乗り越えてパンダを抱きしめてしまえるじゃないか。
一緒にいた下瀬ミチル嬢(以下るんみち)とまるいがんも氏(以下まるいさん)には「むき出し」の意図するところが伝わったらしい。ふたりは口々に「たしかに」「触ろうと思えば触れそう」とつぶやいた。
人間たちの視線の先で、子パンダが緩慢な動作でアスレチックから降りてきた。それだけで我々は「おぉ!」とどよめいてしまう。心なしか、どっしり座って笹を食べている母パンダがニヤリと笑ったように見えた。
「可愛いねぇ」
「コロコロしてる」
「Twitterで見た動画と同じだ」
「Twitterの話するなよ、リアルを楽しめ」
「そうだそうだ」
中年の人間はかしましく、パンダはどこかふてぶてしい(そこが可愛い)。初めて来た和歌山の空は薄曇りだった。
◇
なぜ、ズッコケ中年3人組が和歌山までパンダを見に来たのか。
一言で言えば部活動だ。3年前にnoteで知り合った私たちは、「大人の社会見学部」と称し、ときたま集まっては「やってみたかったこと」を実行している。寿司を握ったり、バンジージャンプを飛んだり(これはまるいさんのみ)、ルミネtheよしもとに行ったり。目的は、未体験のことをなるべくたくさん体験して人生の経験値を上げること……と言いつつ、実際のところはただ面白がっている。
社会見学部設立のきっかけは、リモート飲みの最中にまるいさんが「死ぬまでにやりたいことが100個ある」と言いだしたこと。彼は茶色い皮表紙のノートを持ってきて、100個のうちのいくつかを読み上げた。「バンジージャンプ」や「百物語」、「ワカサギ釣り」などだ。
それに触発され、私とるんみちも「トランポリン跳んでみたい」「宝塚を観てみたい」など、やってみたいことをぽんぽん挙げた。そのたびに「いいね」「やろうやろう!」と盛り上がり、どこに行けばできるのか、具体的な方法を検索する。たぶん、2時間くらいはやりたいことの話をしていたと思う。
それは夢のように楽しい時間だった。やりたいことに思いを馳せるなんて一人でもワクワクするのに、それを共有し、実行に向けて計画を進めるんだから楽しくないわけがない。大人になってから、過去や現在ではなく、未来の話だけをすることがあっただろうか?
そうして私たちは大人の社会見学部を立ち上げ、リストを消化するかのように、やってみたいことを実行していった。同じものを見て、味わって、一緒に初めてのことを体験しては感想を言い合う。常に「今ここ」の話をしているので、お互いのバックボーンについてはよく知らないままだ。それでいいと思っている。
さて、私が「人生で一度もパンダを見たことがない」と言ったのは、部活のあと、新宿のデニーズでのことだ。
パンダ好きのるんみちは「意外だわ。吉玉さん、とっくにパンダデビューしてると思った」と目を丸くする。
「それがまだなのよ。うちの姪っ子なんて2歳でパンダデビューしてるのに」
「じゃあ次の社会見学はパンダにするか」
「いいねぇ」
あれよあれよとパンダツアーが決まる。最初は上野動物園に行こうと思ったが、パンダの観覧が抽選とわかり、それならと和歌山のアドベンチャーワールドに行くことになった。
◇
「パンダって目のまわりの模様のおかげでたれ目っぽく見えるけど、実は目つき鋭いよね」
まるいさんが言う。たっぷり時間をかけてジャイアントパンダの家族を眺め、ひとしきり感想を言い合ったあとにそれを言うか。
私とるんみちが「それ、みんな知ってる」「パンダの感想あるあるじゃん」とつっこむと、それが合図かのように、誰からともなくパンダコーナーをあとにした。
「このあとどうする?」
まるいさんが園内の地図を広げる。アドベンチャーワールドは広い。サファリワールドや、イルカやペンギンのショーが見られるマリンワールド、遊園地のような乗り物もある。
「わんわんガーデン行きたい。犬と触れ合おうよ」
そう言ってるんみちを振り返ると、彼女は口をへの字に結んでいた。泣き出しそうとまではいかない、曇り空のような表情。
「私ね、中国にパンダを見に行くのが夢だったの」
私に歩幅を合わせ、彼女が話しはじめる。
「うん。前にnoteで読んだ」
「一度ね、その夢が叶いそうになったんだけど、急に怖くなっちゃって。だって夢が叶っちゃったら、そのあとなにを拠りどころにして生きればいいかわかんないもん」
「うん」
その気持ちはわかる気がする。しかし、自分にも同様の経験がないか記憶をたどったが、なにも思い出せなかった。私は夢を叶えることに貪欲で、叶えば大喜びしてきたから。
るんみちが抱える恐怖を否定したくない。けれど。
「行こうよ、中国。パンダ見に」
私が言うと、彼女は顔を上げた。
「片っ端から叶えていこうよ。叶えることで夢がなくなっちゃっても、きっとまた見つかるから。見つかるまでの間は、私とまるいさんの夢の消化に付き合ってよ」
「じゃあ、次の社会見学は中国だな」
そう言うまるいさんの歩調はわずかに速くなり、私たちは自然と小走りになる。雲の隙間から水色の空が覗いた。
私たちは日々、小さな夢を叶え、失いながら生きていく。
それでも夢は次から次へと生まれてくるから、この人生は暇を持て余すことがなさそうだ。
・この文章は下瀬ミチル、まるいがんも両名の許可を得て掲載しています。
・この文章はフィクションですが、ある程度は事実も含まれています。
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![吉玉サキ](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/5821003/profile_c7fa734652f28404c960a4002e1c60c4.jpg?width=600&crop=1:1,smart)