感情の不均衡

最近、「巨大感情」「クソデカ感情」という言葉をよく目にする。

言葉の定義を説明するサイトが見つからなかったが、読んで字のごとく、「大きすぎる感情」を指すのだろう。恋愛感情に限らず、他者への深くて大きい愛や執着、依存なども含む。百合系の創作でよく使われる言葉だが、百合以外でも使われるようだ(間違っていたらすみません)。

私は昔から、そういった感情が描かれた物語が好きだ。大きすぎて他者からは不健全に見えるような、相手が自分のすべてであるかのような感情。

大昔に書いてnoteに公開した小説にも、そういう感情が出てくる。

どこにいても居場所を感じられず、職と住居を転々としている“四月ばか”の生き方を真似ることで安寧を得ている早季が、四月ばかと1年間限定のルームシェアをする話だ。

ロールモデルが異性で、ふたりとも異性愛者だった場合、それは恋愛よりもよっぽど複雑で厄介なことになる。恋愛は「相手と付き合いたい」だけど、早季の場合は「四月ばかに成り代わりたい」。どうしても満たされることのない大きな思いを、書いてみたかった。

でも、これだけの分量を使って表現した感情を、今は「巨大感情」の一言で説明できてしまう。便利っちゃあ便利だな……。

恋愛には「片思い」「両思い」があり、告白すればどちらなのかが判明する。一方で恋愛以外の関係性は、基本的に「片思いか両想いか」を問うことがない。

だけど、恋愛以外の関係性でも、感情の重さを天秤にかければどちらかに傾くことはある。

たとえば友人同士。自分にとって相手が「たったひとりの大切な友達」でも、相手にとっての自分は「たくさんいる友達のひとり」にすぎないかもしれない。

それは巨大感情にも言える。自分が抱いているのと同程度の巨大感情を、相手も抱いているとは限らない。「相手も同じくらい自分のことを特別に思っているはず」と思い込んでいて、実際はそうじゃないパターンもあるだろう。

私はそれがめっぽう苦手だ。

それとはつまり、AにとってBは「オンリーワン」だけど、BにとってAは「ワンオブゼム」という状況。そして、それに気づいていない状況。

そういう状況を見るとむせび泣きそうになり、目を背けてしまう。自分が第三者でも。

感情の不均衡そのものはよくあることで、まったく悪いものではないのに(そもそも良し悪しで語ることでもない)、どうしても苦手なんだよなぁ。

いいなと思ったら応援しよう!

吉玉サキ
サポートしていただけるとめちゃくちゃ嬉しいです。いただいたお金は生活費の口座に入れます(夢のないこと言ってすみません)。家計に余裕があるときは困ってる人にまわします。サポートじゃなくても、フォローやシェアもめちゃくちゃ嬉しいです。