小屋ガール1_タイトル

オザケンとバニラティー~小屋ガール通信

昨年までの10年間、山小屋で働いていた。山ガールならぬ小屋ガールだ。

小屋ガールとして見聞きしてきたことを書いていこうと思う。

今回は、山小屋で今の夫と出会ったときのこと。

◇◇◇

23歳のとき、はじめて山小屋でバイトをすることにした。

バイト初日。山小屋に着くと、同い年の先輩・ミヤちゃんが出迎えてくれた。

彼女に連れられて奥の部屋へ行くと、数人のスタッフがそれぞれ作業をしていた。工作のようなことをしている人もいれば、テーブルに向かって何か書いている人もいる。

「新人のサキちゃん来たよー!」

ミヤちゃんが紹介してくれ、私は「よろしくお願いします」と頭を下げる。みんなそれぞれに自己紹介をしたり、話しかけてくれたり、おちゃらけたりしていた。

その中で、熱心に何かを書いていた男の人が顔を上げた。

その人は私を見て

「そのTシャツ……」

とつぶやいて、また作業に戻ってしまった。

えっ。

私はそのとき、グラニフで買った写実的なしまうまのTシャツを着ていた。

このTシャツが……何なんだろう?

それが、私とKさんの出会いだった。

◇◇◇

仕事にはすぐに慣れた。

お客様のご案内、売店、掃除、食事出しや洗い物。山小屋の仕事には特別なスキルは要らない。その代わりすべてがチームプレーなので、輪を乱さないことが大切になる。しかも夏山シーズンは相当に忙しいので、体力も必要だ。

また、山小屋は共同生活なので、居心地は人間関係で決まる。

私は嫌われることを怖れて他人の顔色を伺う性格なので、気疲れすることもあった。だけど今思えば、その性格のおかげで人間関係のトラブルを回避できた。

私にとってはじめての山小屋生活は、仕事も人間関係も(疲れることも含めて)めちゃくちゃ楽しかった。

◇◇◇

9月になって、休暇で下山した。

たまたま休暇がかぶっていたKさんと、街の本屋さんに行った。数ヶ月ぶりの本屋さんは新鮮で、二人とも買う本を真剣に吟味した(買った本は自分で小屋まで背負っていくので、重量的にもおいそれとは買えない)。

店内では基本的に別行動で、ときたま声をかけ合う。Kさんと二人で過ごすのははじめてなのに、あまりにも気楽でいられることに少し驚いた。

その休暇の間、Kさんと色々な話をした。

北野映画は「菊次郎の夏」だけ好きなこと。舞城王太郎が好きなこと。美大の視覚伝達デザイン科を辞めて、別の美大の油絵科に進んだこと。いろんな国を旅していること。

毎日会っているのに、毎晩みんなで飲んでいるのに、私はKさんのことを何も知らなかったんだな。

知ったことではじめて、今まで知らなかったことに気づいた。

◇◇◇

しばらくして、Kさんから告白された。

Kさんのことは好きだけど、恋とは違う気がする。それに、私は下山後どこで何をするかもまったく決まっていない。恋愛してる場合じゃない。

なのになぜか断れなくて、保留にしてしまった。

その頃、Kさんと二人で早番をすることが多かった。

二人で厨房にいると、彼は必ず小沢健二の『LIFE』というアルバムをかけるようになった。私が小学生のときから大好きなアルバムだ。

そのCDはたまたま小屋にあったもので(昔のスタッフの私物だろう)、以前誰かがそれを見つけたとき、私が「このアルバムすごい好き!」と言ったのだ。Kさんがそれを覚えていたことが意外だった。

早番のたびに『LIFE』をかけてくれる。わかりやすくあざとい。でもやっぱり、嬉しい。

遅番の先輩スタッフが厨房に入ってきて、いぶかしげに言った。

「最近Kが早番の日いつもオザケンじゃね?」

◇◇◇

山小屋スタッフの楽しみのひとつは夕焼けだ。

山に来て知ったけど、夕焼けの色は日によって違う。ピンクと水色のグラデーションの日もあれば、オレンジの日もある。どちらも甲乙つけがたく好きだ。

すっきりと晴れた日。配膳の最中に空が美しく焼けると、スタッフはみんなソワソワする。

そんなとき、Kさんは私に「外で見てきなよ」と言い、仕事を代わってくれる。

オザケン以上にあざといと思ったけど、やっぱり、嬉しかった。

◇◇◇

ある日の夕食後、自分の部屋に戻って携帯を見るとKさんからメールが来ていた。

「ヘリポートで星を見ませんか?」

メールだと敬語になるのがおかしい。

「いいですよ」

二人でヘリポートに行った。秋の山は寒い。星は綺麗だったけど、すぐにくしゃみが出て部屋に戻った。

その翌日、またメールが来ていた。

「昨日のリベンジ。星を見ませんか?」

Kさんの部屋の前から声をかけると、「これ着て」と彼のダウンを渡される。それを着てヘリポートに行った。

二人、体育座りで星を眺める。山で見る星はプラネタリウムのようにくっきりしていて、星座のかたちもよくわかる。

なんの話をしたかは覚えていないけど、私たちはぽつぽつと話しながら星を見ていた。

Kさんは水筒持参だった。とぽとぽと温かい飲み物をカップに注ぎ、手渡してくれた。

一口飲むと、バニラの香りがした。

先日遊びに来たOGのお姉さんが、お土産に外国のバニラティーを置いていった。いただきものの食べ物は厨房主任が管理するけれど、お茶は、コーヒーや紅茶の置き場に置かれる。Kさんは、それを水筒に入れてきたのだ。

……これは横領なのでは?

みんなにいただいたものなのに、こんなに飲んじゃっていいのかなぁ。

ふと、穂村弘さんの短歌を思い出した。

こんなにもふたりで空を見上げてる 生きてることがおいのりになる

Kさんと恋愛をしてみようかという気分になった。

特に何か、理由があったわけではない。一緒にいて楽だったとか、オザケンとかバニラティーとか、あとになってそれらしい理由を見つけることはできるけど、そのどれでもない気がする。

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◇◇◇

あれから11年が経って、私は今、Kさんと同じ苗字を名乗っている。

もう、あの頃のように好意を示されることはない。

だけど、夕焼けや星空が綺麗なとき、私たちは必ず「見て!」と言う。バニラティーはあれ以来飲んでいないけれど、夫は毎日コーヒーを淹れてくれる。

私も夫も、iTunesにはオザケンが入っている。




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吉玉サキ
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