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四月ばかの場所10 躁

あらすじ:2007年。メンヘラで作家志望のキャバ嬢・早季は、皮肉屋の男友達「四月ばか」と一年間限定のルームシェアをしている。トリモトさんという変わった男性と知り合った早季は、彼が気になりはじめる。

※前話まではこちらから読めます。

日曜日。目が覚めて、暗い部屋の中で枕もとの携帯を開く。十八時。

昨日(というか今日)は仕事から帰ってきてすぐに寝たので、三時頃寝たとして、十五時間も寝ている。人としての機能がおかしくなっている。

ドアの向こうからは四月ばかの好むゆったりとした民族音楽が聴こえる。かすかに料理をしているらしい音と、いい匂いも。懐かしい匂い。なんだろう。

起き上がって電気をつけ、鏡を見る。自分があまりに醜くてぎょっとした。

化粧をしたまま十五時間も寝ていたので、ぱっと見ただけでは肌がしっとりなめらかに見えるけれど、鏡に近づいてアップで見ると毛穴から皮脂が飛び出している。鼻パックのCMの、はがしたあとのパックみたいだ。あのCMは画面の下のほうに小さく「映像はイメージです」と出ていたが。

それに、髪はぼさぼさだし目も腫れている。なんてブスなんだろう。

ブスだからモテないんだ。長くやってるわりには指名も少ないし。あたしは女の子失格だ。普通の女の子はメイクを落とさずに寝たりしない。あたしみたいな怠惰な女、モテるわけない。大食いだし家事嫌いだし、お店の女の子たちがお涙頂戴モノの映画を「超感動したー」とか言ってるのを横目で見て「低俗だな」って鼻で嗤ってるし。だからあたし彼氏できないんだ。大抵の男は一度セックスして終わるし。あたしみたいなヤリマンで暗いブスを好きになる男なんているわけがない。トリモトさんだって、きっとあたしの本当の姿を見たら嫌いになるに決まってる。

あたしはなんでこんなにもダメなんだろう。ここしばらく、仕事以外何もしていない。小説も書いていない。小説を書かなきゃあたしに価値なんてないのに。いや、小説を書いても価値なんてない。あたしより書ける人はごまんといる。だからあたしは未だにデビューできない。

涙が溢れてきて、枕に顔を押し付けて泣いた。

散々泣いて、お腹が減ったのでドアを開けた。四月ばかがキッチンに立っている。

リビングのテーブルの前に座り、煙草に火をつけた。

「ずっと寝てたの」

四月ばかが振り向く。

「うん。寝すぎで体ぎしぎしする」
「廃人だな」

四月ばかができたての親子丼をテーブルに置き、食べはじめた。

「それ、まだある?」
「あるよ。食えば」

鍋の中には、ちょうどひとりぶんの具が残っていた。

自分でよそって食卓に着く。四月ばかはビールを飲んでいた。

「あたしも飲みたい」
「まだあるよ」

冷蔵庫からビールを持ってくる。二人で向かい合って、親子丼を食べながらビールを飲む。

「何、今落ちてんの?」

四月ばかはにやにやしている。

「落ちてる」
「それってさぁ、たんすの角に足の小指ぶつければ治るよ」

懐かしい、と思う。

昔、札幌にいたときも、吉祥寺で一緒に飲んでいたときも、四月ばかはあたしがうつ状態になるとこんなふうに小ばかにした物言いをした。うつ病の人にいちばんやってはいけない対応。

「懐かしいな。早季、昔からたまにこういう感じになったもんな。変わんねーのな」

四月ばかも変わっていない。

うつが明けた。

同時に梅雨が来て、毎日しょぼしょぼと雨が降ったり止んだりをくり返している。向かいの家の庭には、薄紫と青の紫陽花が咲いた。

うつを脱したあたしは、無駄に生気が漲っている。

たまにしか行かないスポーツジムに一週間連続で通ったり、久しぶりに友達と連絡をとってランチしたり。梅雨晴れ間には原付で鎌倉まで行ったし(四月ばかに鳩サブレを買って帰った)、何か始めたくてうずうずして衝動的にジャンベを買った。

調子に乗りすぎて客と寝てしまった。その日初めて店に来たその男とは、けっこう気が合った。「仕事終わったら飲もうよ」と誘われ、飲んだあとホテルへ行った。その後、「会おうよ」とメールが来たので「仕事休めないからお店に来て」と返したら、もうメールは来なくなった。

もちろん小説も書いた。六月末日締め切りの新人賞に応募するため、四月から書いていた百枚程度の作品を仕上げた。

書いていられることが楽しくてしかたなくて、眠らなくても平気だった。仕事中も、早く続きが書きたくてうずうずした。締め切りの三日前から仕事を仮病でさぼって書いた。

書き上げたときは嬉しくて、こみ上げてくる笑いを抑え切れずに大声で笑った。明け方、大きなクッションを抱えて布団の上をごろごろと転がりながら笑っていると、隣の部屋で寝ていた四月ばかが何ごとかと起きてきた。締め切り当日の朝だった。


「すべてが愛しい」と思った。

あたしは若くてきれいで夢がある。未来がある。愛すべき人たちがいる。毎日が楽しく、愛しい。

七月も半分が過ぎて朝のニュースで梅雨明け宣言を聞いたその日に、急に思い立って自分からトリモトさんに誘いのメールを送った。

あっさりと「いいですよ」との返事をもらい、日曜日、吉祥寺で会うことになった。

世界は楽勝だ。





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