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四月ばかの場所7 恋


前回までのあらすじ:2007年春。作家志望の早季は、皮肉屋の男友達「四月ばか」と一年間限定のルームシェアを始める。ある日、バイト先のキャバクラでトリモトさんという変わった男性と知り合う。

※前話まではこちらから読めます。

家に帰ると、まず冷蔵庫を開けた。

グレープフルーツジュースを青いグラスに注ぐと、セキセイインコみたいな色になる。それを持って、いそいそとテーブルの前に座った。

煙草に火をつけて、鞄から携帯と名刺を取り出す。

数時間前にもらった、トリモトさんの名刺だ。会社のものらしい住所と電話番号とメールアドレスが書かれている。アドレスはきっとトリモトさん個人のものだろう。

四月ばかの部屋のドアを静かに開けてみる。ぴくりとも動かない布団の丘が見えた。寝ているのは確かだ。

どうしてもトリモトさんの話を四月ばかにしたい。あの挙動不審っぷりをモノマネで伝えたい。

朝、四月ばかが目を覚ますまで起きていようと決めた。

自分の部屋へ入ると、敷きっぱなしの布団の上にあたしの下着や服が乱雑に置いてあった。どれも乾いている。四月ばかが取りこんでくれたのだろう。

けれど、あたしはこれらを洗濯した覚えも、干した覚えもない。あたしが洗濯機に入れるだけ入れて放置しておいたのを、四月ばかが洗濯してくれたのだ。お母さんかよ。

乾いた衣類を床の空いているスペースに放り投げてからふと思い直し、全部たたんでクローゼットにしまった。それだけのことで、暮らしを丁寧にしているような気になる。

シャワーを浴びる。シャンプーがいっこうに泡立たない。おかしい、と思いもう一度手に出して見ると、明らかにリンスだった。液の光沢が違う。四月ばかのやつ、詰め替え間違えたな。

シャワーから出ると、鏡の前でスキンケアをする。いつもは化粧水だけだけど、美容液と乳液とクリームもつけて、マッサージまでしてみる。肌がぷりぷりだ。

SNSの日記をアップして、時計を見るとまだ五時だった。いつもなら寝てる時間だ。

四月ばかが起きるまでにはまだ時間がありそうだから、暇つぶしに朝食を作ることにした。

卵を溶いて、フライパンにあける。さいばしで軽く混ぜ、納豆をのせて丸める。アボガドを切り、レタスをちぎって洗う。

こんなに料理らしい料理を作るなんて何年ぶりだろう。意外に手際よくできてうきうきする。調子にのって歌を歌うとますます楽しくなった。朝の時間がこんなにも楽しいものだなんて。

「どうしたの」

振り向くと、寝癖でいつも以上に頭の大きい四月ばかが目を細めていた。しましまのスウェットパンツの太ももを掻いている。

「何が?」

「何がじゃねぇよ。気持ち悪いエプロンまでしやがって」

あたしのエプロンはピンクのミニで、胸のところがハート型になっている。

「前の店のエプロンデーで使ったんだよ。女の子がね、肉じゃがとか煮物とか作ってって指名のお客にふるまうの。あたしはデパ地下で惣菜買ったけど」

「お前、なんかいいことあっただろ」

「なんで?」

「歌で起こされたんですけど」

四月ばかはテーブルの前にあぐらをかく。テーブルの上のピースを咥えて、火をつける。

「あ、洗濯ありがとう」
「どういたしまして」

起き抜けの男の声は色っぽく、四月ばかも例外じゃない。あたしはオーブンに食パンをつっこみ、やかんでお湯を沸かす。

「昨日ね、すっごい妙ちくりんな人に会った」

「また男か」

四月ばかが唇の端を持ち上げる。一瞬だけ、昔の皮肉屋の顔に戻った。

「男だけど、色恋の話じゃない」

あたしはトリモトさんのことを四月ばかに話して聞かせた。四月ばかは興味なさそうに聞いている。

「すっごい顔色悪いの。シザーハンズのジョニー・デップみたい」

「ふーん。まぁ、ジョニー・デップといえば俺だけどな」

「だめだ、やっぱ本物見ないとあの面白さは伝わらないよ。ほんと、座敷わらしみたいなんだから」

「いいや、見なくて」

あたしはテーブルに二人ぶんの朝食を並べた。

さて、どちらの携帯で送ろうか。

四月ばかが出かけてから布団に入ったあたしの枕元には、二つの携帯。店用とプライベート用だ。

トリモトさんは店で会った人だ。けれどお客さんではない。

店長はトリモトさんが来たら必ずタダで飲ませるだろう。そうすると、あたしがその間ついていても、あたしの売り上げはゼロ。店に呼んでもメリットはない。

だけど、メールを送りたい。できればもう一度会ってみたい。またあの人を観察したかった。

迷った末、プライベート用の携帯を手に取った。文章は悩まずともすらすら打てる。

『昨日お会いしたさつきこと、今宮早季です。
昨日は楽しかったです。
また来てくださいね。是非さつき指名で。もちろんお金は戴きませんから。
また酉本さんとお話したいです。よかったらメールください』

本当の気持ちを書いたのに、営業メールみたいになってしまった。もっとこう、気の利いた一文を入れたい。

しばらく考えて、「気の利いた一文」がまったく出てこないことに軽く絶望した。

名刺に書いてあったメアドに送る。すぐに返事をくれるだろうか。

あたしはひどく安らかな気持ちで枕に顔を押し付けた。あたしのこだわりのそばがら枕。そばがらが頭の下でしゃりしゃり鳴った。

トリモトさんからはその日の夜に返信が来た。

バイトを終えてすぐプライベート用の携帯を見ると、件名が「酉本です」のメールが来ていた。あたしは慌てて携帯を閉じる。家に帰ってからのお楽しみ。

家に着くと、早くメールを読みたい気持ちを抑えて部屋着に着替えた。敷きっぱなしの布団にもぐり込み、携帯を開く。

『昨日はありがとうございました。
久々に仕事以外で人と話せて楽しかったです。
お仕事頑張ってください。
では、また。』

受信時刻は深夜1:43になっている。その時間に携帯のアドレスにメールをする非常識さがあの人らしいと思った。

布団から抜け出す。

四月ばかの部屋をのぞくと、暗い中に布団の丘が見え、かすかに寝息が聞こえた。




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