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四月ばかの場所18 手離す

あらすじ:2007年。キャバクラで働く作家志望の早季は、皮肉屋の男友達「四月ばか」と一年間限定のルームシェアをしている。社会のどこにも居場所を感じられない早季は、定住しない四月ばかの生き方をロールモデルとしていた。ある日トリモトさんという変わった男性と知り合い、急速に惹かれていく。

※前話まではこちらから読めます。

生きていたくない、と呟く。あたしの他に誰もいない部屋に、その声は案外大きく響いた。

「消えてしまいたいよー」

さっきより少し大きな声で言ってみる。リビングに仰向けになり、落ち着かなくて自分の部屋へ移動した。煙草に火をつけて、一口吸って消してしまう。

先週からまたうつ期に入っている。例によって、家事も小説を書くこともさぼっている。仕事も三日前から行っていない。

最後に仕事に行った日からこっち、何もしていない。お風呂に入っていないから頭がくさいし、肌には四日前のファンデーションがべとべとになってはりついている。ずっとヨレヨレのパジャマを着て、そういえば歯磨きもしていない。

以前、クリニックで「なんであたしは頑張れないんでしょう。世の中の人はみんな毎日ちゃんと仕事してるのに」と言うと、白髪混じりの医者は笑顔を崩さず言った。

「あなたにはそれができないんだから、他の人と比べちゃダメだよ」

あたしはカッとなって「それができない自分が嫌だって言ってんだろ!」と怒鳴った。

医者は「そうやって感情的になっちゃダメだよ」と眉間にしわを寄せ、あたしはそのしわを見てギャンギャン泣いた。医者に対して申し訳ないと思う。そして、このおじいさんが魔法の杖であたしをまともな人間にしてくれたらいいのに、とも思う。

敷きっぱなしの布団にうつ伏せになる。ごろりと転がって足をばたばたさせ、あー、うー、と言ってみる。枕に顔を埋めたまま大声で歌う。

どうしたって憂鬱な気分は晴れることなく、自分を持て余してふと四月ばかの部屋に入ってみる。四月ばかがいない時に入るのははじめてかもしれない。

四月ばかの部屋は物が少なく、きちんと整頓されている。右側には布団がたたまれた上に茶色の麻布がかけてあり、正面の窓の隣にはディジュが立てかけてあった。壁には四月ばかの描いた絵が何点か飾られている。模造紙に水彩絵の具とクレヨンで描いた、強い色ばかりをつかった抽象画。

左側にはブロックの上に板を渡した棚があり、びっしりと本が並んでいる。大学受験用の参考書や問題集、小説、新書。

一冊だけ、書店のカバーのかかった本が出しっぱなしになっていて、開くと「鬱病と向き合う~もしも家族が鬱になったら~」と書かれていた。よく見ると、棚に並んだ新書の中にもうつ病に関するものがいくつかある。

視線を上のほうに移すと、壁には芙美子さんと撮った写真が数枚貼られている。写真の中の芙美子さんは生きているのが楽しくて仕方ない、という顔をしていた。

芙美子さんはきっと仕事をさぼらない。医者にキレたりしない。気持ちよく暮らすための細々したこと(シーツをこまめに洗濯するとか、さやえんどうのすじを取るとか)に時間を割くことをいとわない。好きでもない男と寝たりしない。

芙美子さんは「本命」タイプだ。きっと今までつきあった男はみんな彼女を本当に愛して大切にしただろう。

対して、あたしは「遊びで付き合うぶんにはいいけど彼女にはしたくない女」。

芙美子さんよりあたしのほうが美人なのに。あたしなんて。あたしなんて。

写真を留めている画鋲のあたまを爪で引く。写真は画鋲ごと、棚と壁の間に落ちた。

「長野に行くわ」

四月ばかがそう言ったのは三年前の三月、豪さんの店のカウンターでのことだった。あたしはすでに四月ばかを追って東京に出てきていて、吉祥寺に居場所を見つけていた。

ひどく寒い日で、四月ばかは焼酎をあったかいウコン茶で割ったものを飲んでいた。

「再来週あたり引越し」

「マジで?」

そう言いながら、あたしは右手に握っていたパチカをカンと鳴らした。パチカは二つの木の玉をぶつけて音を鳴らす楽器だ。振るとしゃかしゃかと音がする。

「マジで。長野の精神障害者の療養所で働く」

「なんで?」カン、しゃかしゃか、カン。

「興味あるから」

あたしたちの他にはもう一組お客さんがいた。彼らと豪さんがげらげら笑っているのを聞いて、なぜかあたしは「無責任だ」と感じた。

「それがなくても、たぶんそろそろ引っ越したと思う」

「なんで?」しゃかしゃか。カン。

「ここ来てもう二年だし。ひとつの場所に長くいるのが苦手なんだよ」

しゃかしゃか、カン。しゃかしゃか、カン。

あたしは一心にパチカを鳴らし続けた。そうしていないと、春の雪だるまのようにとけて消えてしまいそうだった。

四月ばかが本気なのはわかっていた。札幌を離れたときも、彼はこうして唐突に行き先を決めてしまったから。

彼は自分の気持ちに素直だ。動きたいと感じたら、その気持ちに従う。そのときどきで、行きたい場所、やりたいこと、一緒にいたい人が変わるということに躊躇いがない。

あたしはそんな四月ばかの軽やかさに憧れて、彼と一緒にいれば自分もそうなれると思っていた。だから、彼を追って東京に来た。

だけど、あたしは四月ばかにはなれない。孤独が怖いから、あれもこれも手離せない。あたしはキャバクラを転々と渡り歩くだけで、吉祥寺から離れられない。いつまでも、ここに留まっている。

「ひとつの場所に長くいるのが苦手なんだよ」

そう言ってたくせに、四月ばかは結婚しようとしている。定住し、定職に就き、ひとつのところで地に足をつけて生きていくつもりらしい。

芙美子さんとの出会いが、彼を変えたのだろうか。芙美子さんのことは、手離したくないと思ったのだろうか?

あたしのことは、二度も簡単に手離したのに?

芙美子さんが恋人で、あたしが友人だからだろうか。だけど、四月ばかに限って「恋人は友人の上位概念」なんてショボい前提は持っていないだろう。

壁の写真を眺めながらバイトへ行こうかどうしようか悩んでいると、となりの部屋で携帯が鳴った。うんざりしながら自分の部屋へ戻り、携帯を開く。

トリモトさんからのメールだった。

『今日納品に行きます』

ふふふ、と笑いがこみ上げてきた。

返信を打とうとして、思いなおしてバスルームへ向かった。




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