「上手じゃなくていい」と言われたこと
昔、姉の家である育児エッセイ漫画を読んで、驚いた。
失礼を承知で言うと、ものすごく絵が下手だったからだ。
どうやら育児雑誌のコンテストがきっかけでデビューした主婦の方らしい。
投稿作の出産エピソードがすごかった。ざっくり言うと、変わった妊婦が産婦人科医と喧嘩したり、自宅出産を選んだりしていた。
姉が、
「まついなつきさんが選評で、『エッセイ漫画はうまいことよりも、本人のキャラが立ってることが大事』みたいなこと書いてたよ」
と教えてくれて、なるほどなぁ、と思った。
その漫画は高橋美千世さんの作品だ。
単行本が何冊かあったので読んだけど、画力はデビュー後にめきめき向上されていた。
でも、下手だったデビュー当時の漫画も面白かった。
◇◇◇
私は当時、専門学校で文芸創作を勉強していた。
小説ゼミでは提出された作品を全員が読み、先生とゼミ生が感想を述べるのだが、私の作品に対してある学生が
「吉玉さんの作品はいつも誤字・脱字がないし、文法の誤りもなくてすごいと思います」
と発言した。
それに対し、先生(作家)が、
「プロになったら編集者が直してくれるから、別に間違いがあってもいいよ。それよりも面白いことを書くのが大事」
という意味のことを仰っていた。
なるほどなぁ。
小説を構成する要素は「文章力」だけではない。「ストーリー」や「登場人物」、文章からにじむ「作者の感性」。そういったものの総合が作品の魅力であり、新人賞の選考基準となる。
「文章は上手いけどつまらない小説」と「文章は未熟だけど面白い小説」なら、選ばれるのは後者だそうだ。
たしかに、私が読者だったら面白いものを読みたい。
もちろん、先生は「文章は下手でもいい」と言っているわけではない。
「上手いに越したことはないけど、そこがすべてじゃない」と言っているのだ。
きっと、そうなのだろう。
多くの読者が重視しているのは、文章力よりも内容だ。
◇◇◇
ゼミの同級生・みびるは、文章があまり上手ではなかった。
彼女の書く文章は、ときに文法がめちゃくちゃで、とても読みにくかった。
だけど、彼女の作品にはファンが多かった。私もその一人だ。彼女の作品は、圧倒的に面白いのだ。
設定やストーリー展開もいい。でも、私が好きだったのは細部だ。
たとえば、クズ男から手切れ金として1500円渡された主人公が、そのお金でジェットコースターに3回連続で乗るシーン。
「手切れ金として1500円渡す男」という人物設定を思いつく人間が、どのくらいいるだろう?
また、常々「私はその辺の女の子とは違う」と思っている主人公が、「好きな音」を尋ねられるシーン。
彼女は、いかに意外性のあることを言えるか頭をフル回転させる。絶対に普通のことを言いたくないのだ。
だけど、その後に「大学の講義中に目立たない女の子たちが黄色いゴムボートを膨らませていた」話を聞き、
「みんな、変わってるって思われたいんだな」
と一人ごちる。
このあたりのみびる節が、私はとても好きだ。
先生も、みびるの感性を高く評価していた。
先生はみびるに、「てにをは」がどうの、文法がどうのといったダメ出しはしていなかった。先生の指導は、いつも内容についてだった。
みびる本人は文章が下手なことを気にしていたが、先生にしてみたらそれは、たいした欠点ではなかったのだろう。
◇◇◇
みびるは普段から感性が面白かった。
たとえば、一青窈の「金魚すくい」という曲の歌詞について「乱交みたいやな」と言っていた。
たしかに、そう言われればそう読めなくも……いや、しかし、そう読み取れる人のほうが少ないのでは……。
みびるは私の文章力を羨ましがったが、私はみびるの感性が羨ましかった。
面白いことを思えないと、面白いことは書けないからだ。
先生も
「文章力はもちろん必要だけど、それだけではデビューできない」
というようなことを仰っていた。
また、誰かは忘れたけど、
「極端な話、文章力なんてデビュー後に編集者がしごいて伸ばせばいい。だけど、感性は伸ばせない。だから、優れた感性を持つ書き手を見つけて磨くしかない」
というようなことを書いている人もいた(誰だったっけ……)。
◇◇◇
みびるは私になれないし、私はみびるになれない。
そして、みびるはもうこの世にいない。
私はたまに「みびるだったらここでどう思うかな?」と想像してみる。
だけど、答え合わせはできないし、たぶん、どの想像も外れている。
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