四月ばかの場所22 前進
あらすじ:2007年。キャバクラで働く作家志望の早季は、皮肉屋の男友達「四月ばか」と一年間限定のルームシェアをしている。社会のどこにも居場所を感じられない早季は、定住しない四月ばかの生き方をロールモデルとしていた。ある日トリモトさんという変わった男性と知り合い、急速に惹かれていく。
※前話まではこちらから読めます。
◇
ヒロ君のことを四月ばかに話すと「本気だったのかもな」と言われた。
「そんなことないよ。きっとヤリたいだけだったんだよ」
そうであってほしい。
こういうことはヒロ君が初めてじゃないけれど、あたしはこの仕事に嫌気がさしてきた。自分で言うのもなんだけど、男をだますのには人が良すぎる。
「キャバやめようかな」
「作家にでもなるの」
「……なりたいけどさ」
年末締め切りの小説はとりあえず最後まで書きあがり、今はほったらかしにしている。書き上げてからはしばらく寝かせて、気持ちを作品から切り離さないと、客観的に見られないからだ。すっかり頭を切り換えてから読み返し、直しを入れる。
「作家になれるまではキャバ続けるしかないのかなぁ」
キャバ嬢だっていつまでもできる仕事ではない。十九歳から始めて、来年はもう二十五になる。始めたときはこんなに長く続けることになるとは思わなかった。もっと早く作家になれると、漠然と思っていた(なんて甘かったんだろう)。
「俺が出て行ったあとどうすんの? ここ、他に誰か住む奴いる?」
「……わかんない」
「まぁ、“さつきちゃん”ならここの家賃くらいひとりでも払っていけるだろうけど」
あたしは四月ばかを睨みつける。
「あんたは? 京大行くの、どうなった?」
「行くよ」
「でも来年結婚するんでしょ。いつ受験すんのよ」
「さあね」
四月ばかは茄子とひき肉のカレーを平らげると、食器を下げに立った。あたしは缶に半分ほど残っていたチューハイを一気に流し込む。
◇
クリスマスをトリモトさんと過ごしたいと思った。
今までのように会うのもいいけれど、彼女の立場で一緒に過ごしたい。クリスマスを一緒に過ごす権利を当然のものみたいに扱いたい。
トリモトさんとのメールのやりとりの中で、自然な流れで質問してみた。
『男の人って、彼女がキャバ嬢だったら嫌なものですか?』
あたかも、トリモトさん個人の意見ではなく、男の人一般の意見を求めるように聞いてみた。
それに対しての返事はこうだ。
『そういう人もおるかもしれんけど、俺は別にええんやないかなと思う。自分で金稼いで生活するってなんでもないようで実はものすごいことやし、どんな職業でもそれは変わらんと思う』
自分の職業を肯定されているのに、少し淋しい気がした。
キャバ嬢の中には彼氏に「そんな仕事辞めろ」と言われて仕事を辞める子もけっこういる。彼氏に内緒で仕事している子もいる。男からすると、自分の彼女が他の男とべたべたしたり擬似恋愛をしたりするのは許せないらしい。
『もし、自分の彼女がキャバ嬢だったらどうですか? それが仕事だってわかってても、客に嫉妬しちゃいません?』
『嫉妬してもしょうがないんとちゃう? それが仕事なんやから』
では、自分の彼女が他の男と寝ていたらどうだろう。
『じゃあキャバ嬢じゃなくて風俗嬢だったらどうですか?』
『根本的に俺の考えは同じ。他人が口出すべきやないと思う。でも本人が嫌々やってるんやったら、辞めたらって言うと思う』
なんでこんなに、ものわかりがいいのだろう。理屈ではわかっていても感情が追いつかないことのほうが、恋愛には多いはずなのに。少しもどかしいような気持ちになる。
奴隷のことを思った。過酷な労働と不条理な体罰の中、その生活を幸せだと言う、会ったこともない奴隷。トリモトさんは彼にも同じことを言うだろう。本人がそれでええんやったら、俺は何も言わへんよ。
プラスの方向に考えよう。トリモトさんはキャバ嬢と付き合うことは嫌じゃない。それがわかって喜ぶべきだ。
トリモトさんは、あたしのことが好きなんじゃないか。
そう思う瞬間が多々ある。あたしがうつのとき心配して店まで来てくれたくらいなんだから。
ここのところ、あたしはすこぶる調子がいい。
今月のはじめにうつの波が来たけれど、五日で乗り越えることが出来た。最短記録だ。白髪混じりの医者はテノールの美声で「あなたの病気は確実に回復に向かっているよ」と言い、あたしもその言葉を素直に受け入れた。はじめて、医者を睨まなかった。
小説も直しを終えて完成した。読み返してみたが、我ながら今回はかなり自信がある。今回こそ、と思う。仕事も指名が急に増え、先月はヒロ君のことがあったにもかかわらず、ついにナンバーワンになった。
肌の調子もいいし、トリモトさんのメールは相変わらず好意的だ。
いざ、行かん。
あたしは気持ちを伝えるため、デートの約束を取り付けた。
次の話
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