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何もできないけれど、何もしないのは退屈
毎日、仕事以外の時間が退屈で仕方ない。
ひとり暮らしなので、家事はすべて自分でやっている。掃除も洗濯もまめにするほうだし、食事も自炊だ。それでも可処分時間が余る。
だから、小説、ラジオ、テレビ、YouTubeなどのコンテンツで時間を埋める。私はいつも、暇つぶしに必死だ。
しかし、困っていることがある。時間はあるのに、読書やコンテンツの視聴をする気力が足りないときがあるのだ。そういうときは何もできない。起き上がることすら億劫だ。
何もできないなら、何もしなければいい。しかし、何もしないで禅のようにソファや布団でじっとしていると、頭が退屈で仕方ない。「何もできないけれど、かと言って何もしないのは退屈」という困った状態に陥るのだ。
このことを母に話したら、「無気力なのに退屈なんて、おかしな精神状態ね」と言われたが、私にとっては何もおかしなことではない。無気力と退屈を同時に感じるのは、昔からよくあることだ。みんなはそうじゃないんだろうか?
人間には三大欲求以外にも「暇をつぶしたい欲求」が備わっているらしい。もしかしたら、私はそれが強いのかもしれない。とにかく退屈が嫌で、何かで時間を埋めたい。だけど何かをする気力がないから、見たくもないYouTubeのショート動画を見続けたり、たいして面白くもないパズルゲームをしたりする。それを「したい」わけではない。「それしかできない」から、仕方なくしているのだ。
そうして無為に過ごしていると、「私の人生なんなんだろう」と虚しくなる。
こうしている間にも、私は歳を取る。こんなことをする時間があるなら、文章のひとつでも書けばいいのに。そう思うも、どうしても起き上がれない。いつもいつもではないけれど、そういうときがある。
今日はnoteを書く気力があったので、退屈を埋める気力がないときのもどかしさと苦しさを、書き残しておこうと思った。同じような心境の人に届けば幸いだ。
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