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八月の夕闇に消える
「おばあちゃん、いいキャラしてるよね」
祖母を知る人は口を揃えて言う。
同居していた母方の祖母は、大きな声でよく喋る人だ。天然で愛嬌があり、憎まれ口をたたいても嫌味がなく、「おばあちゃんだから」と笑って許される。むしろ、憎まれ口ひとつで大爆笑を巻き起こすこともある。
実家にはよく親戚や祖母の知人が来た。さまざまな事情で休む場所を求めている人が祖母を頼ってくるのだ。祖母は当たり前のようにその人たちの世話を焼く。それは祖母にとってごく自然なことで、人助けをしている感覚もなさそうだ。たぶん知らない人が相手でもそうしただろう。
祖母は、止まり木のような存在だった。
秋田出身の祖母は、札幌に嫁いでからも秋田弁を喋り、よく故郷の話をした。
「サキちゃんに竿灯(かんとう)を見せたいねぇ」が祖母の口癖だ。
竿灯まつりは秋田の夏の風物詩。はっぴ姿の男たちが、長い竿にたくさんの提灯が連なった“竿灯”を使って技を披露する。竿灯は長いものでは12メートルもあるが、それを肩や額、腰に乗せてバランスを取るのだ。竿灯を稲穂に見立て豊穣を祈る祭らしい。
いくつもの提燈が夜空を照らす様子は夢のように美しいという。祖母は故郷の話をするたび、私に竿灯を見せたがった。
しかし、私が生まれたときにはすでに、祖母は体が動かない祖父の介護をしていた。孫娘と旅行する機会なんてない。私が18のときに祖父が亡くなったが、そのときにはもう私のほうが友達との付き合いに忙しく、祖母と旅行しようなんて思わなかった。
祖父が亡くなってからも祖母は変わらず元気で、米寿を過ぎてから“嵐”のファンになったりと毎日楽しそうだ。
そんな祖母と、ようやく秋田に来ることができた。今夜は一緒に竿灯を見る。
*
JR秋田駅に着いたのは昼過ぎだった。
「あぁ、秋田だぁ」
祖母が相変わらずの大声で言う。
祖母は「秋田」と言うとき“た”にアクセントを置く。その尻上がりのイントネーションを久しぶりに聞き、あぁ、おばあちゃんだなぁと思う。
「おばあちゃん、お昼なに食べたい?」
「あいややや、私ばーさんだからなんでもいい、あんたが食べたいのにしなさい」
祖母は入れ歯の老人だが食欲旺盛で、私と同じメニューをたいらげることができる。ここは遠慮なく選ばせてもらおう。
とりあえずロータリーに出ると、祖母はロッテリアの前で足を止め看板を眺めていた。
「えっ、せっかく秋田に来たのに!?」
「だって私ハンバーガーの店行ったことねえさ」
まぁ、そうか。祖母が「ハンバーガーを食べてみたい」と言い、母が買ってきたことはあったが、ファストフード店に入ったことはないだろう。
好奇心が旺盛なところ。「あんたが食べたいのにしなさい」と言ったわりに、ロッテリアに入りたそうにするところ。そんな祖母を可愛いと思う。
入店すると、祖母は「なんでもいい」と言いながらメニューを熟読し、店員さんにあれこれ質問して、最終的にエビバーガーを注文した。
*
秋田駅へ戻り、奥羽線で一駅の土崎駅へ向かった。港町である土崎は祖母が生まれ育った場所だ。
祖母が発音する土崎は「ちざき」に聞こえる。私は大人になるまでずっと、この街の名を「千崎」だと思っていた。勝手に脳内で漢字を当てるほど、よく耳にする地名だった。
土崎駅を出ると、がらんとしたそっけない町並み。田舎なんだけど、情緒的な田園風景ではない。
祖母は辺りを見回し、「あいや~、この辺も変わった」と言う。
「いつと比べて?」
「私がちっちぇかったとき」
「大正じゃん」
祖母は土崎港を見たいと言う。グーグルマップで調べたらここから2kmだ。私だけなら歩けるが、タクシーを使った。
港には展望台があり、そこから眺める海は期待していたよりずっと青く美しい。
祖母はしきりに「晴れてえかった」と言っては、満足げにコクコクうなずいた。
*
ホテルで少し休み、夕方ふたたび外に出た。
日が落ち、空は藍にたっぷり水を含ませたような色に変わっている。夏の夕方特有の色。
駅前の“竿灯大通り”はすでに多くの人でにぎわい、どこからかお囃子が聞こえてきた。
祖母の手を引き、人ごみの中をゆっくりゆっくり歩いた。祖母の手はしわしわだけれど、しっとりしている。
やがて、大通りの先にいくつもの竿灯が見えてきた。薄い夕闇の中を、竿灯の灯りがちらちら揺れ動いている。それを持っている人たちの姿は、人垣に遮られてよく見えない。
「あ、竿灯はじまってるね」
私が言うと、祖母は立ち止まって顔を上げ、曲がった腰を伸ばした。外で見る祖母はとても小さい。これでも「背が高いせいで嫁の貰い手がない」と言われるくらいに、当時としては背が高かったそうだ。
「おばあちゃん、見えてる?」
「見えてる見えてる。サキちゃんこそ見えるかい」
「私は見えるよ」
今の私は、祖母よりずっと背が高い。
間近で見る竿灯は美しく迫力がある。しかし大人になっていくつもの絶景を知ってしまった私には、「息を呑む」とか「涙が出る」ほどではなかった。
隣を見ると、祖母は笑顔とも真顔ともつかない表情でじっと竿灯を見ていた。
「懐かしい?」
「んだ。毎年夏に、藤田さんとこの子供さんたちと見に来た」
「藤田さん」とは、祖母が10代の頃に子守奉公していたお宅だ。その話は何度か聞いたことがある。
気づけばいちだんと暗くなった夕闇の中、竿灯の灯りが祖母の顔を照らしている。しじみのような小さな目が潤んでいた。
本当に、おばあちゃんと来れてよかった。
おばあちゃんが私に竿灯を見せたがったように、私もずっと、おばあちゃんにもう一度竿灯を見せたかった。
*
肌寒いなと思った次の瞬間、くしゃみが出た。
祖母はバッと私のほうを見て、
「あいややややや! そーんな肩出してるから風邪引いたんでねーのぉ!」
と、ノースリーブを着た私の二の腕をさする。
「いや、大丈夫だよ」
「ほら、帰ろ。ホテル帰ってグッとお風呂入んなさい。風邪引いたら困る」
祖母が踵を返そうとするので、慌てて引き留める。
「いいよ。せっかく来たんだから、まだ竿灯見ようよ」
「ダーメさ。あんた肩出してんだから。だからいつも長袖着なさ……」
言い終える前に、祖母はフツッと消えた。
えっ!?
ふつう幽霊って最後にいいこと言ってからすーっと成仏するもんじゃないの? てっきり、竿灯が終わる頃に消えると思ってたよ。こんな話の途中で消えるなんて、時間切れになったZOOMじゃないんだから。
唐突な消え方があまりに祖母らしかったので、ひとりなのに声を出して笑ってしまった。
来た道を戻り、途中にあるコンビニで缶チューハイを買って、ホテルに戻る。
あ、おばあちゃんにニノが結婚したこと言うの忘れた。
祖母は嵐のファンで、特にニノを気に入っていた。10年前に93歳で亡くなったが、最高齢の嵐ファンだったかもしれない。
おばあちゃん、信じられないかもしれないけど、嵐が活動休止したんだよ。ニノは結婚して、今は子供もいるよ。
あと、私も結婚したんだよ。ほら、何度かうちに来たずんぐりむっくりの人。それにね、今は文章を書くお仕事してるの。いつかニノにインタビューすることがあったら、サインもらってお墓に持ってくね。
話したいこといっぱいあったはずなのに、いざ会うと忘れちゃうな。
だからさ、来年も竿灯まつりの日に来てくれない? もっとたくさん、話したいんだ。
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