実際より幸せに見られるのが癪
SNSでキラキラした偽りの自分を投稿する人、みたいな話をよく聞く。
幸せアピールして、羨ましがられることで承認欲求を満たす的なアレだ。
私はその心理がわからない。私は承認欲求高めで、褒められるのが大好きだけど、実際以上に幸せに見られるのがなんだか癪だ。
だから、友達から「サキは好きな仕事してて幸せでいいよね」などと言われると、
「いやいやいや、書けないときはしんどいし、お金ないし、夫は働かないし、しょっちゅうキーってなってるよ?」
と実情をぶちまけてしまう。
「実情を知ってほしい!」という欲求はかなりあるけど、「実情よりも幸せに見られたい」という欲求はないのだ。
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最近、実際よりも売れっ子に見られることがある。
実際のところ、私の月収は10万円くらい(頑張ったときは13万くらい)。売れっ子とは言い難い。
だから、SNSで他のライターさんが「ライター歴半年で月収が20万になりました」みたいな投稿をしていると、「うう、いいなぁ。なんで私はできないんだろう」と、自分の要領の悪さを恨む。
(自分で言うのもなんだけど、そういうときに相手に対して攻撃的な気持ちにならないのは私のいいところだと思う)。
私が月収の話をすると、「搾取されてる!」と解釈する人がいるけど、そんなことはない。
私は駆け出しのライターとして相場の単価をいただいていて、同じくらいの単価で私の倍以上稼いでいるライターさんはたくさんいる。
ただただ、私が1ヶ月に書ける数が少ないため、今の結果となっている(この辺のことはまた今度書きます)。
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だけど、cakesの連載が書籍化されるからか、もっと売れているように見えるらしい。最近、「売れてますね」的なことをよく言われる。
そのたびに私は、つい馬鹿正直に「そうでもないです」と言ってしまう。
いや、わかっている。相手はそこまで本気ではなく、社交辞令というか、挨拶程度に言っているのは。
だから「へへへ~」と流してもいいのに、どうしても正確を期したくなってしまうのだ。誤解されると訂正せずにはいられない、めんどくさい性を持っている。
そんな私からすると、お金がないのにお金持ちに見られたいとか、しんどいのに大丈夫に見られたいとか、孤独なのに孤独を感じてないように見られたいとか、そういう心理がわからない。
……と友人に話したら、「プライドじゃない?」と言われたけど、プライドって本来は矜持を指す言葉だ。
自分に誇りを持つことであって、「こう見られたい」を演出するために自分を偽ることじゃない。そんなのは、ただの見栄だ。張っても誰も得しない見栄なら、張りたくない。
実際は売れてないのに売れてるように見られるとか、全然嬉しくないどころか、悲しくなる。正しく伝わってないことへの悲しみというか。
◇
じゃあ正しく伝えるために「お金ないです!」と発信すればいいのかもしれないけど、以前そういう記事を書いたところ、サポートをいただいてしまって、有難いのと同時に心苦しかった。
「記事が面白かったから」という理由でいただくサポートはすごく嬉しいのに、「お金がなくて可哀想だから」という理由だと申し訳ないのだ。
だって、私が稼げてないのは私自身の力不足だし、いざとなったら転職すればいいんだし。どう考えても可哀想ではない。
だから、なるべくお金がないことは書きたくないのだけど、最近多い「売れてますね」という解釈違いを看過できず、このnoteを書いた。
正しく解釈してくれない相手への恨み節ではなく、ただただ、正確に伝えたいんだよなぁ。
売れっ子じゃないけど10日後に本が出るよ。ぜひ予約してください!
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