私は出す主体なので(2020年4月22日)

ゆうべ、「グッとくる曲」を集めたプレイリストを作った。聴きながら眠ろうとしたら、グッときすぎて息が苦しくなった。エモーショナル窒息。

やっぱりアルバムってバランスを考えられているんだな。いろんな曲があるから窒息することなく聴ける。

若い頃はガチャガチャした音楽を好んで聴いていたが、今聴くと少し疲れてしまう。感性の変化を感じる(変化であって劣化でも成長でもない)。

下の世代の人に聴いてた音楽の話をすると、「吉玉さんの世代はそういうのなんですね」と言われるが、同い年でも聴いてた音楽ってぜんぜん違う。私のプレイリスト、「同世代だけど一曲も知らない」って人いると思う。

そこまで音楽を聴いてきたわけじゃないけれど、私の「あきらめの先にこそ希望がある」「斜に構えるより泥臭く生きたい」といった価値観は、若い頃に聴いていた音楽の影響だろう。


お腹が痛い。動けないほどの痛みではなく、ギリギリパソコンに向かえる程度の痛み。

近くにいた母に「お腹痛い」と言うと、「うんち出たい感じ?」と聞かれた。

「出たい」だと、うんちの目線なのでは。私は出す主体なので、「出たい」はおかしい。

そう言うと笑っていた。

山岳4団体が登山自粛の呼びかけをしていた。

Twitterで「自粛の呼びかけじゃなく禁止にしろ!」と言っている人がいたが、民間団体にそんな強制力はない。山小屋も(多くは)民間企業だから、登山口を封鎖する権限ないしね。国有林への立ち入りを禁じられるのはお上である。

ともあれ、なんだか不安になり「ウワーン!」と泣きたくなる。

山小屋の営業が今年どうなるかわからないことが、意外とメンタルに影響している。私はもうとっくに山小屋を辞めているので、直接的には関係ないのだけど、仲間が職を失うかもしれない(あくまで仮定の話です)ことが苦しい。みんなタフだからふつうに生き抜くだろうけど、なぜか私がオロオロしてしまう。

自分で思う以上に、山小屋はホームなのだろう。いつでも変わらず、そこにあってほしい。

確定申告がまだできていない。やらなきゃ……と思いつつnoteを書く。逃避だ。

しかし、腹痛が激しくなってきて、布団を敷いて横になった。なんだか頭痛と吐き気もするぞ。あちこちが中途半端に痛い。

気を紛らすため、YouTubeでペット動画を見まくった。飼い主になでられて気持ちよくなってる犬を見てると、いいなぁと思う。犬をなでたいのか、犬になってなでられたいのか、わからなくなった。

いつの間にか少し眠った。

「#何色の傘」で、子供のころ使っていた持ち物などの思い出話をしませんか?

と昨日のnoteに書いたら、何人かの方が書いてくれた。

くう~! こういう話を読みたかった……!

ふでばこの変遷について書いてくれた方がいて、いろんな記憶が呼び覚まされた。

私、今日なにもできてないな……。

それでも生きてる。


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吉玉サキ
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