天然オットに振りまわされてる
結婚8年目の夫がいる。
おっとりしていて優しく、マメで家事が好き。お酒はほどほど、煙草も博打も女遊びもやらない。とてもいい人だ。
しかし、どうにもトンチンカンである。度を越えたマイペースで常識がなく、オカルトやスピリチュアルが好きで、すぐ話をそっちの方向に持っていってしまう。共通の友人からは「半径5メートルが見えてないよね。自分か宇宙かって感じ」と評されていた。
そんな夫は売れないイラストレーターだ。売れないことに焦るでも卑屈になるでもなく、毎日を楽しそうに生きている。口癖は「大丈夫、なんとかなるよ」。イライラすることもあるが、最近は私もすっかり楽観的になった。
私たちは、この先どうなるんだろう?
夫婦の行く末を、他人事のように面白がっている。
■付き合ってわかった、夫のトンチンカンさ
夫と出会ったのは13年前。アルバイト先の山小屋の先輩だった。
山小屋は住み込みだ。寝食をともにするので、人柄が見えやすい。
彼はとても穏やかだった。汚い言葉を使わず、おっとりした口調で話す。忙しくてピリピリした空気になっても同調しないし、人の悪口も言わない。
あるとき、「芸能人で誰かに似てるって言われたことあります?」と聞いたら、「芸能人じゃないけど、じゃがいもに似てるって言われたことあるよ~」と言っていて、いいなと思った。じゃがいもに似てると言われて怒らないところとか、それをさらっと言えるところとか、とてもいい。
だからというわけではないが、しばらくして彼と付き合うことになった。
しかし、山から下りて半同棲のような状態になると、たびたび彼のトンチンカンさに驚いた。
たとえば、彼はヒートテックインナーと長袖Tシャツの区別がつかず、ヒートテック一枚で出かけようとする。
「それは洋服じゃなくて肌着! 一枚で着るものじゃないの」
そう言うと、彼は「でも木下優樹菜は一枚で着てた」と言い張る。当時、イオンのヒートファクト(ヒートテック的なインナー)のCMにユッキーナが出ていて、一枚で着て踊っていた。
「あれはCMだから! 中に着ちゃったら商品が見えないから!」
普通という言葉を使いたくはないが、「普通はわかるでしょ!」と言いたくなる。
彼はそういうことが多い。18歳から一人暮らしで、自活歴は私よりずっと長いのに、どうにも世間知らずなのだ。
目上の方にお礼状を書くときも、ルーズリーフに「こんにちは。お元気ですか。僕は元気です」と書きはじめたりする。私は思わず「便箋! 拝啓!」と叫ぶ。
また、ジョギングのとき頭に巻くタオルと、トイレにぶら下げる手拭き用タオルを分けない。私は思わず「頭で手を拭いてやろうか!」と叫ぶ。
なんてトンチンカンだろうと思いつつも5年交際し、結婚した。
■結婚6年目、転職したはずの夫が働かない
私たちは結婚後も山小屋で働いていたが、2年前に仕事を辞めた。私はライター、夫はイラストレーターを目指すためだ。
最初の半年間は苦戦したが、私はなんとかライター業で生計を立てられるようになった。
一方で、夫はうだうだしていた。自分で仕事を取ってくるでもなく、私経由で得た仕事しかない。貯金を使い果たしてからは、私が生活費を支払っていた。
忙しくなった私に代わり、夫が家事のほとんどを担当してくれた。夫は「丁寧な暮らしをしたい」と言い、ぬか漬けを漬けたり、味噌を手作りしたり、家事に多くの時間を費やす。あとは運動と読書で一日が終わる。
いや、丁寧な暮らしより生活費を半分入れてほしい。私の収入がもっと多ければ夫が専業主夫でも構わないけれど、今の私は駆け出しのライターでその余裕がないのだから。
そう伝えると、そのときは「頑張るよ!」と言うが、その頑張りが1ヶ月くらいしか続かない。すぐに、家事と運動と読書の日々に戻ってしまう。
不満がたまりにたまった昨年6月、私はついにキレた。初めて、夫に対してキツい言葉で怒った。
夫は、「今から1ヶ月で10万円稼ぎます。それができなかったら出稼ぎに行きます」と言った。
それまでさんざん夫の「頑張る頑張る詐欺」を見てきた私は、「本気ならその決意をnoteに書いてみんなに誓ってよ」と提案した。note上には、夫婦共通の友人が数人いる。みんなに、証人になってほしかった。
しかし、思いがけないことが起きた。夫婦喧嘩の顛末を書いた夫のnoteがバズり、仕事がたくさん舞い込んできたのだ。さらには大手webメディアから執筆依頼が来て、その記事もバズった。
ちょうどその頃、私も初の著書を出版した。二人とも仕事をこなすのにてんやわんやで、出稼ぎの話はうやむやになった。
そのあたりから私はメンタルの調子を崩した。夫はバズ当初こそ仕事があったが、チャンスを次につなげることができず、半年もすると仕事はなくなった。
■それでも夫と別れない理由
私は「本当に嫌になれば離婚すればいっか」と思っている。
それでも(今のところ)夫婦を続けている理由は、単純に気が合うからだ。会話の温度がちょうどいい。
こんなことがあった。
ふたりで近所を散歩しているとき、昔ながらの薬局の前に、オレンジ色ののぼりが立っていた。のぼりには「オットピン」の文字と、オットセイのイラスト。たぶん、精力剤の広告だろう。
ふと思いつき、夫に「ねぇ、オットピン」と呼びかけてみた。
夫はいつもののんびりした口調で「なんだい?」と言ったあと、小さく笑って、「オットピンて」とつぶやいた。
そのリアクションのちょうどよさ。自分が呼ばれていることを瞬時にわかってくれるところや、温度の低いノリツッコミ。すごく、心地いい。ここでテンション高いツッコミをされたり、無視されたりしたら嫌だ。
夫がいちばん、話していてしっくりくる。
そう自覚するたび、しみじみ「私にはこの人しかいないな」と思う。そして、気づけば生活費問題はうやむやになっている。
■「夫エッセイを書く!」
先月まで半年間、私は夫と離れて暮らしていた。うつ症状がひどくなり、札幌の実家で療養していたのだ。夫は東京の自宅にいるので、遠距離夫婦だった。
その間、私は自分の口座から生活費口座にお金を移動するのを忘れ、はからずも夫に経済制裁を加えてしまった。しかしその間、夫は自活できていた。やればできるじゃん。
ただでさえ不景気なのに、私はうつ病で夫は売れないイラストレーター。少しは貯金もあるし、いざとなれば前職の山小屋に戻れるが、やっぱり不安だ。
私がメソメソしていると、彼は優しい声で
「大丈夫、なんとかなるよ」
と言う。
第三者から見てまったく大丈夫じゃない人が、自信満々に言う「大丈夫」。あまりの説得力のなさに、全身の力がふわっと抜ける。何ひとつ解決していないのに、のんきな声にすっかり安心してしまう。
そうだ。夫エッセイを書いたらどうだろう。
なにかと不安なこのご時世。ポンコツでも楽しく過ごす夫の姿に、ほっとする人がいるかもしれない。
そう思いついたのは春。まだ遠距離夫婦だった頃だ。
「夫のことをエッセイを書こうと思うんだけどいい?」
LINEすると、短い返信がポコポコたて続けに来た。
「夫とはわたしくしめの事でしょうか」
「つまり」
「オットピン」
「と呼ばれて」
「今や返事してしまう人」
その返事が妙におかしく、布団の中でふふっと笑う。
他に誰がいる。私の夫は、あなたしかいないでしょう?
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