釧路から北海道を元気に!北海道の中心で何を叫ぶ?
3月の年度末にあたり、釧路商工会議所青年部の総会や事業が様々行わております。先日は札幌の地で、北海道商工会議所青年部連合会の理事会が行われ、令和6年度の北海道ブロック大会釧路大会が、可決承認されました。
釧路からも多くのメンバーがオブザーブでかけつけてくれて、とても心強かったですし、皆の士気が高まり、とても良い一日になりました。
また、札幌の街には人が溢れ、若者は溜まっていたフラストレーションを吐き出すように夜の街を徘徊し、終電がなくなっても、すすきの交差点は賑やかさを失っていませんでした。
様々な刺激をもらったので、商工会議所青年部の活動とともに色々と綴ろうと思います。
商工会議所青年部とは?
商工会議所青年部(YEG)は、次代の地域経済を担う青年経済人の相互研鑽の場として、また、資質の向上と会員相互の交流を通じて、自企業の発展と豊かな地域経済社会を築くことを目的に、令和4年4月現在、全国471カ所の商工会議所に設置され、日本YEG加入青年部は417カ所を数える。
北海道には、25の単会があり、メンバーは約1200名が在籍している。
定年は50歳が平均だが、40歳や52歳定年の地域もあり、また、地域によっても事業が異なり、様々な活性化に繋がる活動を行っている。
釧路は約80名のメンバーが在籍している。大きく分けて、総務や広報・交流系の委員会と政策系の委員会があり、毎月各委員会が担当をうけもち、例会を行っている。また全体の事業として、近年はリバーサイドを中心とした、ヒアガーデンやウインターパークを開催している。
釧路商工会議所青年部(釧路YEG)の
歴史
釧路YEGは1994年(平成6年)11月7日に経済人62名が結集して設立された。初代会長は小船井修一氏が歴任され、毎年改選は行われるが、初代会長は6期にわたり、運営を行った。今年度は私が会長を務め、15代目の会長となる。
1999年9月に北海道ブロック大会釧路大会が開催されているが、その時の経済政策提言発表が「釧路川流域活性化プラン」で、パネルディスカッションは「止むことなき 流れの如し」となっていた。
釧路川リバーサイドの活性化
今年度より、ヒアガーデンを釧路川リバーサイドエリアに移して開催したことが好評価を頂いているが、1999年も同じく釧路川のリバーサイドを中心に活性化を考えていたことは、運命的なものも感じている。
釧路川に架かる幣舞橋は、様々な歴史や文化があり、永く市民から愛されてきた。
すでに5回の架替えがあり、特に4代目の際に設置された4体の四季の乙女像には様々な物語がある。
当時、開発局の事務的なプランに、釧路市長であった山口哲夫氏が、「釧路のまちづくりには芸術が必要!」と謳い、待ったをかけた。そして、経済会も一緒になって、釧路市民皆で、四季の像設置予算を5千万程集めたのである。
その後リバーサイドは、釧路JCが世界三大夕日の街として全国にPRし、今では幣舞橋からたくさんの人が夕日を眺め、そして四季の像と共に写真におさめている。近年は、cool KUSHIROのモニュメントの設置や夜のライトアップにより、さらに魅力が増すエリアとなっている。
衰退からの復活!新たなリバーサイドに向かって
1999年は、まだ釧路市の人口が合併前にも関わらず20万人を超えていた。24年間人口は減り続け、2023年2月には遂に16万人を割ってしまった。
日本製紙の撤退など、産業も衰退の一途を辿っているが、釧路川はまさに、1999年のブロック大会のディスカッションテーマのように、止むこと無く流れ続け、経済を支えている。
今年度の会長方針にも以下のカタチでリバーサイド活性化について掲げている。
令和6年のブロック大会釧路大会を
チャンスと捉えて
先日、札幌の地で、ブロック大会釧路大会が可決承認された際に私は、このような挨拶を行った↓
これからは、釧路ブロック大会の実行委員会が発足され、様々な準備を進めていく。
既成概念にとらわれず、青年らしい新たな発想で、地域をリブランディングしていきたい。
そのためには、現在の規則や法律、固定概念なども変革していかなければならない。当然、行政との連携が不可欠になるし、変革を起こせる街や、大人が良い意味でクレイジーで元気な街には、若者やよその者が集まると思っている。
今は、時代の境目にいる
世界は今、戦争やコロナなど目まぐるしく変化しているが、そんな中、日本では2024年に、新一万円札の肖像画として渋沢栄一が採用される。渋沢氏は、「民の繁栄が、国の繁栄につながる」という想いのもと1878年に東京商工会議所を創立し、初代会頭を務めた人物である。
現在の1万円札は2004年から福沢諭吉が肖像画になっており、いままで、彼の顔が人を笑顔にもしてきたし、地獄にも引きずり降ろしてきた。そこで、あえて、今年度の会長方針は、福沢諭吉の言葉を引用して締めくくった↓
終わりに…。
50歳の定年までにすべき事
先日の行われた、北海道商工会議所青年部連合会の理事会には札幌YEGのメンバーの姿はあまり見当たらなかった。大都市ともなれば、JCやYEGのような経済及び社会団体が無くても、うまく経済はまわっていくと思うし、人口減少や中心街の衰退に悩むことも少ないと思う。
こういった団体が無くても、うまくまわるに越したことがないし、団体に時間使うくらいなら、商売に時間を使って、もっと稼いだ方が地域の為だ!という声も聞こえてくる。
ただ、経営者同士の交流で刺激をもらって、商売に活かしたり、ひとつの企業では変えることのできない、地域の課題を、行政へ提言をしたり、様々行動することが、地方都市経営者の天命なのかもしれない。
孔子の言葉に「五十にして天命を知る」とあるが
天命(てんめい)とは、天から人間に与えられた、一生をかけてやり遂げなければならない命令のことである。
50歳卒業というYEGとい団体に縁あって入会し
運命的に釧路という地方都市で経営をしている私やその他メンバーは、
釧路を、そして北海道を変革する!
という事が、
天命のひとつなのではないか?
と思っている。