『無敵の人』に自分と他人がならない為に自分はコミュニティを続けている
先ず私はゴリゴリの社会的弱者だ。
周りの環境のおかげで寛解には向かってきたが、薬がないと何も出来ない。恐らく一生そうだろう。
編集部には様々なレイヤーの方がいらっしゃる
編集部には身体、精神障碍者もいる。貧乏なライター、派遣で働いている方、子供部屋おじさん、ニート半年間やっていたり、1年間とりあえず全国1周して途中でミニクーパーぶっ壊したり、途中蛇足でしたがw
まあ所謂「ふつう」と程遠い方もいらっしゃれば、代表取締役 / 株式会社C&A 主任研究員 / 東北大学工学研究科博士課程/東北大学特任准教授/二児のパパといういい意味でぶっ飛んだ方もいらっしゃるが、ほとんどが大体高学歴で、大企業で働いている方が多い。
編集部のモットーとは
「弱い者が集まると死ににくい」
一番「弱い者が集まると死ににくい」 を大事にしている。編集部は基本的にお金がかからないのだが、広告なり、イベントなり勝手にやって良い。参加したくなかったら参加しなくても良い、というスタンスである。
活動の維持の為に高い品質のプロダクト(本、ロゴ、HP、ディレクション)を出し続ける
高い品質のプロダクト(本、ロゴ、HP、ディレクション)を出し続けるというのは本来、コミュニティの意義からは外れるが、少なくとも私はそうしたい。何をやっているか分からないコミュニティには決してなりたくない。
『無敵の人』に自分と他人がならない為に自分はコミュニティを続けている
社会的に弱い立場の人間ほど、仲間を作ることは重要だ。
メンバーには無職の方がいるが、平日の昼間からやることがなくても、一緒に遊ぶ仲間がいると退屈もしないし寂しくもならない。
一人だと時間を潰すためについついお金を使ってしまったりするけど、友達が一緒ならお金をかけなくても楽しく遊んでいられる。
何か困ったときも知り合いが多ければ割と何とかなったりする。
マイノリティのコミュニティを探そう
別に編集部でなくても良い。
一般的なレールから外れて生きることを目指すなら、同じような境遇の仲間を見つけよう。
でも同じような境遇の仲間が集まると「新しいこと」はどうやら生まれにくいので、議論メシや議論メシ編集部のように様々なメンバーを包摂しているコミュニティにいるのが良いとは思う。
自分が多数派の場合は、特に深い疑問を持たずに一般的に当たり前だって決められたことを守って目立たないようにしていれば基本的に何とかなったりするが、少数派にあたる人間はこの多数派だらけの世界の中で、死なないために仲間を作って協力したり情報交換したりしていくことが必要になる。
選択肢が多い方が生きやすい
重要なのは「家庭とか学校とか会社とかの固定された人間関係だけじゃなくて、他の人たちとも繋がれるという選択肢がたくさんある」ということだ。
ある場所では合わなくても他の場所ならうまくやれるかもしれない。
選択肢が多いほどそこから漏れてしまう人間は減る。選択肢が多いということは絶対的な善だし、この世の不幸の大部分は選べる選択肢が少ないせいだろう。
学校でのいじめや就活や解雇による自殺は選択肢が少ないから起こる不幸の典型的なものだ。
自分が合わない場所には行かなくていい
という意見は、大して努力しなくても自然に社会に適応できる多数派の人の意見にすぎないので聞かなくて良い。人間はいろんなタイプがいるのだ。
最初から「会社に行かないようなライフスタイルにするにはどうしたら良いか」と考えた方が戦略的
リモートワークなど働き方も多岐に亘り、「世の中正社員ゲー」ではあるが、正社員じゃなくても良い。
自分が惨めになるだけで、それで暮らしていけるなら適当に仕事して家に帰って、プレモル飲みながらキヨのゼルダのブレワイの実況を観て、家で笑っていれば良い。
嫌な場所には行かなくていいし、嫌いな人には会わなくていいし、自分の居心地のいい場所に行って、自分のやりたいことだけしていれば良い。
人生なんて本当はたったそれだけのシンプルなものだ。悪い場所からはできるだけ早く逃げよう。
まとめ 「自殺」や「殺人」は選択肢が少ないから発生する
自殺してしまう人というのは、他の選択肢が見えなくなってしまっていて、もう「生きていてもどうしようもない」、と思うから死を選んだり、死の前に「社会が憎いから報復する」、めっちゃわかる。
でも「他の場所に行けば、人に会えば何とかなるかもしれない」という選択肢や可能性が残っていれば人はなかなか死なない。
それがたまたま編集部であってほしい。別のコミュニティでも良い。自分にとっても貴方にとっても。
どうせ100年もしたら全員死ぬし。一緒に楽しいことやってみませんか。